怒った嫁に逆らえる夫はいない。
つい今しがた殺人を犯しましたという顔でカウンターに立つ店主に、来る客、来る客全員が凍りついた。
「どうしたんだい、ゼノさん。昨日は嫁さんに会えたんだろう?」
「それが、嫁さんが神殿に帰っちまったらしい。しかも明日には王都へ発つってんだよ」
「ええ!? 捨てられちまったのかい!?」
ガダッとカウンターに大きな掌が乗った。客は全員見なかったフリをして黙る。
しばらく静寂に包まれた店内だったが、突然一人の男が立ちあがった。
それは、昨日ゼノンを外に連れ出してくれたあの客だった。
「お、俺、ちょっと出てくる!」
「あ!? おい、どこにいくつもりだ!?」
「おーい。エール飲んじまうぞ?」
「どうしたんだ、あいつ?」
呆然と見守っていたが、男は四半時程度で戻ってきた。何故か己の嫁と、他にも多くの女たちを連れている。
流石にゼノンも驚いて目を見開いた。
「話は聞かせてもらったよ、ゼノさん」
腰に手をあてて仁王立ちしたふくよかな嫁が、恐ろしい程真剣な顔で言った。
「・・・なんですか、揃いも揃って」
「あんた、また大事な人を神殿に奪われそうになってるんだってね」
それは違う。もともとゼノンと出逢う前から彼女は神殿に属しているのだ。だがどうしてか言い返せなかった。
「俺はもう、神殿に入れません。近付くぐらいならできますが、取り戻せないんです。王都へ行かれたらもう、二度と会えないでしょう」
その素直な言葉に、男たちは戦慄した。
こんなに素直なゼノンは気持ち悪い! と、大変な失礼な印象を抱いたのである。
「だからって、こんなちんけな店で沈んでても仕方ないだろう!」
「俺の店です」
「そんな細かいことはどうでもいいんだよ!」
一括されて流石に口を閉じた。
「いいかい、ゼノさん。いや、ゼノンさん。あんたのことはもう何年も前からみんなちゃんとわかってる。たった一人の女のために危険を冒してまで戻ってきて、何年もただ黙って待ち続けた。昨日だって、プリーティアさまを遠くから見つめるあんたを、あたしたちは見てたんだ! 誰よりも、あのプリーティアさまを愛してるのはあんただろう!? 王都の連中にとられて本当にいいのかい!?」
後ろに控えていた女たちも、そうだそうだと口々に言った。
「プリーティアさまはきっと、あなたを待っています」
「どうか彼女を助けてあげてください!」
どうやら女たちは、店の客の嫁集団だったらしく、夫がぎょっとして体をのけぞらしている。
「・・・どうやって。どちらにせよ、王都には向かわねばならぬでしょう。何年も諦めなかった連中ですよ、明日もきっと警備を厳重にして・・・」
「お黙り! あんた、惚れた女が泣いてるかもしれないのに尻尾巻いて逃げんのかい!? 情けないこと言ってんじゃないよ! あたしたち街の連中はね、あの人に幸せであってほしいんだよ! 王都にあの人の幸せがあるってのかい? ないだろう!?」
切羽詰まった女の言葉はとても悲しげで、聞いていた客たちも涙を浮かべて同意し始めた。
「ゼノンさん。おれら、何かしてやりてえよ」
「プリーティアさんを助けよう!」
「王都では数年前から変態集団が増えてるって話だ。ここより危険な場所へはいかせられねえ!」
そうだ、そうだと人々が声を上げたとことで、店のドアが音を立てて開いた。
騎士の正装を身にまとい不機嫌を隠すことなく剣を腰に挿していたのは、西方騎士団団長オースティン・ザイルと、優しい笑みを浮かべているバッカス・メイフィールドであった。
「話は聞かせてもらった」
ゼノンが、呼んでねえよ、と心の中で毒づいたがもちろん相手には聞こえない。
「ゼノン。なぜ俺を呼ばない」
「いや。なんで正装しているんです」
「明日、ユーリと一緒に王都へ向かうからね。その準備をしていたら、女の人が騎士団に飛び込んできたんだ。酒場の店主が今にも自殺しそうなくらい追い詰められているから止めて欲しいって・・・・ゼノン、ユーリがヨシュカにとられちゃうから、泣いていたの?」
「なぜそうなる!?」
さすがに我慢が出来なかったのか、ゼノンが力の限り叫んだ。
「まあまあ、気持ちはわかるよ。だからさ、こうしない?」
なだめるように両手をひらひらさせると、バッカスはとても良い笑顔で悪魔の囁きをした。
続けられた言葉に、誰もが声を失うほど、それは衝撃だった。




