外伝 13 オースティン・ザイルの憂鬱な日々 2
「おや、遅いお帰りで」
オースティンがヴェステンに戻ったのはそれから四日後だった。
季節の変わり目のせいか、花びらが空を舞っていて美しい光景がそこかしこで見られる。
とても良い季節だと目を細めてしばらく見入った。
「・・・すまなかった。書類に手間取ってな」
「ほう、あちらでもお仕事を? ご実家に戻られたのではなかったのですか?」
部下であるフラジール・アンドレの労わるような視線に、オースティンはようやく帰って来たのだと肩の力を抜いた。
「その実家が、勝手に婚姻を成立させてしまってな。撤回を求めたんだが正式書類だから難しいと押し問答になって時間がかかった。しばらくは婚姻を解消できんらしい」
「どなたかが婚姻を結ばれたので?」
四十五になった男が首を傾げ問えば、最近くすんできた金髪をガシガシとかいたオースティンが低い声で答えた。
思い出すだけで腹が立つ。
「私だ。知らん間に結婚させられていた」
「・・・・・・は」
「国王との謁見まで調整されたのでな。職務があるのでこの婚姻を無効して欲しいと言ったら、勝手に頑張れと見捨てられた。わかるか、私の気持ちが! 多少見た目が整っているからと勝手に家に入り込むような女を、知らん間に妻にされた私の気持ちが! ああ、今ならゼノンの気持ちがわかる! こんな侮辱があるものか! 私は誰でも良いわけではないんだ、このヴェステンを一緒に守ってくれるような女がいいんだ! 一人だけ安全な王都に残るとのたまうような女を、この私が選ぶと思うか!?」
荒れている。いつにない様子の上司に、流石にフラジールも心配になりそっと肩に手をのせる。
「どうか落ち着いてください、それで、時間をかければなんとかなるんですか?」
「・・・わからん。とりあえず、向こう半年は婚姻解消できんらしい」
「半年ですか。まあすぐに過ぎますよ。仕事もたくさんありますし」
そう言えば、いくぶんか落ち着いたようだった。
「・・・そうだな。うん、そうだよな。その間、絶対王都には帰らないから」
それはどこか鬼気迫った様子だったと、のちにフラジールが語った。
ヴェステンに居れば安全である・・・・というわけではなかった。
何を思ったのか、二週間後には大きなトランクを三つ持ったセシリアが突撃してきたのだ。
「ここが旦那様の職場なのですね」
書類の山と格闘していたオースティンは信じられないものを見たという感じで、目の前の女をマジマジと見つめる。
これは夢か? いやきっと夢だろう。そうに違いない。
そんな無駄な現実逃避をすること一分、セシリアを気にするような視線を向けてきた美少年に気付いた。
「団長、この人は・・・」
「あら? あなた、綺麗な瞳ね。お名前は?」
落ち葉色の少年に、不躾に手を伸ばしたセシリアは直後悲鳴を上げることとなる。
指先が触れそうになった瞬間、白い檻がその手を拒んだのだ。
「な、なんですの、気持ちの悪い」
まるで化け物を見る様な目で少年がセシリアを見た。
場の空気が絶対零度まで下がる。焦ったのはオースティンだ。少年は迷い人と呼ばれる存在で、決して無下に扱わないのが暗黙のルールだった。
「・・・こらこら、彼女は団長の花嫁殿だよ」
部下のフラジールがたっぷりその様子を眺めた後で、やんわりとした口調で割って入った。だがその声はどこか冷笑を含んでいて本心がうかがえた。
「これはっ、いったいどこから!?」
「ああ、困りましたな団長。花嫁殿が迷い人を怒らせてしまった」
「迷い人?! この子供が!?」
セシリアの姫に驚いた他の騎士たちが団長室の前に集まってきて、なんだなんだと騒ぎ立てる。
「副長、今、迷い人を怒らせたと聞こえましたが、いったい何が!?」
「無事ですか、バッカス?」
「バッカス、どうしました!?」
無骨な男達が部屋に押しかけてきて、またしてもセシリアが悲鳴を上げる。
「いやああっ、なんですの! どうして服を着ていないの!?」
「・・・お前たち、鍛錬の最中に乗り込んでくるんじゃない。あとバッカス、悪かったな。このお嬢さんはどうやら私の嫁らしいんだが、勝手に家が決めたことで困っている。私の嫁として扱う必要はないが、貴族令嬢だから無体にはしないでくれ。うちじゃあ賠償金とか払えないから」
なんとも世知辛いセリフに全員が動きを止めた。
「旦那様、わたくしは旦那様のためにはるばる参りましたのよ!?」
「・・・ああ、うん私か。とりあえずフラジール、やつらに服を着させなさい。まるで南の連中みたいじゃないか」
「はは、今日は暖かいですからね。まあ皆も、戻って鍛錬を続けなさい」
はーい、と気の抜ける様な返事をして部屋を出て行った。
どうやらその様子を見て少年も正気を取り戻したように冷静な瞳に戻った。オースティンは人知れずホッと息をつく。
「フラジール、こちらの令嬢を応接室へ」
「はい団長、ただいま」
「お、お待ちになって旦那様! わたくし、あなたさまのおそばに参りましたのよ。応接室なんて不要ですわ。それに、令嬢なんて・・・どうか名前で呼んでくださいませ」
うるうると瞳に涙をためるが、それが逆効果だとまだ気付いていないようだ。
「ともに夜を過ごした仲ではありませんの」
フラジールが石造のように固まり、白い檻の中に避難していたバッカスはうわ、と呟いて上司を見た。
「団長、趣味わるっ」
その一言は何よりもオースティンの心に深く刺さったのだった。
フラジールがセシリアを連れ出した瞬間、オースティンは頭を抱えてか細い声で言った。
「言っておくが手は出していない。どうせ離縁するのに傷物にするわけがないだろう」
「それにしてはさっきの言い方だと、団長とヤッたってきこえましたけど」
じとりと睨みつけるバッカスに、オースティンが困り果てたように笑った。
「酒に酔わせて寝かせただけだ。私はそのあと離縁のための書類作成に勤しんでいたからな、確実に手は出していない」
ただ、と彼は声を潜める。
「どうもなあ、あの娘。生娘じゃないっぽい」
「へえ、団長は傷物を押し付けられたの。かわいそう」
うーん、と首を傾げると、あの初対面の夜の事を思い出していた。




