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麗しのプリーティア  作者: aー
第二章
67/203

なんて恐ろしい!

 小雨が降っていた。

植物は嬉しそうに葉を揺らし、時折音を奏でては恵みを喜んだ。

 東では時折朝方このように小雨が降った。それは天上の神々が恵みをもたらすようでいて、実は困った現象である。

 空中を自由に行き来できるのは木々が湿っていない時である。僅かでも湿った足元は危険だし、普段は葉の下に隠れた危険な虫や生き物が大量に出てくるのだ。街の至る場所で老若男女問わず悲鳴が響く。

「わたくしは、雨が嫌いではないわ」

「今日は出勤が遅れますね」

 コラードがため息を隠すことなく言えば、百合がふっと笑った。

「今日はお休みにしましょう」

「何を言っているんですか、ダメに決まってるでしょう!」

「あら、でもわたくし疲れたわ。今日ぐらいゆっくりしましょうよ」

 百合たちがこの街に来て数日経ったが、確かに休息は一日も取っていない。

 コラードは困ったように視線をめぐらせ、そして一つだけ頷いた。

「分かりました。とりあえず木々を移動できるまでは休息としましょう」

「ゼノン。わたくしは部屋に戻るから、何かあったら呼んで頂戴」

 百合は嬉しげに部屋を出て行った。

「・・・そんなに休みたかったんですか」

「今日は歩いてこられたんですか?」

 ゼノンはコラードの質問を無視して問うた。

「私一人なら平気ですが、皆さんをお連れするのは危険なんですよ。ああもう、しばらくはここから出られませんね」

 いじけたような態度を取っているが、その実彼は常々気になって居たことを聞いた。

「あのプリーティアは、別の世界の貴族の姫なんですか?」

「なぜ私に聞くのです」

 ゼノンが途端に警戒心をあらわにする。

「あなたはあのプリーティアの従者なんでしょう?」

「・・・」

 完璧に否定するつもりはなかった。

 ゼノンは彼女が居るから神殿に入ったのだ。それだけが事実だ。

「それに、彼女に届いた手紙。あれは何なんですか?」

「セスとは懇意にしていますので」

「有名な天才錬金術師から直接手紙が届くなんて凄い事ですよね?」

 そうだろうかと首を傾げた。

 ゼノンにとってセスは、少し頼りないが使える少年だ。骨と皮だけの身体は小さく、けれど己の役割に一生懸命。彼の知識に救われてきたこともあり、今後も良好な関係を築いていきたいと思っている。

