当たり前でしょうと笑った
その夜のことである。
「うちは、ワインは赤しかありませんが」
仏頂面で対応したのは彼のせいではない。
「あら。エールでいいわよ。ワインは散々飲んだもの」
「何しに来たんですか!」
「あなたがお店を始めたっていうから、バッカスに護衛を頼んで連れてきてもらったの」
七年分の成長を重ねたバッカスは、線の細さをそのままに美男子であった。
不思議な色彩をはなつ瞳は優しく細められ、あどけなさはどこかに置いてきたようだ。街を歩けば年頃の女どころか、枯れたおばあさんまで彼に視線を流す。
品の良いジャケットはオースティンのお古だろうか、良い香りがした。
「ユーリがおごってくれるっていうから」
騎士団団長の秘書という形で雇われている彼は薄給だが、誰もが可愛がっているため金に困ったことは一度もない。
「バッカス、あなた仕事はどうしましたか!」
「団長が、ユーリの護衛が必要だって。ほら、皆ユーリに甘いでしょう? 僕ならちゃんと叱ってあげられるし」
「今ここに連れてきているでしょう!?」
「まだ許容範囲でしょ。ゼノンは歳とってから怒りっぽくなったね」
店主の米神がぴくぴく痙攣しているのに気づき、バッカスは爽やかな笑顔でごめんねと謝った。
「その悪びれない謝罪は、どこぞの海賊を思い出しますね」
「今は世界一周の旅をしているよ。ガルテリオに恋人が出来たのは驚愕だったよね。しかも相手が若い女の子っていうのが凄いよね!」
「・・・彼も一応男としての本能を思い出したのでしょう」
「その話、もっと聞きたいわ」
「あなたは山に帰りなさい!」
「どうして?」
「どうしてって・・・あの王都から来たプリーストがよくこんな時間まで外出を許しましたね?!」
王都から来たプリーストは街の人々に大変不人気であった。人とうわさ話が集まる酒屋の店主として知っているのは当然だった。
「ああ、あの人なら馬車酔いのあと騎士団でたらふく酒を飲まされて死にかけているわ」
「弱っているのに酒を飲ましたのですか、騎士が!?」
「だって僕も彼、嫌いだしね。ちょっとおだてたらデレデレして飲んでくれたよ。気持ち悪いよね」
笑顔で言う台詞ではないが、隣に座っている百合が楽しそうに笑っているのでゼノンもそれ以上言えなくなってしまった。
ここ数年でバッカスの性格は悪い意味で変わってしまった。女性に対して紳士的にふるまうのはそのまま、男に対しては必要以上にきついのだ。
どうやら元海賊たちと行動する中で何か事件のようなものがあったらしい。バッカスの男嫌いについては、あのフェルディ・イグナーツが直接謝罪に来たほどだった。
どこかの港町で男に襲われてから、見慣れない男に対して警戒心を持つようになったとか。まあ、バッカスを襲った相手はすんでのところで返り討ちにあい、ガルテリオの餌食になるという大変な思いをしたらいしが・・・
百合の前ではそんな様子は見せないが、普段はヴェステンの人間以外とは口もきかないほどなのだ。
「あー、エールが沁みるわぁ」
「麗しのプリーティアと呼ばれるあなたが言っていいセリフではありませんので口を閉じてください」
一息で言い切ると、百合が楽しげに声を出して笑った。
「いいのー。みんな気を利かせてここにはわたくしたち以外はいないのだか」
そうなのだ。閑古鳥が鳴いている店内を見渡して、店主がため息をつく。
そもそも百合がゼノンに会いに行くことは、バッカスが言いふらして街中が知っている。プリーストを酔わせて動けなくさせたのはそのためだ。
「じゃあユーリ、また朝に迎えに来るね。はい、荷物。おやすみ」
当たり前のように百合の頬に口づけて、バッカスは颯爽と店から出て行った。
「・・・・・・・・おい」
「あらいやだ、見た? バッカスったらお兄さんになったのね」
お前はおばさん臭くなったなと言いそうになる言葉を無理やり飲み込んで、取り急ぎ聞かなければならないことを優先した。
「ここに、泊まるとでも?」
朝、迎えに来るとはどういうことだと問えば、百合はきょとんと首を傾げた。
久々に見るその様子は想像以上の破壊力と衝撃をゼノンに与えた。
なんだこの生き物は、可愛いじゃねえか。いや違う。
「何を言っているの、ゼノン」
鈴を転がすような声で、当たり前でしょうと笑った。




