手を取って歩き出した
夜も更け、神殿内を包み込む静寂が深くなった頃、突然強い眠気に襲われたプリーストや監視が、一人、また一人と眠りに落ちる。
明りを消した部屋の扉をわずかに開け、外をの様子を確かめるバッカスは音もなく部屋から出た。
「一応神殿を出るまでの護衛は僕だから。あんまり無茶はしないでね。この薬、使用できる範囲もそう広くないんだ」
いざという時のために、セスが用意していた睡眠を誘う薬を掲げると、己らがかがないように口と鼻を布で覆った。
「わかったわ」
「今更だけど、本当にいくの?」
「今更ね。いくわ」
迷いのない言葉に溜息をつき、どこで習ったのか足音を完全に消して歩き出したバッカスに、百合は一生懸命ついて行った。
足音を消すのは結構筋力を使うためか、ふくらはぎからふとももがプルプルと震える。
「ゼノンに習わなかったの?」
「ゼノンがいればこんな技術必要ないもの」
呆れた様に言われ、むっとして言葉を返す。
「止まって、また人が居る。今眠らせるから・・・・・・・・あ」
交代で見張りをしていたプリーストの一人に見つかり、相手は驚いて言葉を失ったようだった。
口を開けた瞬間、落ち葉色の瞳が目の前に迫った。
「ごめんね」
ゴッ、と鈍い音がプリーストの服によって消される。バッカスの手には黒い棒状の筒が握られていた。
「やるじゃない!」
「あのね、あんまりこんな手荒なことはしたくないの。もう、気を付けてよ?」
「今のはバッカスのせいでしょ」
「・・・・いこっか」
「ええ、いきましょう」
月夜が輝く時間帯の神殿はとても美しく神秘的で、こんな時だというのにバッカスは少しだけ景色に見入った。
その後、三人ほど薬で眠らせると目的地へ到着した。
「お邪魔するよ」
扉を開けたのはバッカス。その先には疲れた顔でヨシュカ・ハーンが座っていた。
「何故だろうか、こうなるような気がしていた」
部屋の中は、昼間も来たはずなのに、夜ではまた違う雰囲気を見せる場所だ。
昼間よりも近寄り難い場所に思えるのはバッカスだけだろうか。
「あなたにお別れを言いに来たの」
「・・・もう行ってしまうのか?」
まるでその言葉を予測していたように、弱弱しく微笑んだ。
部屋に明りはなく、月明かりだけが彼を照らしている。その姿はどこか浮世離れしており、綺麗なものを見慣れたバッカスでさえ息を飲んだ。
「ええ。いくわ」
「・・・ずっと、ここに居ればよいではありませんか」
「あなたの望む、わたくしにはなれないわ、ヨシュカ」
ふっと笑う彼の瞳は遠くを見ているようだッた。
「この七年、あなたの事をいつも考えていました。わがままで聖女とは程遠い人。だのに、神々はあなたを好んでいる。あなたがこの世界に呼ばれたわけを、考えていました」
理由なら百合だって探した。だが、誰もが納得できる理由、そんなものはないのだ。
「わたくしも考えたわ。だから、答えはここにはないの。わたくしはここにはいられない」
「答えが欲しいなら私が作ろう」
「無理ね、わたくしはもう作ってしまった後だもの。・・・あなたではない」
求める者はヨシュカではないと言い切り、すっと一歩前に出て淑女の礼をとった。
ぱさり、とスカートが床に触れて音を立てる。目上の者に対する礼だ。とても美しく無駄のない動きに、珍しくバッカスが感心したところで百合は顔を上げた。
「ごきげんよう、ヨシュカ・ハーン神殿長。あなたが本当の神殿長となりえたその日には、きっとまた、お会いしましょうね」
ヨシュカは何も言わず頷き、そっと百合から視線を外した。
バッカスは百合とヨシュカを交互に見やり、百合の手を取って歩き出した。




