彼女の名前
「プリーティア、我々の本来の使命は南のエメランティス神殿を探ることです」
「そうねえ」
南のエメランティス神殿は現在様子がおかしいとのことで王都のエメランティス神殿が心配している。ただでさえ元神殿長のせいで信頼が地に落ちる直前なのだ。地方で勝手な真似をされたらたまらないのだろう。
「しかしこれはどういうことでしょう」
ゼノンは、たった一日で酷い人間不信に陥りそうな顔でお茶を淹れた。
レンガで作られた古い神殿の中は、外観とは裏腹に内部は白壁だった。木材の優しい茶色と白い壁が何とも落ちつく雰囲気だ。所々に花が飾ってあり、西のエメランティス神殿とは違って神殿自体に結界はない。誰でも入ってこられるようになっており、あっけなくたどり着けた目的地に言葉を失ったのは一時間ほど前だった。
「たしかに神殿に仕える者としておかしいのは事実よ。わたくしたちは全てを神々に捧げるという名目で神殿に身を置いている」
二人を神殿まで送ったのは半裸の変態の頭、もといアンドレア・カルロであった。
爽やかな笑みを浮かべて神殿の人間に挨拶した瞬間、黄色い悲鳴が響いた。神殿には相応しくない興奮したそれに、美しい女は本日二度目の真顔になった。
美しい造形をした人間が真顔になることほど恐ろしいことはない。ゼノンだけが彼女の不機嫌に気付いたが、アンドレア・カルロに熱狂している南のエメランティス神殿の人々は微塵も気付かなかった。
結果、鈴の音のような声に淡々と説教を受けた彼等は、しばらく滞在したいと言った二人を受け入れた。セスは、危険性はあまりないだろうということで騎士団に置いてきた。もの凄く悲しげな顔をされたが気のせいということにした。
「あの男のどこがいいのか理解できないわ」
「・・・プリーティア、あのような野蛮な男たちにあなたが近づくのは、私は反対です。あなたを化け物などと罵って謝罪もない。あれで騎「お黙り、ゼノン」
最後まで言わせなかったのは、ここが南のエメランティス神殿だからだ。何処で誰が聞いているのかわからない状況で下手な発言は許されない。
「わたくし、少しこの神殿を見て回りたいわ」
「・・・はっ」
ゼノンは硬い表情で頷いた。
「ねえゼノン」
「はっ」
反省しているのか、悔しいのか、ゼノンは声をかけられても顔を上げなかった。白く傷のない手が浅黒い頬を撫ぜる。
「大丈夫よ。大丈夫、わたくしがいるわ」
ゼノンは驚いたように目を見開いた。
「言ったでしょう? わたくしに任せなさい」
「し、しかし・・・あなたを守るのが私の役目で・・・」
だがあの上半身裸集団の中に入れと言われても正直本気で嫌だった。だからと役割を放りだすこともしたくない。なんだか究極の選択を迫られている気分だ。
あんなに気色の悪い男たちは初めてだ。戦場でもお目にかからない人種に、思い出すと気分が悪くなる。
「騎士団はセスに任せましょう。わたくしたちは神殿を調べるの。これが終われば帰れるから、ね?」
「・・・はい」
まるで迷子のようだと思った。
ゼノンは普段口数が少なく何事も堂々とこなすが、本来この国の人間ではなく不安定な状態でなし崩し的に神殿に入った男だ。
美しい女はふっと笑った。
「わたくしは見まわってくるわ。今日は疲れたでしょう? ここで休んでいて」
「ユリ、どうか御無事で」
囁くように言われた言葉に、少しだけ勇気を貰った気がした。
「発音が違うわ。わたくしは・・・百合。白く、気高い花よ」
「はい、百合」
天羽百合。それが女の本当の名前だ。もう呼ばれることも少なくなった、彼女の名前だった。




