それでも、心安らぐ場所
だいたいにして、出来過ぎていたのだ。
百合とバッカスが神殿から出た直後、黒ずくめの男たちが現れ、黒い馬車に無理やり乗せられた。
「思ったよりも早かったですね、団長」
驚いた様子もなくバッカスが言えば、聞きなれた声が返って来た。
「お、おまえら・・・! もうちょっと後の予定だっただろう!?」
肩で呼吸している黒い男。騎士団の制服を脱ぎ、全身黒で固めたオースティン・ザイルは、恨めしそうに二人を睨んだ。
万が一を想定して、二人のために寝ずの番をしていた彼は、突然外に飛び出してきた二人を見て大慌てで馬車を走らせたのだ。
御者台には見慣れた騎士が、こちらもやはり黒い恰好で座っている。バッカスと目があうと、人好きのする笑みが返って来た。
「だって、なんか逃がしてくれそうな感じだったから、逃げてきちゃった」
「そんなに慌てなくても大丈夫よ。きっと追ってはこないわ」
しらっと答える二人の額を軽く叩くと、御者に命じる。
「とりあえず適当に迂回して湖へ迎え」
「はっ」
ふーっ、と長いため息をつくと、本当に心配そうに大丈夫かと問うてきた。
「ええ、問題ないわ」
「怪我もないですよ」
しばらくして美しい水辺で、百合とバッカスはゼノンに再会した。
普段はぴちぴちと可愛らしい鳥の声が響き、時折音を立てる水面に心を癒される場所なのだが、恐怖を覚えるほどの静けさに包まれていた。
小心者ならば夢に見るだろう。例え心臓に毛が生えていようと、彼の怒気におののいて下がるだろう。
とても機嫌の悪いゼノンがそこに立っていた。
赤い瞳を細め、口元は弓の形をして笑みを浮かべているが、いかんせん恐ろしい空気を身にまとっている。
バッカスがごくりと喉を嚥下して一歩下がった。
「・・・じゃ、僕の役目は終わったから。たまには会いに行くよ、元気でね」
「え、ちょっと。こんな人の前に置き去りとか、酷過ぎるわよバッカス!」
足早に去っていくバッカスと一行に、状況を理解した瞬間置いて行かれた。
「だれが、こんな人・・・でしょうか?」
「い。いやねえ、気のせいよ」
これはかなりヤバい。
いつになく百合は緊張した。こんなにも己に向けて怒るゼノンは珍しい。
「ほう、では、なにが酷過ぎるのでしょうか?」
「ふふ、それよりゼノン、どうしてここに?」
笑ってごまかすが相手に通用するはずがなかった。
「逃げた女を捕まえに来ましたが何か」
「別に逃げたわけじゃないわ」
内心舌打ちする。
「あれを逃げと言わずになんというのですか」
「しょうがないでしょ、他に道がなかったんだから!」
お互い睨みつけ合うと、先に視線を逸らしたのはゼノンだった。
勝ったと思った瞬間、百合の身体はゼノンに抱え込まれ、そのまま離れたところにいた小さな馬車に乗せられた。御者台には見覚えのない男が座っている。
「俺では目立つので、人を借りました」
馬車の中は物であふれており、百合は瞬きしながらそれに乗せられた。
そんな再会を思い出し、またため息が出た。
「目的地はどこなの?」
「着いてのお楽しみです。暇なら俺のために歌でも歌いなさい」
そこは休めというところだろうと思ったが、何かを期待するような目で見つめられていることに気づき、彼女はそっと歌いだした。
優しい音色は子守唄の代わりになったのか、ふと見下ろすとゼノンが寝息を立てていた。
無防備な姿に驚きつつ、目元に増えた皺を見て少しだけ愛おしく思く。
七年という月日は様々なものを百合から奪った。ゼノンもバッカスも、そしてオースティンも変わったように見える。大変なこともあったのだろう、それでも待ち続けてくれた彼らに感謝している。そして、ほんの少しさみしい。
百合はそんなことを思いつつ、彼の鎖骨にそっと頭をのせて瞳を閉じた。




