フェルディ・イグナーツ
「初めまして、ローレライ」
「・・・わたくしはプリーティアです。ローレライではありません」
「失礼。しかし、噂通り美しい容姿と声をしているので・・・」
そこに居たのは、灰色の髪に黒に近い紺色の瞳の青年。背はゼノンの方が少し高いぐらいだろうか。優しげな目元と、形の良い唇。しかし腰には全長40センチはありそうな銃が下げされていた。フリントロック・ピストルだ。古式銃とも呼ばれるもので、木材に銀の装飾がなされていた。物々しいのにどこか品があり目を引く。
男の服装も白いシャツにズボン。ブーツには鳥を模した刺繍が施されており爽やかな感じだ。
「女性がこのような場所で何をなさっておられるのですか? プリーティアは普段神殿にいるものと思っておりましたが」
疑問というよりは心配そうな声だった。一人で崖に立つ女を放っておけなかったのだろう。
「・・・空と海がとても美しいの」
「ああ、そうですね。ここから眺める海は・・・しかし、女性が一人というのは感心しません。この街は度々海賊に襲われていますし、今も港には海賊船が停泊していますよ」
「まあ! どこにあるの?」
くすっと男が笑った。
「この街のプリーティアではないのですね」
「ええ、わたくしは普段西のエメランティス神殿にいるの」
男は神殿で神々に捧げる祈りのポーズをとった。右手を左胸にあて、目を閉じ、腰を少しだけ落とす。
その姿は様になっていて敬虔な信者を思わせた。
「西のプリーティア、なぜこの街に? まさか、おひとりですか?」
「連れが体調を崩してしまったの」
男は更に心配そうな顔をする。
「あなたをここに残していくのは心配です。よろしければ港を案内いたしましょう」
「・・・海賊船を見せて下さる?」
男はきょとんと眼を瞬かせる。
「見たいのですか?」
「わたくしは、しばらくしたら西に戻るの。その前に色々見てみたいわ」
少し迷った様子だが、彼は一つ頷いた。
「・・・わかりました。しかし海賊船に乗っているのは荒くれ者ばかりですから、少し離れた場所からなら」
紳士的に手を差し伸べると、百合が少しためらうそぶりを見せた。
男は、この街で初めて出会った紳士だ。しかし相手が誰かわからない状況で、護衛のゼノンも居ない中、ついて行っても良いものか。そんな彼女見て男はすっと腰を落とした。
手を伸ばしたまま跪いて、騎士のように反対側の手を胸に当てる。
「ご安心ください。僕はこれでも腕に覚えがあります。僕の名前はフェルディ・イグナーツ。どうかお見知りおきを、美しいプリーティア」
百合はそっと、フェルディの手を取った。ゴツゴツとしていて掌は傷だらけだった。闘う男の手だ。ゼノンとは少しだけ違う。古い火傷の傷跡もあった。
「痛む?」
「・・・あぁ、すみません。女性に触れて良い手ではなかったですね」
フェルディはわずかに首を傾げた後、恥ずかしそうに手を離そうとした。百合が慌てて止める。
「いいえ、いいえ。ただ・・・きっと色々なことを経験してきたのでしょうね。とても勇敢な手だわ」
そっと手を握ると、フェルディはしばらくの間落ち着かないような顔で周りを見ていたが、意を決したように口を開いた。
「あの、プリーティアの中には癒しの力を持つものがいると聞くのですが、あなたにもそのような力はあるのでしょうか?」
「・・・わたくしは、あまり力は強くないの。ごめんなさい」
「あ、ち、違います! ただ、具体的にどのようなものかなと思っただけで」
普段、神殿から出ないプリーティアやプリーストの力に興味を持つものは珍しくない。
「あなたが思っているような便利な力ではないわ」
「そう・・・ですか」
フェルディはそっと下を見た。
白く傷のない手は滑らかで、この女性はきっと恐ろしい世界など知らないのだろう。そんな世界とは無縁なのだ。こういう人を果たして海賊船に近づけて良いのだろうか。
「参りましょう?」
おっとりと首を傾げて、フードの下から覗き込んできたプリーティアの瞳は、深い夜のような色をしていた。
実はフェルディは、先程少しだけ彼女の容姿を見た。風にあおられた彼女はとても美しく、そして崖という場所柄とても危険だった。思わず声をかけたのは、彼女をここから立ち退かせるためだ。
「ええ、そうですね」
フェルディは彼女の手が傷まない程度にそっと握り返した。
「ところでフェルディ様、どうして海賊船は港に入れるの?」
「僕の事はどうかフェルディと」
フェルディは優しげな笑みを浮かべた。
「海賊にも色々あって、街を絶対に襲わないと盟約に誓った船や船員は港に入港を許されるのです。海賊と言っても、この国に危害を加えるものは少ないのですよ」
「でも、この街は度々海賊の被害に遭っているのでしょう?」
「この街を襲うのはアファナーシー・ニキータという海賊です。恐ろしい男で、浅黒い肌に黒い髪、そして赤い瞳の異国の男ですよ。体も態度も大きくて驚くほどです」
おどけた様に言いつつ、時々百合を気遣って足元に注意を促した。
「浅黒い肌に・・・赤い瞳?」
「気になりますか?」
その特徴はゼノンと似ている。もとは同じ国から来ているのかもしれない。
「・・・いいえ。それよりも、どうして度々襲われるのかしら? この街には騎士団があるのに」
騎士団と言うと、フェルディの足が止まった。
「僕は正直わかりません。彼らはその・・・治安に貢献しているのでしょうか?」
「どういう意味かしら?」
「・・・いえ、なんだかその・・・」
フェルディが口ごもった後、とても小さな声で言った。
「何故彼らはいつも服を着ていないのか」
それについて百合は答えを持っていたが口を閉じた。




