今思い出したような顔
イーズは震える体を抱きしめた。自分の掌の温度は低く、緊張しているのか吐き気がした。血流が耳の奥で煩い。
明かりのない廊下を、足音を立てずに進む。慣れ親しんだはずの道が、今は知らない道のようで怖かった。
たどり着いた先には先程も訪れたプリーティアの部屋。大事なお客様だからと、神殿長並みの豪華で広い部屋を与えられていた。
本来立場や身分によって部屋を分けることを許されていないことを、彼女は知らない。彼女の世界はとても狭いからだ。
イーズはそっと扉を開けた。
心臓が驚くくらい高鳴っている。嫌な高鳴りだ。きっとこんなこと許されない。
「っ・・・!」
そこには美しい女が横たわっていた。
紅茶に混ぜた睡眠薬がよくきいているのか、ベッドに横たわった彼女は無防備にその寝顔をさらしていた。
何度見ても美しい。しかも寝顔は格別だった。生き物とは思えない完璧さがある。
南の神殿にはいない白い肌が石造のようで、本当に生きているのか確かめるために震える手で頬に触れた。きめ細かい肌はいつまでも触れていたくなる。
ほら、これは女神だ。同じ人間であるはずがない。
イーズはじっと“女神”を見つめた。そして絹のように月夜に輝く黒髪に触れようとした瞬間、呼吸が出来なくなった。
物理的に後ろから首を絞められたのだ。
太い腕が首に回っている。いつの間にか両腕は後ろで束ねられており、生理的な涙が浮かんだ。
ああ、女神様に触れようとしたから、きっと神々の怒りに触れたのだ。
ほんの数秒だったが、イーズにとっては長い時間に思えた。ガクッと体が崩れ落ちる。
「相手は女の子よ」
「あなた様を狙った不届き者です。配慮はしました」
瞳を閉じたままだった百合が、くすっと笑う。
「しかし何故こんな真似を」
「眠いわ」
一口しか飲んでいないとはいえ、イーズが用意した睡眠薬の効果は出ていた。
「この娘は王都に預けます。今はゆるりとお休みください。直にセスが到着します」
薬の存在に気付いた百合はすぐにゼノンを呼んだ。ゼノンを通してセスや騎士団にも通達がいっている。
「ゼノン、後はお願いね」
「御意」
百合の静かな寝息が聞こえると、ゼノンはイーズをぽいと放り投げた。うめき声をあげることも出来ず、気を失ったイーズは部屋の片隅に置いておかれた。
数分後セスがアンドレア・カルロを伴ってやって来た。
「こりゃあ、面倒なことになったな」
ろうそくの明かりに照らされたアンドレアは珍しく騎士の制服を着ていた。
「騎士団にゆだねることは出来ない。一足早く王都の神殿へ送ってください」
「そりゃあ構わないが・・・これはそのプリーティアの意志なのか?」
ちらりと百合を見やると、くたびれた様子で頬をかいた。
「私は殺しても良かったのですが、彼女がそれを良しとしない」
淡々と話すゼノンを、セスが困ったような顔で見た。
「一応プリーストじゃなかったか」
アンドレアが呆れた様に言うと、今思い出したような顔で頷いた。
「・・・ああ、そうでしたね」
アンドレアとセスはとても深い溜息をつくしかなかった。




