限界はあっけなく訪れた
数十分後。ヨシュカは己に与えられた部屋で足を組んで座す女を見つめていた。
無駄なものはないが、ベッドだけは大きくふかふかの高級家具だった。テーブルは小さなものが一つ。それに合わせた椅子も一つ。花を飾ることもなく、壁一面には本棚が設置され、神々に関する本が詰め込まれている。
ちなみに衣装ダンスなどない部屋では、ベッドの下に簡易箱を用意しており、そこに衣類や文具などが乱雑に入っているのだが、彼以外知ることはない。
ヨシュカは大変疲れていた。
どうしてこんなことに。昨日まで平和だったのに。頭を抱えたいがなけなしのプライドがそんな自分を許さなかった。
「ねえ坊や」
「・・・もし私を呼んでいるのでしたら呼び方を改めて下さい。これから私は中央の神殿長になるのですから」
「安心なさい。わたくしが坊やと会うのはこれで最後よ」
え? 首を傾げたヨシュカに、白い足を組み直して背筋を伸ばした。
「病の件といい、先ほどの堕落しきった元神殿長といい、神殿はこれからどうしたいのかしら?」
「どう、とは?」
「腐敗は一掃しなければまたすぐに始まってしまう。例えば食べ物でもそうよ。一見カビを取り除いたつもりでも、人の目に見えないものは残っている。あなたはこれから神殿長になると言ったけれど、あなたがなったところで神殿はどう変わるのかしら?」
ヨシュカはハッとした表情になると、すぐに俯いて眉を寄せた。
そんなこと、ヨシュカだって誰かに聞きたい。
優秀でも齢26。まだまだ若造の域を出ていない。そもそもヨシュカは王都から出たことがないのだ。外を知らない、穢れのない存在。酒には弱く、好物も特になく、ただただ真剣に神々に対する知識を集めただけのつまらない人間。それがヨシュカ・ハーンという男だ。
「・・・腐敗しているのならば、それは一掃します」
「坊やにできて?」
弱弱しい声に、美しい声が囁くように続けた。
「します。しなければ、神殿は機能しなくなる」
神殿は祈りをだけの場所ではない。弱者を救済するためにもあるのだ。
「具体的には?」
ヨシュカは今度こそ言葉を失った。
そんなことわかるわけがない。こんな事態は前代未聞だ。経験不足の彼にはわからないことだらけで混乱している。けれど助けを求めることもできない。
「ねえ坊や。例えば、お金を扱う部署にいる人間を長く置いておかず、必ず別の部署へ回す理由をしっているかしら」
「お金・・・ですか?」
「良くも悪くも、一か所に長くいることで不正を働きやすくなるの。今回も、何十年という長い時間を一つの街で過ごすことに、疑問があるわ。確かに、人々に安心を与える材料にはなるかもしれない。けれど、人は過ちを犯す生き物だわ。たまには違う環境で違う空気を吸う必要もあるのではないかしら」
神殿に居るものを除籍することは基本的には出来ない。元神殿長のように腐敗した考えを持つものは少なくないだろう。それらを全て一掃するのは現実的ではない。
「あなたの知らない神殿の姿があると思う。でも、今あなたがするべきことはそれらの把握ではないわ」
考えなさい。
最終的に丸投げした女に、ヨシュカは深く頷いた。
その後再び良くできる執事がやって来て、二人分の着替えと食事を置いて行った。
「まあ。このわたくしに、ここに泊まれと言うことかしら?」
「あの、ここは私の部屋なのですが、何故・・・着替え?」
二人の疑問に、良くできる執事は笑顔で答えた。
「神殿でのいざこざは本日中に和解するようにとの、陛下のお達しです」
ちっと舌打ちした女に、男たちは気付かないフリをした。
部屋の前には王立騎士団が数名配置されていた。つまりは一晩頭を冷やせと軟禁されたのだ。
そして二時間後。
ヨシュカは人生で初めて不安と混乱で固まっていた。
不安と怒りで固まることは今朝方経験したが、緊張で固まったのは本当に初めてだ。初めて王と会った日よりも何か恐ろしい事が起こっているような気さえする。
ヨシュカは男だ。だが神官では妻を取ることは出来ない。ゆえに、今朝方起こった事は本当に有り得ない事件だったのだ。
そして現在。男であることを捨てているはずのヨシュカの目の前では、美しい女が無防備に眠っている。傍らにはワインが数本転がっており、明らかにプリーティアと呼ぶに相応しくない眠り方だ。
二時間前貰った食べ物も全て消化し、酒が足りないからと騎士に追加を運ばせ、ようやく今しがた夢の世界へ旅立った。
この二時間、二人の間に会話はない。
そう、二時間もの間、わずかも会話しなかったことでヨシュカは余計に混乱している。
この先ヨシュカはこの王都の神殿を統べる者になるというのに、ここまで蔑にされるなんて思ってもみなかった。
いったいこの女はどうなっているのだろうか。国王の前でも毅然と、いや憮然とした態度で向かっていたし、きっと誰の前でもそうなのだろう。
この女に怖いものはないのだろうか。
それにしても、ヨシュカも男である。しかも出会ったばかりの男女が同じ部屋に軟禁されている状況で、こうも無防備に眠れるものだろうか。
それとも神殿に入った女というのは思ったよりも純情なのだろうか。いや、純情ならば舌打ちしたり酒をたらふく飲むことはないだろう。
絶賛混乱中のヨシュカは、そっと酒に手を伸ばした。
ワインの香りだけで酔いが回る気さえする。すぐに手を離した。なんだか腹の中で酒の香りがぐるぐる回っているような気がして本当に気持ちが悪くなる。
「ん・・・」
鼻にかかるような吐息に顔を上げると、白く滑らかな太ももが目に飛び込んできた。
「うえぅっ」
限界はあっけなく訪れた。




