あだ名は食パンマンでいいですか
「という冗談はここまでにして、本当に行くつもりですか。ここはおろか、西にも戻れないかもしれませんよ?」
「そこはあまり心配していないわ」
百合はゆるく首を振った。
「私は反対です。いくらなんでも直球過ぎます」
「そろそろ動き出すべきよ。患者は三日に一人のペースで増え続けている。このままではいけないの。もちろん、打てる手は打つわ」
百合は白い手を伸ばしてゼノンの腰にあるナイフを一本取った。
「何を!?」
ワンピースのポケットから小さな包みを出して、黒い絹糸のような髪を数本短く切り落とす。それを包みに入れ、更に白い便箋を取り出した。
便箋の淵には七色に光るインクで書かれた文字。闇の中でも発行すると言う不思議な成分を用いて作られたインクで、王都でも王侯貴族や神殿長しか使用が許可されない品だ。
「これを王都の神殿長に送って。これだけで意味が伝わるはずよ」
「・・・あの、最悪な事態とかになったりしませんか」
「大丈夫よ。神殿長にはプリーストやプリーティアにはない力がある。髪の毛からわたくしの記憶を読み取り、次の手を打てるでしょう」
文字を書くより簡単だと言えばコラードは渋々受け取り、次の言葉を聞いて動きを止めた。
「なるべく早い方が良いわ。あなた、今から行ってちょうだい」
「・・・・え?」
「出来ないの?」
「いや、え? 今ですか? 今から? もう夜中ですよ?」
視界が悪い中、夜空を駆けろと言うのか。
「だから、別に空中移動しなくてもいいじゃない」
そして百合はゼノンに手招きした。
「予備のローブを貸してあげて。プリーストの姿なら街を怪しまれずに出られるわ」
「いやいやいや! いくらなんでもこんな時間じゃ怪しいでしょう!?」
「・・・いいえ、あなたはまず街道を西に進むの。ある程度進んだら王都へ向かって。プリーストを付け狙うようなバカは、多分居ないわ。団長さん、馬を貸して」
厩はあっちだ。とレオーネは素直に教えてくれた。
「ちょ、団長!?」
「わたくしの傍にゼノンが居ないと思わせるほうが動きやすいの」
さっさと準備なさい。
高圧的に言い放った。
樹齢何千年という大樹を切り抜いて作られた神殿は所々根がはりつき、白くて小さい可憐な花々が咲いていた。
地上三階部分に入り口があるようだが、空を飛べない百合には入れない高さだった。
もちろん階段など無い。
さてどうしたものかと考えていたら、ふいに頭上から声が届いた。
「西のエメランティス神殿の、プリーティアですね」
「はい。お初にお目にかかります。わたくしは西のエメランティス神殿のユーリ。ご挨拶に参りました」
上で何やら複数の声がした。百合は笑みを浮かべて空を仰ぐ。
すぐに四人のプリーストが飛び降りてきた。一人が大きな槍を持っており、他の三人はどうやら前回会った男達らしい。彼らの中に警戒心はない。
「これはプリーティア、よくぞ参られた」
「いらせられませ、プリーティア。お待ちしておりました」
「再びお会いできる日を心待ちにしておりましたぞ」
男たちは相変わらずフードを深く被っており顔は良く見えない。ただ一人槍を持っている男だけは顔を出しているが、百合を見てごくりと喉が動いた。
四角い顔だ。丸坊主に、鼻のあたりにはたくさんのそばかす。普段日に当たる時間が長いのか、もとは白かっただろう肌が焼けていて、少し焦がしてしまった食パンを思い出させた。
顔の形以外平凡なため、数分後には忘れてしまいそうだ。
「神殿長がお待ちです。さあこちらへ」
「プリーティア、おつかまりなさい」
「何を言っているのです。さ、プリーティア、私につかまって」
ハッとした顔で男たちが互いの顔を見やる。
「ここは私が」
「いえ、私が」
「ははは。お二人ともご冗談を。さ、私が」
誰も譲らない中、槍を持っている男が動いた。
「私が運びましょう。一番体格が良いのは私ですから。プリーティア、おつかまり下さい」
槍を木に立てかけ、素早い凄きで百合を抱きかかえた。
「まあ、頼もしいのね」
「ごほん」
男は照れたように耳が赤くなったが、口を一本に結んでいた。
百合はその逞しい胸にそっと手を当てて大輪の花が咲くように笑んだ。
「お願いしますね」
「お、お任せください」
彼は他の三人から羨ましげな視線を送られ、満更でもないようだった。
そして連れて行かれた先には、木の中とは思えないほどの花畑。
古今東西の花々が咲き乱れ、川のせせらぎが聞こえた。鮮やかな羽を持つ鳥が飛び、草木と花の甘い香りが百合を包み込んだ。
「素敵ね」
「神々の加護でございます。神殿長が参りますまで、こちらでお待ちください」
一つ頷くと男はどこかへ行った。百合はその後姿を確認し、それから空を仰いだ。
どういう仕掛けなのか、頭上には太陽が輝いている。
そっと手を伸ばし近くの花に触れると柔らかな感触。生きている。
スカートの裾をわずかに持ち上げて歩を進めると、少し先に鳥かごのようなものが見えた。とても大きく、大の大人が数人入っても余裕があるだろうそこには、一人の男が横たわっていた。




