海の藻屑になればいいよ
「なああんた、どっから来たんだ?」
その時、二人の近くに座っていた他の旅人が、一人の男に声をかけられた。
白髭まじりの旅人が気のよさそうな顔で返事をする。
「俺はずっと西の方から来たのさ」
西と聞いて、フェルディの動きがわずかに止まった。旅人に目をやると、ハッとしてガルテリオを見た。彼も小さく頷く。
「じゃあこれは初めてかい?」
「なんだい? そりゃあ・・・」
ガルテリオがそっと立ち上がり、旅人たちに近づいた。二人からは酒の臭いが漂ってきて眉をひそめる。
「この街で流行ってるんだ。どんな疲れも一瞬でふっとんじまう優れものでな。あんたは初めてみたいだから俺のを譲ってやるよ。これからも旅を続けるんなら持っときな」
「ほお! そりゃあ、ありがてぇ。あんたも旅は長いのかい?」
「ああ。俺もずっと旅をしてるんだ。これは酒と飲むと効果があるぜ」
ありがてぇ、と喜ぶ旅人は、さっそくそれに手を伸ばした。
白い包みに入っている粉薬のようだ。それを口にしようとした瞬間、ガルテリオの武骨な手が止めた。
「はぁい、ちょっと待ちなさい」
「んが!?」
旅人は驚いて包みを落とす。それを拾ったのはフェルディだった。
「すまないが、こちらは手を出さない方が良い」
優しい笑みを浮かべてちゃっかり胸元にしまうと、彼は男の方を見た。男は瞳をこれでもかと開き、驚きで声がでないようだった。
「やあ、久しぶりだな」
「いやん、フェルディ。先月会ったばかりよ」
「そうだっけ。雑魚は覚えないようにしていたから忘れていたよ」
甘い顔立ちに似合わない台詞に、男が一歩下がった。
「君のような海賊がこんなところで何をしているのかな? 薬売りなんて似合わないね。君のお頭、ここにいるの?」
「か、海賊?」
旅人は、こりゃあヤバいと呟いて席を移動した。店に居た他の客も、彼らの言動に注目するが絶対に近づかない。
「でも嬉しいよ、会いたいと思っていたんだ」
柔らかな声とは裏腹に、フェルディの灰色の瞳が黒く染まっていくようだった。
「早く言いなさいよ。うちのお頭切れるとヤバいって知ってるでしょ」
いつの間にか背後をガルテリオが抑え、逃げ出そうとしていた男を羽交い絞めにする。
「ぐえっ」
「大丈夫。ここで言い難いならよそで聞いてあげるよ」
むしろそちらの方が怖いと思ったのか、男が急に暴れだした。
「離せクソッ! この男女が!」
ゴッと鈍い音が辺りに響いた。
「ガルテリオ。それじゃあ会話出来ないよ」
「あらん。いやねえ、こんな頭突きぐらいで気を失うなんて」
おほほと笑う彼を、他の客たちが引きつった顔で見ていた。それに気付いたフェルディは、やれやれと小さくため息をつく。
そして手を伸ばした瞬間、その人物は現れた。
「・・・お楽しみ中申し訳ないが、その男の尋問なら我々に任せて頂けますか」
テノールの低い声。聞き覚えのある声に、ガルテリオの瞳が輝く。
「ゼノンじゃない!」
絞め落とした男を床にぽいっと放り投げ全速力で突進した部下に、フェルディがぎょっとして見やる。
「ご無沙汰しております。邪魔です」
丁寧なのかそうでないのか、ゼノンはイノシシのように真直ぐにやってきた相手を、左手の掌だけで横に押し、見事に投げ飛ばした。
「あの・・・非常に言い難いんだけど、前にも言ったように、あまり部下に手荒な真似はしないで頂きたい」
「ではきちんと教育してください。彼女にもこんなふざけた真似をしたら、その瞬間、この男の首を飛ばしますよ」
脅しではない本気を感じ取って、思わず溜息が出る。
「君がプリーストだとどうしても信じられない・・・ところで一人かい?」
「いえ。外に王都から応援に来た他のプリーストが居ます。あなた方の姿が見えたので追ってきました」
そして彼は何事もなく立ち上がったガルテリオを見て、やはりこいつは化け物ですねと呟く。
「今日こそそのマント、取ってもらうわよゼノン!」
「分かりました。その前に騎士団へお越しください。変質者として訴えて差し上げます」
「やだっ、いきなりデートのお誘いなんて! あ、でも、まって、今すぐ心の準備をするから」
「必要ありません。私について来てください」
「何それプロポーズ!? どうしようフェルディ、あたしったら、どうすればいいと思う?!」
かみ合わない会話に、フェルディもゼノンも深くて重い溜息をついた。
「海の藻屑になればいいよ」
フェルディはこの日人生で初めて、部下の事を心の底からそう思った。




