彼は良くも悪くも前向き
「・・・」
「これはこれは、プリーティアは緊張しておられるのか? 気にすることはない、騎士団の中に居るかぎり安全は保障しよう」
ふっとバカにするように笑った男に、彼女は初めて動いた。白く傷一つない両の手でそっとフードを取り去り、感情を宿さない黒い宝石のような瞳で男を見据える。
「口上は結構。資料を見せなさい」
女と、ゼノン以外の全員が唖然と口を開いたまま固まった。
「わたくしたちはプリーストに頼まれたから、仕方がなく来てさしあげたのよ」
わかっていて? と、おっとり首を傾げる女は間違っても神殿に仕える存在には見えない。それどころか、どこの貴族の令嬢かと思うほど気品にあふれ気位が高そうだ。
「あなたが・・・プリーティアか?」
「団長、このプリーティアは迷い人です」
ああ、とオースティンは納得した。
「なるほど、神殿に入るしかなかったのだな。それは可哀想に」
また鼻で笑うと、しかし次の瞬間にはハッとしたように息をのんだ。
女が、まるで蛆虫でも見るような目でオースティンを見たからだ。
オースティンは貴族の出だ。確かに貧乏で色々貴族らしからぬ行動もしてきたが、間違っても貴族。ここまで見下された記憶は今まで一度もない。
「ゼノン」
白い手がゼノンに伸びた。すぐさま浅黒い手に握り返され、気付かうような動きで立ち上がる手伝いをされる。
「帰りましょう。わたくしたちは必要ないみたいね。フラジール、可哀想な人。こんな無能ごときに仕えているなんて、あなたの人生先が見えたわね」
初めて見せる、それはそれは愛らしい笑顔で毒を吐いた彼女は、ゼノンに手を引かれたまま男たちの前を通りドアへと向かった。木製の重たそうなドアを、けれどゼノンは軽々と開けて出ようとする。
「待て! 迷い人よ! お前にこの街の問題が解決できるのか!?」
「資料を見せろと言ったのに、邪魔をしているお前ごときに協力してあげる理由はないの。わたくしの力が欲しいのならば相応の態度で臨みなさい」
流れる様な言葉に、フラジールは頭を抱えた。
この気位は本物だ。なぜこんな女が神殿などにと疑問で思考が止まってしまう。
「お、お待ちくださいプリーティア」
それでもフラジールは何とか彼女の足を止めたかった。
「資料もお見せしますが、その前に実際の患者を診て頂きたいのです」
「飛沫感染しないという保証はあるの?」
「ひ、ひま・・?」
飛沫感染など、そんな概念すらこの世界にはない。そもそも科学技術を研究しているのは錬金術師と呼ばれる科学者に限定されており、一般人は魔法や錬金術師を頼りに生きている。
「・・・先に資料を見せて。判断はそれからよ」
わざとらしくため息をついてもう一度ソファーに戻った。優雅に足を組むと、ゼノンにお茶を頼む。ゼノンは当たり前のように頷いて近くにいた騎士に声をかけた。
「厨はどこだ」
「え!?」
え、なに、なんで俺、という反応をしている若い騎士は、戸惑った態度でフラジールを見やる。かつてなく情けない姿を見せる部下に溜息が出そうだが、フラジールは年配者として無理やり我慢した。
「案内しろ」
「は、はっ!」
騎士の敬礼を見せ、しかし未だに戸惑った姿の若い彼は、ゼノンを伴って部屋を出て行った。
「・・・プリーティア、貴殿の名を」
ここにきて何とか冷静を取り戻したオースティンが思い出したように聞いた。
「必要ないわ。ところで、早く資料を見せなさい」
白い指先がフラジールに伸びる。彼は少しためらった後、観念したように羊皮紙数枚を彼女に渡した。
「プリーティアの名を呼ぶものはいないわ。貴族の出のくせにそんなことも知らないの? クッションを頂戴。こんなに固いソファーで読むのは疲れるわ」
誰が神殿の使いだって? プリーティアってなんだったっけ!?
男たちの意見が一致したころ、熱い紅茶と、どこから持ってきたのか柔らかなクッションを脇に二つも抱えたゼノンが戻ってきた。
「プリーティア、お待たせいたしました」
静かな声に誘われるように女が顔を上げると、優しく目を細めたゼノンが甲斐甲斐しくクッションで彼女を挟むように両隣へ置いた。
跪いて紅茶を手渡す。神殿から持ってきたお気に入りのブレンドティだ。
「症状が出ているのは半年前から確認されているのね、でもきっともっと前からいたかもしれない。死んだ人間の特徴はどこ? 年齢と性別、それから自宅の場所を見せて。地図を持っていらっしゃい」
なんて高飛車なのだろう。オースティンはだんだん疲れてきた。部下の前だけど項垂れたくなってきた。副団長は凄いな、と顔を上げると、興味津々という顔で女の指示に従っている。
え、なにこれ、俺が悪いの?
オースティンは自分が色々置いて行かれたことにようやく気付いて、少しだけ気力を取り戻した。
ここで諦めちゃダメになる!
彼は良くも悪くも前向きなのだ。
「ち、地図など何に使う」
「資料はこれだけ? では、実際に患者を診ている人の話が聞きたいわ。誰でもいいから2、3人連れてきて」
完全無視だ。
「それからフラジール、話しを聞いたら患者を見るわ。馬車を用意して」
「ご安心下さいプリーティア、馬車はすでにご用意できております」
フラジールでさえ上司を無視している。
若い騎士がちらちら心配そうにオースティンを見るが、彼は不自然な格好のまま固まってしまった。しばらく復活は無理だろう。よくできた心優しい若い騎士は、そっと視線をそらした。