牛柄見てると腹減るな
王都のエメランティス神殿で日々激務をこなすようになり数か月。ヨシュカ・ハーンは疲労と、ストレスから来る吐き気と日々闘っていた。
最近友人関係になった天才錬金術師、セス・ウィングが気付かって精神を落ち着かせる効果がある紅茶を送ってくれてからは、毎日それを美味しく頂いていた。
宝石のようなエメラルドグリーンの花弁が、紅い茶の中で踊っている。香りも良くお気に入りだ。
「ああ。なんて平和な時間だ」
うっとりと茶を見つめていると、元王立騎士団の副団長であり現在の護衛役であるアロイス・リュディガーが真面目な顔で咳払いをした。
「・・・何か」
「急ぎの文が届いておりますが」
銀製のトレーの上には白い便箋。便箋の淵には七色に光るインクで書かれた文字。ヨシュカはギョッとしてカップをソーサーに戻し、慌てた様子で便箋を手に取った。
中には小さな包みが一つ。
「ああ、何ということだ」
開けなければという義務感と、開けたくないと思う己の心。
震える手で包みを凝視するヨシュカに、アロイスが淡々と告げた。
「東方騎士団副団長、コラード・エステ殿が持ち込んだものです。早急に読まれたし、とのことですが如何されますか」
如何もなにも、七色に光るインクで書かれた文字には至急の意味があった。
各神殿の神殿長に一通ずつ渡されているもので、緊急事態にのみ使用が許されている。インクには西を示すヴェステンの文字。
西といえば、黒髪の美しい、そして誰よりも恐ろしい女を思い出した。
「か、開封します」
アロイスが無言で頷いたのが横目に見えた。
どうせ他に道はないのだ。ヨシュカはごくりと喉を嚥下させ、そして包みを開いた。
絹糸のような手触りの、短い髪が数本。
それに触れた瞬間、ヨシュカは動きを止めて瞳を閉じた。
しばらくして落ち着きを取り戻した彼は、東方騎士団副団長を呼ぶよう命じた。
とある騎士団よりも紳士的とうたわれる海賊の船長、フェルディ・イグナーツは雲一つない快晴を見上げていた。心地よい潮風に目を細める。
出港して数日。考えることは次の目的地と天候、そして美しいプリーティアのことだった。
今頃彼女はどうしているのだろうか。ほう、と息が落ちた。最近こんなことばかりだ。
そんな時、ピンクの髪をハンマーのように振り回す巨漢が笑顔で近付いてきて、彼はまた別の意味で息を吐き出した。
「見てフェルディ! 新しい情報が届いたわよ! なんと鷹便よ!」
鷹を使って情報交換することは珍しいことではないが、大変高価なので普段は行わない。差出人はどうやらセスのようだった。
彼女を通して知り合った小柄な少年だ。
フェルディは何気なく部下をみやると、どこに目をやっていいのか心底困る、透ける素材のベビードールを身にまとっている。六つに割れた腹筋がもろに主張しており、パンティは紐タイプで、柄は何故か牛。そう、牛だ。
肉が食べたいのだろうかと首を傾げた。
「・・・今日は随分と派手だな。肉が食べたいなら食堂にリクエストしておけよ」
「んもう! 出港したばかりでそんな贅沢しないわよ!」
それより確認して、と促され視線を落とした。
“王都の神殿から数十の騎馬が東に”
「数十? 見間違いじゃないのか?」
「東と言えば、今ユーリがいるほうじゃない! なにぼさっとしてんのよ!」
「ぼさっとはしていないよ。でも、彼女の傍には護衛がついていると思うけど・・・」
そう言いながら、いや待てよと気付く。
フェルディが美しいプリーティアと出逢ったのは港町ズューデン。崖の上に一人で立っていた彼女はとても無防備だった。護衛など連れていなかった。
そう、彼女を守れるものなどいない。だからあの時声をかけたのだ。
「・・・」
現在の位置からなら、二日もあれば東に回り込める。東の港は殆ど使ったことがなかったが、視察も兼ねていくと言うことなら多少の工程の変更は可能だ。
考え込んだフェルディを、良くできたピンクの髪の部下はにやにやしながら見守る。
「ガルテリオ。お前、肉食べたくないか」
「人の恰好見てそれ言うのやめて。でも食べたい」
よし、とフェルディはにっこり笑顔を浮かべた。
「ちょっと寄り道しようか。おいしい肉を買いに行こう。行先はそう、東へ」
ガルテリオが太陽のような笑顔で元気よく返事をした。




