成すべきことを、成そうと決めた。
「ああプリーティア様! どうか我々に祈りを下さいませ」
そこにはたくさんのベッドが並んでいた。至る所から苦しそうな咳が聞こえ、そして誰もが美しい女を見ては絶望した。
きっと迎えが来たのだ。もう自分は終わってしまうのだと。
しかし一人の老婆が言った一言に、またそろって全員が目を開ける。苦しい先に見えた美しい姿に、あれが生きているはずがないと首を横に振った。
「ええ、もちろんですわ。わたくしは祈りましょう。今を苦しむすべての人のために」
紡がれる声は鈴の音のように清らかで優しかった。
女は老婆のしわくちゃな手を右手でそっと握ると、左手で曲がった背中を優しくさする。
「あなたに、神々のご加護があらんことを」
老婆を近くの椅子に座らせ、自分は対して掃除すらされていない薄汚い床に両膝をついた。
優しく目を細め、老婆の手にそっと口づけを落とす。
「ああっ、なんてこと・・・ありがとうございます、ありがとう、美しい方」
「みなの所にも参りますわ、どうかあなたはここで休んでいて」
何度か背をさすってやれば、老婆は感激してぼろぼろ涙をこぼす。その姿を見ていた他の患者は早く自分の所にも来てほしいと首を長くして待った。
ゼノンも手当たり次第祈りをささげていく。武骨な男に似合わず、その声は優しく耳に響いて、酷い咳で眠れない日々を過ごしていた患者は、次第に夢の世界へ向かった。
どれくらい経ったころだろうか、広い部屋の中の一角に、薄いカーテンで仕切られた場所があった。特に酷い症状の患者を集めた場所だ。
ユーリは気にせずカーテンの中に入っていく。慌てたのはフラジールだ。
「お待ちください、その先の患者は特に酷く・・・」
「だからわたくしが行くのよ。ゼノン、あとは任せます」
「はっ」
ゼノンは頷くと祈りを再開した。すでに部屋にいるほとんどの人間が眠りについている。
神殿に仕える人間にはいくつか不思議な力が与えられる。彼らの祈りの言葉には相手を癒す効果があり、相手に必要な安らぎを与えるのだ。今回の場合睡眠不足の彼らには眠りが与えられたのだろう。
「てんしさまだ」
ヒュー、ヒュー、と苦しそうな呼吸音を聞いて、フラジールは悲しくなった。
七つあるベッドには全て小さな子供が並んでいた。
もう先が無いと思われる子供だ。全員が衰弱しており、骨と皮だけの身体。誰もが目を背けたくなるような子供が横たわっている。
それでも彼女は優しく微笑んだ。
「てんしさま、きちゃだめ」
「こないで、てんしさま」
「てんしさまに、うつってしまうわ」
小さな子供たちは、必死に来ないでと訴える。あなたたちにうつしてしまうからと。
自分の命すら守れない子供が、大人を守ろうとしている。それまで黙っていたオースティンがギュッと拳を握った。
騎士団長のくせに、こんな健気な子供たちすら守れない自分が悔しかった。
「大丈夫よ、わたくしは死なないわ」
そっと、一番近くの少年を抱き上げた。ベッドに腰掛け、自分の膝に彼を乗せ背中をさする。
「てんしさま、いいにおいがする」
「ふふ、ありがとう」
女からは花の匂いがした。ベッドに入ってからは花なんて見ていない。ここに花を持ってくる人間なんていないからだ。
「てんしさま、あったかいね」
「あなたも、とても暖かいわ」
少年は誘われるままに、女の胸に頭を添えた。柔らかで豊満な胸は心地よく、心臓の音がした。この人は天使じゃない。ただの人間だ。優しくて暖かい、生きている人間。
「てんしさま、ぼく、しんじゃうの?」
「いいえ、いいえ。あと数日後には王都から錬金術師がきます。きっと助かるわ」
「でもこわいんだ」
「わたくしがいるわ」
「ぼく、しにたくない」
「死んではいけないわ。あなたはまだ世界を知らない、知る前に、死んではいけないわ」
この優しく残酷で自分本位な神々がいる世界の事を。
話をしているうちに、少年は眠ってしまった。今は呼吸が落ち着いている。
ユーリは他の子の所にも行って、全員に同じようにした。驚くほど落ち着いた様子で眠りについた。
「フラジール、席を外す」
「はっ」
オースティンは真剣な顔で出て行った。まるで戦場にでも行くかのようだとフラジールは思った。
オースティンは一人で馬に乗って騎士団に戻ると、自分の部屋に入り錬金術氏が開発した普段は使わない通信機を手に取った。
「こちら西方騎士団団長オースティン・ザイル。錬金術師長と話がしたい。繰り返す、こちら西方騎士団団長オースティン・ザイル。錬金術師長と話がしたい。急ぎ連絡を!」
成すべきことを、成そうと決めた。