ゼノンの機嫌は最高潮に悪かった
人は悔しかったり、悲しかったりすると泣く生き物だ。極稀に嬉しくて泣く人もいるが、なかなかそんな経験は出来ない。
さて、時に人は怒りで涙を流すこともある。
「ぷ、プリーティア。どうか泣き止んでくだされ」
「すぐに出して見せましょう、大丈夫です」
「泣き顔まで美しい・・・」
「何を言っているんだお前。ああプリーティア、ご安心くださいませ。このプリーストが必ずや救出してご覧にいれましょう!」
「でもどうするのです。もう何年も開かれないのですよ」
「プリーティア、神々に祈りを捧げてまいります。あなたがここから出られるように」
そう神殿長が言えば、他のプリーストたちも後に続く。騒がしい男たちが居なくなったとたん、バッカスが顔を上げた。
「ユリ、どうしたの? どこか痛いの? ここから出してあげようか?」
百合は声もなく涙を流し、首を横に振った。
「どうして、泣いているの? 僕のせい?」
おろおろと視線を彷徨わせるバッカスの身体を、ぎゅっと抱きしめた。
どうして彼らはバッカスの名前を呼ばないのだろうか。
どうして彼らは、百合のことは心配してもバッカスを迷い人と、別の問題にしているのだろうか。
彼は小さな少年のまま、何年も放置されてきたのだ。鳥かごの中でしか生きられないように。ずっと独りだったのだ。
今まで他人なんてどうでも良いと思っていた。けれど、どうしてもっと早く彼を確認しなかったのか、百合は様々な意味から怒っていた。
言い表せないほどの怒りで体が震えるのは初めてだった。
バッカスは混乱しつつも、そっと女の背に手を伸ばした。
この人が自分のために泣いていると思ったら、落ち葉色の瞳からも涙がこぼれた。
「泣かないで、僕は大丈夫だから」
平気だよ、大丈夫だよ。彼はとても優しい声で囁いた。けれど、その言葉が何よりも彼女の心を責めたことには気付けなかった。
涙は枯れることなく落ちていった。
どれほどの時が経ったのか、百合はいつの間にか眠ってしまったようだった。
「おはよう、目が覚めた?」
柔らかな声に誘われて視線を上げれば、バッカスが花冠を作っている最中だった。
似合いすぎて違和感がないところが怖い。
「バッカス、おはよう」
「うん」
嬉しそうに笑うバッカスが、そっと花冠を百合の頭に乗せた。
白やピンクのそれはとても愛らしい。
「わたしにくれるの?」
「うん。とっても似合ってるよ」
流石紳士の国の人。スマートに相手を笑顔にしてくれる。
「ありがとう、バッカス」
百合は意識して彼の名を呼んだ。呼ばれるたびに嬉しげに笑う彼が可愛くて、そして申し訳なくてたまらなかったからだ。
「さっきも連中が来たよ。君が眠っていたのを見て凄く慌ててた」
くすくす笑う彼に百合は首を傾げる。
「どのくらい眠っていたのかしら?」
「さあ。僕も寝てたし・・・それに、この中に居たら時間なんて関係ないしね」
けろりと答える彼に、百合は眉をひそめて問うた。
「ねえバッカス。あなた、食事とかどうしているの?」
「食事? ユリは、お腹がすいたの?」
不思議そうに百合を覗き込んで、そっと首を傾げつつ花冠をいじった。どうやら先程百合が首を傾げたせいでずれてしまったようだ。
「すいてない」
「うん。僕も、すかないよ」
「え?」
「もうずっと食べてないよ。この中に居る間は、何も食べなくても平気なんだ」
バッカスが、どこか寂しげに微笑んだ。
その頃。ゼノンの機嫌は最高潮に悪かった。
騎士団の執務室に団長とフラジールの三人。一日中最低限の会話のみで過ごしていた。
フラジールはその空気に耐えられず無言で部屋を出て行き、廊下で胃の辺りを抑えていた。
高嶺の花が自ら神殿に赴いて四日。王都からは鷹便で応援を向かわせたという知らせが入ったが、それどころではなかった。




