名前
「アファナーシー・ニキータがあなたやセスを狙っているようです」
「わたくしだけではなく、セスも?」
「彼の知識は貴重です。それに何より、奴の策を何度も突破していることが気に入らないのでしょう。高額な懸賞金が、二人にはかけられています」
百合は思わず声を出して笑った。
「笑い事ではありません。これからはどんな輩に狙われるかわからないんですよ?」
「そうね。でもわたくしは大丈夫。セスにも注意するよう文を送るわ」
むしろ一番狙われるのはセスだろう。彼は優秀な錬金術師だが護衛がついているわけではないし、必要ならどんな場所にでも赴く。
「実は以前、セスも誘ってみたんですけど断られました」
「あら、残念ね」
楽しげに笑う彼女に、フェルディも目を細めた。
「なので、全て片付いたらとりあえずもう一度声をかけます」
「諦めないのね」
「はい。なんだか気に入ってしまいまして」
「・・・・あなた、本当に海賊みたいね」
「いえ、海賊です」
しばらく互いに見詰め合い、そして同時に吹き出した。
「あなたも一緒に行きませんか。ふかふかのソファーと美味しいお茶と、珍しい花と、食事。世界中のお酒も手に入りますよ」
それはとても素敵なお誘いだった。
「素敵ね。でも」
「今は答えを聞きたくありません。わかっていますから」
彼女が断ることくらいわかっていた。それでも誘ったのだ。
「だから、またいつか同じ文句で誘いますから、その時はあなたの未来のために考えて下さい」
そっと顔を覗き込まれて百合は瞬く。日の光の下では藍色のような瞳が、今は闇に近い色をしている。そこに映る己は、どこまでもか弱い印象を抱く。
彼には百合がそう見えているのだ。
「海賊をやめたらってことね?」
「はい」
「やめられるの?」
「もともと他に道がなかったので。でも今は、他の道を模索しています。情報屋も楽しいですし、海賊ではあなたやセスの友人になれないのなら、やめます」
ずいぶんとあっさりしたものだ。海賊とは色々な掟のようなものがあると思っていた。
「それに僕らはアファナーシー・ニキータを捕まえるためだけに海賊になった。奴がいなければ海賊なんてものにはなりませんし、奴がいなくなれば他の海賊たちもなりを潜めるでしょう」
そうすればいずれは廃業だ。フェルディにとって、それだけわかっていればいい。
「いつまでも、海賊なんてものの世界が続くはずはないのだから」
ふっと笑った顔は、どこか自嘲気味だった。
「もう友人だと思っていたわ」
「・・・ありがとうございます。僕も、そうでありたいと思っていました」
その言葉に引っ掛かりを覚えた百合は、はっと気づく。
「あなたは情報屋もしているのよね」
「はい」
「わたくしやセスの情報も売るの?」
今度はフェルディが目を見開く。慌てて首を横に振った。
「まさか! そんなこと絶対にありません! 下の者にもよく言い聞かせていますし、絶対にないです」
「そうなの」
ふぅんと頷くと、百合はにっこり笑った。
「ありがとう、フェルディ」
そして右手を差し出した。
「・・・あの?」
「“わたし”は百合。本当は百合・天羽というのよ。白い花の名前なの。いつかこの世界でも見れると嬉しいわ。海賊をやめたら、きっと見せてね」
どう返事をしていいものか彼は考え、そして白い手を取った。
何度も口の中で彼女の名前を確認した。変わった音の名前だ。きちんと発音できるだろうか。練習しなければ。
「改めて、フェルディ・イグナーツです。ユリ。あ、この名前は他で呼ばない方が良いですよね」
嬉しさと戸惑いから、彼の声は上ずっていた。その様子に百合が楽しげに笑う。
「そうね。全部終わるまではダメよ」
「はい。約束します」
久々に繋いだフェルディの手は大きくて、暖かかった。




