外伝 14 オースティン・ザイルの憂鬱な日々 3
しなやかな白い指先が、酔いのせいかわずかに染まっていた。うっとりとオースティンの頬を撫でると、甘えるようにその胸に寄りかかる。
見慣れた居間の、見慣れないカーペットとソファカバーを眺め金額を計算する。己の給金の数か月分にはなるだろうそれに冷や汗が流れる。
「旦那様、一目お会いした時からお慕いしておりましたの」
オースティンは黙って酒を傾けると、ぼんやりその言葉を心中で否定した。
ああこれ、嘘だな。よくあるやつだ、ほら、酒に酔ってなんとなく良いなって思った相手に囁く甘い嘘。
流されたら最後、地獄にハマるパターンだ。
「西での活躍は聞き及んでおりましたわ。こちらでも何度も話題にのぼりましたのよ」
甘ったるい声で、大きな目を細める。少女と大人の境目にいる彼女は、自慢の胸をこれでもかと密着させると、上目使いに微笑んだ。
これが普通の男ならころっと騙されてしまうのだろう。酒の力もかりて、初夜を楽しむのかもしれない。
だがオースティンは己が王都の貴族連中になんと言われているのか知っていた。知っているからこそセシリアの行動は理解できなかった。
そしてはたと気づいた。手慣れている。こんな一見無防備な姿をさらすことに抵抗のない処女がいるものか。これはそうとう男遊びをしているようだ。
オースティンは昔から見た目が整っていたため、実家が貧乏であろうと女が寄ってきた。一夜限りの火遊びの相手としてうってつけだったのだろう。
そんな女たちと、目の前のセシリアの様子は全く一緒だった。
「ほう、どんな噂かな?」
だからオースティンはそれに乗ることにした。
「ふふっ」
嬉しそうに笑う女の瞳は、酔っ払いのそれではなかった。獲物を定めた目だ。決して逃がさないという自信の表れ。
「なんだ、教えてはくれないのか」
言いながらオースティンはどうやってこの令嬢を寝かしつけるか考えていた。ここはもう最後の手段しかない気もする。
胸に寄りかかった女の後頭部を見つめ、ふと部屋の隅に控える使用人の一人に視線をやった。
壮年の彼はとても優秀だが寡黙で謎も多い。だが言葉にしなくてもオースティンの願いを察知して動いてくれる。まるで手足のような男だった。
気配すら感じさせず二人の前まで来て、新しいワインのボトルを開けた。セシリアのグラスにワインを注ぐと、胸ポケットから緑色の小瓶を取り出した。音もなく一滴たらすと、すっとオースティンに差し出した。
「レディ、このワインは新しいものだが女性でも飲みやすく評判がいい。さあ、一口飲んでごらん」
「旦那様が飲ませて下さいますの?」
ガキのくせに口移しをねだるのか、初対面の男に。
喉まで出かかった言葉を無理やり飲み込んで、オースティンは笑みを浮かべた。
どこか獰猛なそれを見て、セシリアは慌てて頭を起した。
「それもいいかもしれないな」
「もう、冗談ですわ」
何かに怯える様にグラスを手に取り傾ける。一口、もう一口と飲んでいる間に瞼が重くなってきた。
「どうしたレディ、まさかもう眠いのか?」
ぼんやりとした表情を浮かべる女に、オースティンが耳元で囁く。
「しょうがないな。さあ、もうおやすみ」
こういえばだいたいの女はすやすやと安らかな眠りにつく。セシリアも例外にもれず穏やかな寝息をたてはじめた。
それを確認し、やれやれと呟きながら女の頭を押しのけて立ち上がった。グギッと変な音が響いたが気にしなかった。
「徹底的に調べてくれ。この御嬢さんはずいぶんと遊び慣れているようだ」
控えていた使用人がうっすらとほほ笑み頷いた。
「ねえ団長、あの女本気で怖いんだけどどうしたらいいんですか」
不機嫌を隠すことなく執務室に突入してきた美少年を見て、オースティンはため息を飲み込んだ。これで三日連続だ。
「・・・今日はどうした?」
「宿直室の前に高級菓子が扉の前に積み上げられてた。なんなの、お供え物なの? 僕は神様?」
セシリアは初日の不敬を挽回しようと躍起になり、到着翌日の早朝に出勤してきた彼を捕まえて無意味に褒め称え往来の邪魔をし怒られた。
二日目は早朝鍛錬のため剣の稽古を受けている時にやって来てティーセットを準備し、一緒に食事をとろうと誘い逃げられたが諦めず、昼時にランチボックスを持ってきてまた逃げられた。
三日目の今朝は、本来ならば前日から宿直当番を割り当てられていたのだが、セシリアという不審人物がいるため他の騎士が交替してくれた。その礼をしようと早朝に好物を持って行った帰り、大量の生菓子が置かれていたらしい。その時間わずか数分の早業である。
ちなみに誰かの手づくりらしく、ゾッとした彼は早々にその場を立ち去って今に至る。
「ああいうの、僕の世界ではストーカーっていうんだよ。立派な犯罪なんだよ! もしここにユーリが居たらお菓子全部燃やせって言ったに違いないよ!」
「ああそうだな。そろそろ芋の時期だ。燃やそう。そして芋を焼こう。今日のおやつは焼き芋にしよう」
「現実見て! なんか甘ったるい焼き芋になっちゃうよ! 芋のうまみは自然の甘さで充分だよ!」
なかなかうまいことを言うなと感心していたら、何かを手に持ったフラジールがやってきた。
「団長、こちらを」
フラジールの手には美しい色紙でラッピングされたアップルパイ。中身を確認するために半分に切られていたが、そこからはキラキラと輝く長い毛がのぞいていた。
オースティンとバッカスが同時に「ひぃっ」と叫んだ。
「・・・一応確認するが、それは菓子か?」
「はい、セシリア嬢がバッカスに差し入れた菓子の中に、大量の毛が混入されていました」
「わああああっ、なにそれ気持ち悪っ! 最悪だ! もう実家(神殿)に帰るからね!」
なんだか嫁が癇癪を起して実家に帰らせていただきます、みたいな言い方になったが気持ちは理解できたのでオースティンも許した。
「フラジール、バッカスに護衛を手配しろ。あとそのおぞましいものを全て処分するよう伝えてくれ」
「分かりました。ところで団長」
「なんだ」
「こちらを最初に確認した騎士が吐き気を催しトイレにこもってしまったのですが」
「・・・・鍛え直せ。でもその前に濃いめの紅茶を淹れて慰めてやっていい」
かしこまりました。とフラジールが黙礼した。
それにしても何故こんなことをしでかしたのだろうか。頭を抱えて唸っていると、パイを処分したフラジールが再度やってきた一通の封書を手渡してきた。
「こちらをお預かりしましたよ。どうやら執事殿からの封書のようです」
「なんだと?」
急いで封をとくと、それはとても分厚い書類の束だった。ぱらぱらと捲るたび表情が死んでいく上司を見て、ただ事ならぬようだと察知したフラジールは、そっと部屋を出ようとしたが、あと一歩間に合わなかった。




