苦手なものを克服するには短い時間だったらしい
齢三十三歳で働き盛りの彼は、日の光に反射して煌めく髪を流し、プリーストの頂点を示す制服で身を包み、青空を思わせる瞳は優しく細められている。
酒は相変わらず苦手だが、昔に比べると耐性がついてきた。
人々の声にゆっくりと頷きを返し、よく澄んだ声で労わる。誰もが彼の存在を喜び、誰もが彼を慕っていた。
そう、目の前の女以外は。
「息災でしたか」
神殿長に就任してもう大分経つが、どうしても変われないことはあった。
口元が引くつくのをこらえたいが、何故か止まらない。後ろに控える若い騎士たちが怪訝そうに見ているのが視線で分かった。
やめてくれ、見ないでくれ。私だって人間なんだ。苦手なものくらいある。
「・・・ええ」
淡々と答えた彼女は、まるで初対面のような態度だ。
「あなたを案じておりました」
「・・・・そうですの、それはどうもありがとうございます」
もしや怒っているのだろうか?
こっそりと表情を伺っていると、作り物めいた瞳がジッとこちらを見ている。
知らず、ごくりと喉が嚥下した。
「二年前に、騎士アロイス・リュディガーが引退して領地に引きこもってしまいました。あなたに会えず残念に思っていることでしょう」
黒曜石の瞳は凪いだまま、ただヨシュカ・ハーンの言葉を聞いていた。
嫌な予感を覚えたヨシュカは、まさかと思いながら言葉を重ねる。
「わたしのことを、覚えていますよね?」
「・・・・・・・・ええ」
嘘だ。誰が聞いても嘘だと思った。
「神殿長殿。わたくしはいったい何故呼ばれたのか理由を聞いておりませんわ。あなた方は、七年も前の話を今でも持ち出しますが、そんな昔の話を持ってこられても困ります。もう覚えておりませんもの」
「七年前はあなたを保護しようとしただけですよ。決して何か責めるために呼んでいたわけではありません」
「そうでしょうか? ここ王都ではプリーティア教なる怪しげな集団がいると聞いておりますわ。そんな危険な場所へわたくしを呼ぶのですから、よほどだったのでしょう?」
「・・・彼らは確かに怪しいですが、異教というわけではありません、あくまでも、プリーティアを敬愛しているだけだと」
「絶対的な神々よりも、その妻を敬愛するのは異教ではないと?」
異教とは言い切れないが、認めることもできない相手なのだろう、ヨシュカが苦虫を噛み潰す表情を浮かべた。
「・・・そんなことよりも、なぜ危険な真似をしたのですか。他国へ勝手に渡ったばかりか、あのような!」
「わたくしは、神々に頼まれて仕方なく行ったのです。わたくしとて危険な行動をとるつもりはございませんでしたわ。けれど、あの雪の影響で子どもたちが死にました。街が生き残るためには、原因を取り除かねばなりません。むしろ何故、こちらの方々は何もなされなかったのでしょう? 王が居るからですか、ここには傭兵のような力を持つプリーストも多くいるはずなのに、何故だれも国を出て戦う道を選ばないのです。神々がそれを望んでいたというのに」
ヨシュカ・ハーンには神の声が時折聞こえる程度で、姿を確認し対話をすることはできない。王都の神殿で、唯一神の存在を感じているのはこのヨシュカだけなのだ。
他のプリーストやプリーティアには神々の望みはわからなかった。
「・・・ならばそれを教えて欲しかった。あなたにはその義務があったのに、勝手な行動を取ったのです」
ヨシュカの瞳にはわずかに怒りが浮かんでいた。
何も出来なかった己に対する怒り、何も相談してくれなかった寂しさ、元護衛に浚われた彼女が、本当は自らの意志でついていったことなど誰もが気付いていた。
「わたくしが仕えているのはあなたではない。ましてや王でもない。わたくしは神々に仕えているのです。あなただってそうなのでしょう?」
「・・・私は、神殿をまとめる役目があります。勝手な真似をしたあなたには罰を与えなければなりません」
言って、ハッと目を見開いた。目の前の女の黒い髪が、突然風に浚われてふわりと舞ったのだ。
何が起こっているのか分からず目を瞬かせる。
「ほら、結局文句を言いたいだけではないの。わたくし、疲れました。休ませて頂きます」
今のはいったいなんだったのか、大した説明もなく百合は部屋を出て行った。
「・・・退出の許可はまだ出しておりませんが」
情けない声でヨシュカが呟いたのは、彼女の姿が完全に見えなくなってからだった。




