傷つく理由
百合は珍しくゼノンに怒られていた。
むすっと口元を尖らせる様子はとても愛らしいが、今のゼノンには関係がない。
そもそも何度も体を見た仲だ(主にゼノンが護衛として一方的に)。今更可愛い顔の一つや二つでゆらぐ男ではない。
「さっきの情けない悲鳴は貴方でしたか。まるで動物が尾を踏まれて泣き叫ぶような声でしたよ。いったい何があったんです?」
コラードが呆れたような顔で問い詰めるが、フラジールは悲しげに俯いて顔を上げない。もうコラードの存在自体に興味がないようだ。
「ううぅ」
ゼノンはちらりとフラジールを見て、大きなため息をついた。
「どうしてあんなに泣かせたんです」
「泣いちゃったんだもの。仕方ないじゃない」
「あの人が泣くとうざいでしょう」
「だって勝手に泣き出したんだもの! わたくしは悪くないわ!」
「そもそもどうして泣いたんです。何かしたのではないですか?」
ゼノンの声は静かだが、それは怒りと呆れに染まっている。
未だかつて彼にそんな態度を取られたことのない百合は正直戸惑った。
ちょっとした悪戯のつもりだったのに、フラジールが情けない声で泣き叫んだため事態が大きくなってしまった。フラジールを睨みつければ、ゼノンは無言で彼女の両頬に手を当てて視界を遮る。
「話を聞く時は相手の目を見るのです」
「・・・ちょっとからかっただけよ、ごめんなさい。まさかあんなに泣くと思わなかったの」
ここは素直になった方が得と考えた彼女はしおらしく謝るが、そんな性格は見透かされていた。
「からかっただけで泣くはずがない。彼はああ見えて、他国の戦士と死闘を繰り広げる勇猛果敢な男なのですよ?」
他国の戦士とはゼノンの事だが。
「ゼノン! そんな風に見ていたなんて!」
フラジールが、今度は歓喜の涙を浮かべた。
「でも奥様と離れてだいぶ時間も経っているし、持ってきた手づくりのお菓子もつきちゃって心が弱っているのよ」
「弱っていると知っていて泣かせるなんて、それでもあなたは神殿の使徒ですか」
いつになく責めるゼノンに、百合はとうとう口をつぐんだ。
「・・・コラード殿」
「え。はい?」
絶対零度の凍えるような声で呼ばれたコラードは、返事するの嫌だなと思いつつ口を開いた。
「ナンデスカ」
「明日まで彼女は外に出ませんので、こちらで作業しましょう。資料を騎士団から持ってきてください」
ゼノンは百合から目をそらさず言った。
「いやいや、機密文書ですよ? 持出なんて・・・」
「なら一日休みです」
「・・・半刻で戻ります」
強情な言い方だったが、半日休まれただけでも困る状況なのだ。
コラードはわざとらしくため息をついて部屋を出て行った。
「あなたは、お部屋で反省です」
「・・・はぁい」
百合はゼノンに連行されるように部屋に戻った。
「フェルディ・イグナーツから届いた手紙を出してください」
部屋についたゼノンは静かに扉を閉めて無表情のままそう言った。
「どうして彼からだと思うの?」
「不自然に隠したからですよ」
ここで観念しなければ彼の怒りは収まらないだろう。しぶしぶ手紙を渡した。
先程フラジールが騒いだせいで紙に変な折り目がついてしまっているが仕方がない。
「なぜ隠したんですか」
「だってあなた、彼が嫌いでしょう?」
それだけですか、と赤い瞳が問う。
「・・・その情報は不確定要素が強いの。情報としては不十分だわ。確証がないままではどんなふうに逃げられるかわからないし」
「それだけですか」
今度は口に出した。
「あなた、フェルディのこと嫌いじゃない。今だって機嫌が悪くなっているし」
「気に入らないのは本当ですが、隠されたことに傷ついているだけです。私の機嫌などどうでもよろしい」
そうか、傷付けたのかと彼女はようやく気付いた。
「・・・ごめんなさい」
今度こそきちんと心のこもった謝罪で、ようやく彼の表情から冷たさが消えた。
「それで、彼は今どこにいるんです」
「この手紙によれば別の国に行く準備をしているようなの。わたくしがここに来るとセス経由で知って、慌てて連絡をくれたみたい」
手紙の最後には、今度こそ花を贈りたいという一文が書かれていた。そもそも一度も花を貰う話などしていないのに、どういうことだろうかと首を傾げたものだ。
「迷い人の事は?」
「たくさん書かれているわ。でもさっきも言った通り、何か証拠があるわけじゃなくて、伝え聞いたことだけが書かれている」




