唇はすでに塞がれていた
少し前に、三十後半に入ったゼノンは、現在の状況を冷静に考えていた。
七年前は確かに一緒に旅をした。寝食を共にし、裸体も幾度となく見てきた。
だがそれは、あくまでも七年前のゼノンだ。
ピクピクと米神が震えた。怒りや呆れを通り越して疲れたのだ。
目の前には無防備な女の寝顔。堂々と彼のベッドを奪った女は、この世の不幸など知らぬという顔で幸せそうに笑みを浮かべて寝ている。
七年間も寝ていたくせに、まだ寝るのか。
ゼノンの部屋には最低限の家具しかない。ベッドも一つだし、ソファなんてものもない。毛布の予備もなければ服だってほんの数枚しか持っていない。
何よりそれでも困ることがなかったのだ。
だが今は困っている。大変それまでの己を悔いている。なぜ予備を用意していないのかと!
シルクのネグリジェを身にまとい、無防備に白い肩と足をさらけ出し、無造作に靴を脱ぎすてた指先が曲がっているのが、なんともいえない。
せめて毛布をかぶれと言いたいが、そんなことを言って起きる相手ではないし、何よりじゃあお前がかけろといわれるのがオチだ。
この七年間、ゼノンは何度か女を抱こうとした。それは百合を一時でも忘れたかったのと、純粋に男の性だ。だが悲しいことに、どんな美女を前にしても興奮を覚えることもなく、途中で飽きてしまうのだ。
不能になってしまった。
ゼノンは機嫌悪く去っていく女たちをみて思った。
これもきっと百合のせいだ。彼女に出会う前なら据え膳上げ膳いくらでも頂戴したのに。
そして全ての元凶たる彼女がここにいる。
ゼノンはもしかしてと思い彼女の肩に触れた。冷えていた。
滑らかな白い陶器のような肩に触れているうち、絹糸のような髪に触れたくなり、もう少しだけ手を伸ばした。
まるで猫の背中を撫でているように軽く、優しいさわり心地に、思わず笑みがこぼれる。
風邪を引きますよと耳元で囁けば、わずらわしそうに形の良い眉が寄った。
薄く開いた唇が、酷く美味そうに見えた彼は、迷わずそれに顔を近づけた。先程までエールとワインをたらふく飲んでいたくせに、何故か石鹸と花の香りがした。
突然消えて、またふらりと現れる。なんて酷い女だ。
ゼノンは唇に噛みつくようにキスを何度も落とし、己の腕に彼女を抱くとそのまま眠った。
百合は夜中何度か己から手を離し部屋を出て行くゼノンを見送ったせいで、大変寝不足だった。
彼は何故か二時間に一度は体を急に起こし、溜息をついてのろのろ部屋を出て行き、二十分程度すると戻ってくるのだ。
一体何をしているのか気になったが、急になくなる温もりのせいで寒くてたまらず、毛布の中から出られなかった。
彼は何食わぬ顔で戻ってきては、また彼女を抱きしめて眠った。
それを何度か繰り返し、いい加減腹が立った彼女は、また出て行こうとする男のシャツを力いっぱい握った。
「どこにいくのよ」
「・・・起きたのですか」
「寒いじゃない」
「いえちょっと所要が」
こんな感じでのらりくらりと逃げようとする男に、心の底から睨みつける。
「ゼノン。“わたし”が寒いって言ってるのよ」
しばらく苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、意を決し頷いた。
「わかりました」
その変わり、と耳元で低くかすれた声を落とす。
「とりあえず抱かせてください」
なんとも失礼かつ大胆な発言に、百合は目を見開く。それでも何か言おうとした瞬間、唇はすでに塞がれていた。




