姿を瞼に焼き付ける
良く晴れた午後。うららかな風が頬を撫で、絹糸のような黒く滑らかな髪が揺れた。
一瞬で目を奪われる。
彼女の頭上には街の子どもたちが編んだ花冠が飾られ、邂逅に涙する人々がそこかしこに溢れていた。
これでは前に進めない。ゼノンはそっと足を止めた。
これでいい、これでいいのだろう。会いに行ってどうなる。この場で奪えとでも?
案内するように先を歩いていた男には悪いが、彼の足はずいぶんと前に進めなくなったのだ。
フラジールが笛を、オースティンがヴァイオリンを奏で始めると、人々は呼吸すらも忘れた。
懐かしい声がする。ずっと求めていた声だ。
今この声の主を間近で見たら、己はきっと正気を保てない。もう若くないのだ。なりふり構っていられる余裕など、とうの昔になくなった。
七年前、全て終わったと思ったら百合は一人で姿を消した。神々の加護が働いたのだろう、呆然とした騎士を見て気付いた。あの男が何か言ったに違いない。
後処理をフェルディに任せ、一人馬で駆けた。
何十日もかかったがヴェステンに戻った時は、ゼノンは立派な犯罪者扱いで、けれど街のものたちが必死に隠して守ってくれた。
百合が神殿で眠りについたことを、そこにきて初めて知ったのだ。
オースティンが路銀をくれ、しばらく姿を隠せと言った。
それでも、何かに急かされるように神殿に向かったが、一向にたどり着くことは出来なかった。
そして彼は数年間旅をしながら各地の神殿を調べ直し、ついでに貯蓄をためて街に戻ると店を開いた。
オースティンたちには顎が外れるほど驚かれたが、結局はゼノと名乗ることで見逃してもらった。
「・・・言っておくが、まだ目覚めていないぞ」
分かっている。街の人々を見ればわかる。
それから二年の年月が経ち、ようやく彼女は目覚めた。
オースティンは定期的に客としてやってきて百合の状態を教えてくれた。
その百合が、今すぐ近くにいる。
人々の後ろからそっと姿を確認した。
変わらぬ美しさに、神々しさが加わっているような気さえした。
実際、数年間も神々の傍で眠っていた名残なのだが、まさかそうとは思わない人々は感嘆の溜息をもらす。
ゼノンも、じっとその姿を瞼に焼き付ける。
戸惑う時期もあった。彼女を慕っていたのは神々のせいだと思った時期もあった。
だが国が変わっても、逃げていても、結局彼女の顔や声、触れた感触やぬくもりを忘れることなんてできなかった。
己だけに見せるわがままが可愛かった。
ふっと笑みを浮かべあの頃を思い出す。
すると、一瞬だけ目があったような気がした。いや、きっと気のせいだ。
彼女は今も人々の前で慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
そして、そっと手を前で組み、祈りを捧げた。人々の無事を喜び、人々の幸せを祈る。
優しい音色が街に響いた。
ゼノンはただじっと、彼女の姿を見つめ続けた。