 何より、セスの事を百合がとても気に入っているのだ。

「私にも届きましたが」

「彼女には二通ありましたよね。もう一通はどなたからですか」

 さあ、とその問いには答えなかった。

 ゼノンは手紙の内容を聞かされていた。それにはもう一人の迷い人について書かれていたらしい。

 百合は、ゼノンに必要以上のことを話さなかった。それは逆に言えば話せない内容があったということだ。

 ゼノンの額に深い溝が出来る。フラジールがそっと席を立った。

「ちょっと、どこにいくんです!」

「ほほ。私も少し部屋に戻ります」

 フラジールがそそくさと逃げ出した後には、絶対零度の空気が部屋を覆った。

 置いて行かれたコラードがフラジールを更に敵視するには、十分すぎる理由が出来た。



 控えめなノックが聞こえ、百合はベッドに腰掛けたまま返事をした。

「どなた?」

「入ってもよろしいかな?」

 フラジールの声に百合はふっと笑って快諾を示した。慎重な動きで彼が部屋の扉をくぐると、完全に閉じられないようわずかな隙間を作った。

 こういうところが紳士的だと思う。百合は安心したように微笑む。

「単刀直入に教えて頂きたい」

「あら。じゃあお茶を淹れましょう」

「いえいえ、それには及びませんよ。単刀直入に、と申し上げましたでしょう?」

 フラジールは普段とは違う空気を纏っていた。

 温和な彼にはふさわしくない、凍てつく色を瞳に宿している。

「プリーティア、教えて下さい。あなたは、この街の病をどうお考えですか」

「・・・進行速度が異常だわ。作為的なものを感じます」

 百合は彼の言葉に、わずかに眉をひそめた。

 なぜこの男はゼノンが居ない時にそんな質問をするのだろう。

「では、あなたが受け取った手紙には何が書いてあるのですか」

「なぜ皆、あの手紙を気にするの?」

「迷い人の事を調べるのも、私の仕事のうちです。わかっていることがあるのならばいい加減教えて下さい」

 フラジールは焦っていた。

 彼が与えられたいくつもの任務のうち優先順位の高い任務は、百合の護衛と、迷い人を調べることだ。

 だがどれだけ探っても迷い人の話は不自然なまでに見つけられない。移動のたびにオステンの騎士が邪魔をするせいもあり、フラジールのストレスは密かに限界を迎えていた。

 そんな彼の様子に気づいた百合は、大きな瞳をぱちぱちと瞬きして見つめた。

 そうするとまるで小さな子どもに見つめられているようで、フラジールのテンションがわずかに上がる。彼は小さな子どもにめっぽう弱いのだ。

「ご、誤魔化すのはよしてください。私は今しか聞けないと思ったので聞いているのです。普段はゼノンが貼りついていて近づくのも必死なのですよ」

 そうだっただろうかと百合は首を傾げた。

 あまりにも当たり前のように近い距離に居たので、彼の言うことが理解できない。

 だが確かに、ゼノンがいないというのは好機だった。

 百合がそっと手を伸ばしフラジールを呼ぶと、彼は無礼にならない程度に近づいた。

「もっと近くに寄ってくれないと話せないわ。秘密のお話しですもの」

 ちらりと、わずかに開いたままのドアを見ると、フラジールは一瞬迷ったように視線を彷徨わせたが、彼女の手に誘われるまま近づいた。

 そして、油断した。

「手紙は海賊を生業にしている友人から頂いたのよ。セスを通せば簡単に手紙のやりとりが出来るんですって。まだ返事は迷っているのだけど、あなたもご覧になって」

 フラジール・アンドレ。43歳。西方騎士団副団長に就任して早数年。愛妻家として知られる彼の優しく温かな焦げ茶色の瞳には、黒い髪と陶器のような白い肌の麗しい女の顔がいっぱいに広がっている。

視界の全てを彼女が占領した。

 百合は傷一つない細い腕を伸ばした。たわわに実った女の象徴が、フラジールの目の前でわずかに揺れる。

 白い枕カバーで覆われたそれの下から、一枚の封筒を取り出した。片手で器用に手紙を開いていく。

 そう。彼は今ベッドで、百合に押し倒されている。

 思考はとうに停止している。

 騎士団の副団長を務めているくせに油断して女に押し倒されたとか、柔らかくて良い匂いがするとか、己に与えられた部屋のベッドより高級な布団だとか、絹のような髪はまさしく絹糸のように重さを感じさせず心地よいとか。

 そして気付く。妻以外の女と床を共にしている現実に恐怖を覚えた。

「プ、プリーティア? どうか、どいてください」

 もし万が一この状況をゼノンにでも見られたら?

「今ここで暗記しなさい。こんな好機はもう二度と来ないわよ」

 唸るような低い声に、甘い雰囲気なんて存在しなかった。

 言われるがまま紙に目を移した。

「・・・失礼ですが、この人物は何者ですか?」

 そして自分の両手で顔を覆ってしまった。

「先程も言ったけど、海賊よ。もとはどこかの国の海軍だったらしいわ。綺麗な字よね」

「いくら調べても出てこなかった情報がこんなに・・・!」

 ううう、と泣き出したフラジールに満足して、彼女はそっと耳元で囁いた。

「この手紙を読んだことは、ゼノンには内緒よ? 言ったら、あなたがわたくしの下で泣いたことを知り合い全員にバラすからね」

 なんて恐ろしい脅しだろう。未だかつてこんな卑劣な人間は見たことがなかった。様々な理由から震える瞳で彼女を見上げると、美しい女が妖艶に微笑んだ。

 フラジールは更に恐怖で震えあがり、ふとドアを見て硬直した。

 そこには無表情の中に驚きを宿したレオーネ・ヴィンツェンツィオが立っていた。



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