ちょっとやめて、変なフラグ立てないで!
え。と顔を上げたのはフラジールだ。膝にバッカスを乗せて絵本の読み聞かせをしていた彼は、驚いたように顔を上げた。
まるで親子のように仲の良い二人に、騎士団の面々は密かに癒されているらしい。昼食時の食堂ではほのぼのとした空気がただよっているものだ。
「バッカスを王都へ連れて行かなくて良いのですか?」
その疑問は当然だった。ゼノンも黙ったままちらりと彼女を見やる。
「今回は安全をとってうちで保護するわ。だいたい、国王も王都の神殿も、信用できないでしょ? バッカスが怖い人にいじめられたらどうするのよ。あと、わたくしは王都の神殿には行けないわ」
コラードが胡散臭いものを見るような目で見て言った。
「何をしでかしたんですか、あなたは」
しかも、はああ。とわざとらしいため息をつきだ。
「誤解しないで。今あの場所にはとある人物が囚われているの。わたくしが近くにいることを知ったら面倒だし、そもそも現段階で安全を考慮するなら西に戻るのが一番よ」
南の神殿のプリーティア・イーズは百合に心酔しすぎて暴走したため王都へ送られた。彼女は現在王都の神殿で監視されている。地下牢が破壊されている状況でプリーティアを捕えることは出来ないが、神殿に軟禁することは可能だからだ。
地下牢を壊したのはゼノンだが、もちろん彼は涼しい顔で無言を通している。
そしてもし仮に百合たちが王都へ向かえば、神殿の関係者から彼女の存在が露呈してしまうだろう。そうなればイーズがどのような行動に出るか予測もつかない。
これはお互いを守るための策なのだ。というのが言い分で、本当はただ面倒なだけである。
百合は淑女として完璧な笑顔を作った。
「それにここでは誰もわたくしをちやほやしてくれないじゃない」
ゼノンがまたちらりと見やる。
「ちやほやされてるじゃないですか! 海賊とか! そこのプリーストとか!」
「足りないわ」
これにはフラジールも溜息をついた。
「馬車を用意しますね」
「ねえフラジール。僕も一緒にいっていいの?」
「もちろん。ただ、バッカスの身柄は彼女が保護することになるでしょう。彼女の傍ならどんな怖い人もよって来ませんから安心してください」
ふと、レオーネ・ヴィンツェンツィオが机から顔を上げた。
「何故、西の神殿には結界がある」
今更なことを問われ、ゼノンとフラジールが一瞬固まった。
「もともと全ての神殿にはプリーティアとプリーストを守るための結界があるわ。けれど土地柄その結界が有効でない場合があるの」
数十年前に南の結界が消滅したらしい。理由は現在でもわからないが、そのために彼らは武器を与えられているし、この東の神殿はもともと他者が簡単に侵入したり逃げ出したりできないように高い場所に建設されている。
「詳しいことはヨシュカ・ハーンにでも聞いてちょうだい。わたくし、興味のないことは覚えないの」
レオーネがしばらく黙り、そして今度はゼノンに目を向けた。
「部外者にお答えする必要性を感じません」
しかしゼノンはそんな彼の視線をはねのけた。
そもそも、ゼノンはとても不純な動機でプリーストになっており、必要以上に何かを知りたがることもなかった。
もちろんプリーストになる時に様々な教育を受けたが、なってしまえばこちらのもの、という姿勢を貫いてきた。
「・・・そうか」
分かりにくいが、どうやらレオーネは残念な気持らしい。コラードがギョッとした顔でのけぞった。
「ちょっとそこのお二人、うちの団長が可哀想じゃないですか。ちゃんと答えて下さい!」
「だって覚えていないもの。興味のないことは覚えないわ」
「あなたそれでもプリーティアですか!?」
これには近くにいたフラジールも渇いた笑みを浮かべる。しかし次の瞬間、ゼノンの絶対零度の眼差しを向けられ背筋を伸ばした。
「そんなことよりもフラジール殿。さっそく馬車の手配を頼みます」
「うむ。任せなさい」
フラジールは真面目くさった顔を作ってバッカスを膝から降ろすと、足音も立てずに部屋を出て行った。
「フラジールって格好いい!」
バッカスは春色の瞳をキラキラと輝かせてフラジールが出て行った扉を見つめた。
「バッカス、あなたもついて行って彼の行動を見ていなさい。きっと良い勉強になるわ。西に行けばなかなか別の地域には行けないから、今のうちに自由を謳歌なさい」
「わかった!」
バッカスは素直に大きく頷いて出て行った。
少年の気配が廊下の先に消える頃、コラードが無遠慮に百合に近づいた。
「しかし本当によろしいんですか? あの少年を王都に連れて行かなくて」
「あそこはまだ危険なのよ。ヨシュカ・ハーンが新たな神殿長に就任してまだ数か月。体制は落ち着いていないでしょうし、何よりも彼の容姿は人目を引くわ。彼は十年前にこちらの世界にやってきたのに、まだ少年のままなのよ。どんな輩が近づいてくるかわからないし、凶悪な海賊にも狙われる可能性が高い。南とここの神殿も海賊と手を結んでいたし、あそこがそうでないと言い切れない」
淡々と言えば、それでもコラードは納得できないと言う顔を作る。
「そもそも、神殿と呼ばれる場所で最も腐敗しているのはあそこよ」
「現在新たな長が身を削って努力していることは我々も理解していますが、一度失った信頼を取り戻すことは至難の業です。国王も口を出すかもしれませんが、これまでの経緯を考えると、西で保護することは一番安全かと」
彼女の言葉をゼノンが引き継ぐ。
「西が、本当に安全なのか」
レオーネのその疑問は最もで、フラジールですら本当に良いのかと思っている風だった。
「今のところ、わたくしの知る中で最も安全な場所よ」
「北の神殿は? あちらも安全ではないんですか? もう行かれました?」
「ちょっとやめて、変なフラグ立てないで」
「は?」
「北の神殿なんて言っていたら、次はそこへ行かされるかもしれないでしょう!? いやよ、わたくしはもう疲れたの。早く帰りたいの。もう面倒事はいや!」
間抜けにも口を開けたまま固まったコラードに、ゼノンがふっと笑みを見せた。
「早く戻ってゆっくり体を休めましょう。患者の事も心配ですし、皆も私たちを心配していることでしょう」
「ええ、そうね。そうだわ。馬車は何時頃用意できるかしら」
ふう、と愛らしいため息をついた百合に、レオーネ・ヴィンツェンツィオが静かな瞳を向けた。
「・・・そう急ぐこともない。今夜は我が屋敷に泊まれ。出発は明朝だ」
それはどうやら、彼の中で決定事項だったらしい。
これには流石の三名も呆然と固まったのだった。




