彼女がいない日々ーゼノン昔語りー
幸せな日々は過去の積み重ね。
ゼノンの回想話はじまりです!
ふと目を開けると、少し離れたところにカラフルなベビーベッドがあった。そこには二人の子供が眠っている。
妹が生まれてから兄となった息子は片時も離れず、今も頬をぴったりくっつけている。
二人の穏やかな寝顔をのぞきこむと、娘がわずかに顔をしかめていた。兄がくっついていることで暑いのだろう。時折足でけっているようだが兄が目覚めることはない。
良くも悪くも一度眠ると中々起きないのが彼なのだ。
ふっと笑って小さな頭をそれぞれ撫でてやると、二人ともふにゃりと口元に笑みを浮かべた。
そんな彼らを見て、父親は己のてをじっと見つめた。この国に来たとき、彼は満身創痍だった。何とか逃げて、逃げて。そうしてようやく命が助かった彼が選んだ道の先に今がるのだと思うと、とても不思議な気持ちになる。
ガタガタと音がして彼は顔をあげた。風が強すぎて開くことのない窓の外は今日も曇っている。
その雲を見ていると、つい昔ことを思い出してしまうのだった。
百合が深い眠りについたあと、ゼノンがヴェステンに戻ったとき彼は一人だった。セス達は一足先に戻っていたし、もともとプリーティア誘拐犯としての知名度は決して低くなかった。
それでもヴェステンの人々は彼を庇った。庇いながら食事や寝床の提供以外に金銭を持たせ、騎士団も協力して逃がす手はずを整えたほどだ。しかし彼は金銭だけは受け取らなかった。
ゼノンでは神殿に入ることはできないが、彼は何度も足を向けた。泥だらけになるほど山をさ迷うたびに街の住人に保護されて清められ、気づけばまた神殿に足を向けていた。
時には騎士団長のオースティが直々に保護し説教をすることもあったが、彼は何度も、何度でも足を向けた。
誰がなんと言っても、ゼノンにはわずかも届かなかった。
そのうち、神殿から一人の老人が下りてきた。神殿長だ。
「ゼノンよ、今はまだ目覚めぬ。そなたの姿を見ればプリーティアは怒るであろう。己が眠っている間何をしていたのかと、問い詰められてしまうぞ」
穏やかな声は不思議と彼に届いた。
「やることがないのなら、頼まれておくれ」
そうして神殿長はゼノンに一つの頼みごとをした。彼はとくに考えることもなくうなずいた。
翌朝彼は静かに街を出ようとしたが、どうしてか多くの住民が集まって、ただすがるような目で彼を見送った。ゼノンと百合が救った少年と少女だけは彼のもとに駆け寄った。
「ゼノンさん、きっと帰ってきてね」
「まってるからね」
苦しくても助けてと言わなかった子どもたちが、彼の足に必死にしがみついて懇願した。
自分たちを見捨てないでとその目が伝えていたからだろうか、ゼノンは頷いて彼ら一人一人を抱きしめた。
最後に街の人々に深々と頭を下げて出て行った。
ゼノンがいなくなったヴェステンの街はまるで葬式のように暗く沈んだのだった。
ゼノンが神殿長から頼まれたのは各地の神殿の様子を確認して欲しいとのことだった。本来ならば神殿に入れないゼノンだが、ヴェステンほどに神々の力が効いている神殿はほとんどなく、他の地ではあっさり侵入することが出来た。
「いやだからってな、お前なんで真っ先にここに来るかな?!」
今日も今日とて上半身裸の騎士団長が叫べば、部下たちが戸惑ったように顔を見合わせていた。
「・・・武器を所有し、海賊と手を組んでいた神殿を真っ先に調べるのは当然ですが何か」
「お前は神殿を追い出されたんだろう!?」
「ヴェステンの神殿長直々の頼みを断れるとでも?」
「王都の神殿長の頼みは断るんだろう!?」
「当然ですよ。なぜ私があんな青二才の命令をきかなければならないのです」
当然じゃねえよ! と耳元で叫ばれたが彼は気にせず神殿に侵入して堂々と見て回った。
プリーストもプリーティアも驚いて蜘蛛の子を散らすように逃げていったが、見慣れない一人の老人が近づいてきて丁寧に案内してくれた。聞けば彼は以前も神殿長をしていたらしく、退任したのに戻ってきてしまったとこぼしていた。
ついでにセスは元気かと問われたがしばらく会っていないと答えると寂しそうにうなずいた。
百合の隣にいた頃は誰を見ても笑顔だったのに(ゼノンから見れば)、今彼の目の前の人々は皆悲しげな顔をする。
それがとても、悲しかった。悲しいと気づくまでに時間がかかったが、気づいてしまえば余計気になった。
武器は全て売り払った。今は海賊どもに渡った宝を買い戻しているところだ。ところでお若いの。なぜそんな顔をしている? なに、皆が暗い顔をしていると? それはあなたのことだろう。あなたが一番悲しい顔をしているよ。
神殿長に言われてようやく、そうか自分が一番ひどい顔なのかと気づいた。
けれどもともと無表情で口数も少ないゼノンだ。どうすればいいのか全くわからない。
それならちょっと海で働いてごらんと言われて、神殿を出た後は港で漁師の手伝いをしたりカフェで給仕をしてみた。意外にもカフェのほうが楽しくてしばらく働いていた。
そのうちなぜか人気が出てしまいカフェは連日大賑わいになったが、ふらっと現れた元海賊フェルディにもの凄く怒られた挙句ピストルで撃ち殺しかけられ大乱闘になった。
逃げるのは悔しかったが店が壊れると他の店員に泣かれたため仕方なくそのまま街を出た。フェルディはしつこく追ってきたが部下に絆されたのかしばらくすると姿を消した。
次は何処に行こうかと考えて、そういえば賭け事好きなプリーストが多い神殿もあったなと思いだし方向を決めた。
馬を使わない一人旅をなんとなくはじめてしまったが、最後に百合と会話をしてもう一年近く経ってしまった。
この旅が終わるころには彼女は目覚めているだろうか。
ぼんやりとそう考えて、彼は足を進める。彼の旅はまだ始まったばかりだった。
「あらどうしたの、ぼうっとした顔をして。窓の外に何か?」
ゼノンは急に声をかけられて思い出から現実に戻ってきた。最近ほんの少しだけ声が低くなった女が問えば、なんでもないと首を振る。
そう、あの日々は何度思い出しても悲しくてさみしいものだった。
けれど今は、こうして愛しい我が子たちと、そして女がいる。
ゼノンは、昔は浮かべることもなかった柔らかな笑みを浮かべ、そっと女の名を呼んだ。
「百合、今夜は何が食べたいですか」
「肉ね」
はっきりした物言いが、なんとも心地よかった。




