俺の心が平気じゃない!
彼はそれから数時間の間ゼノンの膝を枕代わりにした。目覚めた時あまりの状況の不可解さに理解できず、ゼノンとしばらく見詰め合うという事態に陥ったのだが、それを楽しそうに眺めている女を見た時、羞恥のあまり怒鳴った。
「どうしてさっさと起さないんだ!」
「あらだって、とても気持ちが良さそうだったのよ。邪魔するのは可哀想だわ」
「安心してください。あなたぐらいの重さなら平気です」
「俺の心が平気じゃない!」
「ふふ、病み上がりのわたくしがあなたに膝枕なんてできないでしょう? わたくしはか弱いもの」
人で遊んでいる状況でか弱いと発言されても信用する人間は居ない。
「王都の神殿長とやりあったって聞いたぞ。どこがか弱いんだ」
その言葉に反応したのはむしろ話を盗み聞いていた二人のプリーストだ。御者の席に座っているとはいえ、少しなら会話を聞くことが出来た。ゼノンは、二人の肩が震えたのが気配でわかった。
もちろんゼノンたちもその辺は注意していた。だからこそ百合はプリーティアとしての態度を崩さない。
彼らにとって百合はか弱く美しく、守るべき存在なのだ。
「あら。元神殿長を鞭で叩いたのはゼノンよ」
「あれは全く退かなくて困りましたね。よくもまあ私の鞭に耐えたものです。あのしつこさは敬服します。豚は豚でも食べられる豚ならば可愛げがあるものを」
はんっと鼻で笑うと、小馬鹿にしたような顔で空を眺めだしたゼノンを放置して、セスが恐る恐る言う。
「いや、今の神殿長なんだが・・・あんたら王都でいったい何をしてるんだ」
詳しい事情を知らなかったセスは、大方王都で好き勝手したのだろうと見当をつけた。
「今の・・・? ああ」
百合の瞳がスッと細くなると、室温が一気に下がった気がした。
「・・・え、ちょっと待て。本当に何をした?」
「したのは別の方です。強引に神殿長の部屋に泊まることになってしまって・・・プリーティアは好きな酒を飲んでいただけですよ」
「それだけの反応じゃなかっただろう!?」
そう、百合はただ酒を飲んでいただけだ。酒が苦手な若き神殿長は臭いにやられてしまい朝まで失神するという無残な経験をしただけだ。ちなみに彼はその後二日酔いがなかなか収まらず一日のほとんどをベッドで過ごしている。
「わたくし、あの子は苦手だわ」
「あの子って・・・お前たちにとっては偉い人物なんだろう?」
ゼノンも百合も合わせた様にセスから視線を逸らした。
そんなくだらない話をしていたら、セスはあることを思い出した。
「そう言えば、南の神殿の元神殿長に会ったぞ」
「あちらの・・・元神殿長?」
セスは神殿内で自分を助けてくれた老人の事を話し始めた。
火薬の事を聞いたゼノンが難しい顔になって思案する。
「なぜ神殿が火薬など・・・それにあそこに置いてあった暗器は何に使う予定だったのでしょうか」
「今回の件で、あの神殿の武器庫は全て改めることになるだろうって、元神殿長が言っていた。ところでこの焼き菓子うまいな」
改めた先が正しい道ならば良いと、ゼノンは思った。
あの神殿の体制は一新させるだろうが、それでもこの先は決して単調なものでは済まないだろう。
「わたくしがお世話なった子から頂いたのよ。13歳少女の手作りよ」
「・・・その少女の情報は俺に必要だったか?」
「運命の出逢いはどこにあるかわからないでしょう? わたくしはあなたの幸せも願っているのよ」
「いや、俺が13の少女に手を出したら犯罪だと思う」
「何を言っているの。ビジュアル的にはむしろありよ。それにとてもしっかりした子だったから生活は楽になると思うの」
問題はそこか? セスの頬がひくつくいた。
「アッシュブランの髪が可愛いの。今度お手紙を書くから持って行ってね」
「え」
「フェルディのついでで良いわ」
「あいつは海賊だからいつもあの街にいるわけじゃないだろう」
「あら、そうだったわね」
うふふと笑う百合を見て、ゼノンが一つ頷く。
セスが戻ったことで、彼女が本当に元気になったようだ。南の街に行ってからというもの、このように無防備に笑うことが少なくなっていた。
神殿内では笑っていたがそれはどこか作り物めいていた。フェルディたちの前でも笑っていたが、完全に警戒心を解いたわけではなかった。
「セスがいてくれて本当に良かった」
しみじみとゼノンが呟くと、セスが訝しげな顔をする。
「どうしたゼノン、あんた熱でもあるんじゃないのか?」
「いえ、こんなにも楽しげな様子を見るのが久々すぎて・・・」
セスは少し考えて、しかし微妙な顔をすると、
「後で薬湯を作ってやるからちゃんと飲めよ」
とだけ返した。




