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麗しのプリーティア  作者: aー
第四章
171/203

ただ待つ。それがとても苦しい。

 そこには、見たこともない花々が咲き乱れていた。

夏が来たはずのヴェステンの空が、そこだけは春の空だった。

 さわさわと流れる風。心地の良い空気。まるで体が軽くなったような錯覚に陥る。

 黒い髪が風に流される。閉じられた瞳の奥は見えず、長い睫毛が影を落としていた。異国の服を身にまとい、なげられた手足は緑の蔦に囚われている。

 まるで精巧な人形を見ている気分だ。

「プリーティア?」

 上下しない胸元。わずかに開いた唇はどこまでも瑞々しい。

「何故、このような・・・」

 神殿長は無事だと言っていたが、その姿は人と思えなかった。少なくとも生きているようには見えない。

 オースティンがおそるおそる手を伸ばせば、蔦が石をもったように彼の行動を邪魔する。

 これ以上は近づくなという事だろうか。強すぎる花の香りに眩暈がしそうだ。

「どうして、こんなことに・・・」

 二人の距離はおよそ二メートル。だがそこには蔦という壁があった。

「本当に無事なのか? せめて確かめさせてくれ」

 誰に言ったつもりなのだろうか、言葉を発したオースティンでさえわからなかった。だがその言葉に反応するように蔦がそっと離れていく。

 ゆっくりと足元を踏みしめて進む。もう一度手を伸ばせば、今度は邪魔されることなく触れることが出来た。

 初めて触れた頬は冷たく、まるで氷のようだと思った。

「プリーティア、いつまで眠っている。さっさと戻ってこい」

 そっと大きな両手が、白い頬を包み込む。しばらくそうしていて、ようやく彼女が生きていることを認識できた。だが呼吸はどこまでも小さい。

「帰ろう、あの街へ。お前はあの街が好きなんだろう? もう夏だ。寝坊にもほどがある。そろそろ秋の収穫祭の準備が始まりだす。また冬がきたら、今年は地区対抗の雪合戦もいいなと話している。まあ、また大量の雪とか本気でごめんだが」

 何か言葉を投げなければ、このまま命の炎が消えてしまうような、そんな印象を抱いた。

「帰ろう、プリーティア。その時にはお前の本当の名を教えてくれ」

 オースティンは何度も帰ろうと声をかけた。だが相手からの返事はない。美しく静かな世界に、寂しく響いた。




 プリーティアが眠りについて二年が過ぎた。あの夏は終わり、秋が訪れると収穫祭の季節もすぎ、またあの冬が来る。それを二回繰り返し、そろそろ三回目に入る。

「ここまで堂々と居座られるとは思わなかったが、よく無事だよな。お前」

 オースティンはもう通い慣れた酒場のカウンターに、まるで己の席に座るがごとく堂々と腰かけた。

「・・・いつもので?」

「頼む」

 店主はいつも口数が少ない。

「今日も会って来たぞ」

「・・・」

 店主はその瞳と同じ色の、赤いワインを音もなく差し出した。無骨な手に似合わない洗練された動きだ。

「相変わらずだ。呼吸は確認できた」

 淡々と言っているが、その雰囲気は暗く重い。ワインを一口飲むと、次に差し出されたブルスケッタに手を伸ばした。

 両面をこんがり焼いたフランスパンの上に、ふわふわに焼いた卵とアンチョビ、そしてとろっと広がるチーズ。口に含んだ瞬間ガーリックの香りがなんとも美味だった。

 店主の作る料理は全て酒にぴったりあうよう計算されて作られている。強面からは想像できない旨い料理が生み出されるのだ。

「前から思っていたが、お前のこの腕は彼女に鍛えられたのか」

「・・・」

 ふっと口元を緩めた店主に、それ以上聞くことはなかった。

「もうすぐ三年だ」

 神殿の奥で眠る麗しのプリーティアのことは、国王でさえ最近ようやく諦めた。現在も諦めず様子を見ているのは王都の神殿長くらいだろう。

「まだ三年です。十年引きこもった少年も居たのですから、まだまだですよ」

「・・・まだ七年もあるのか。さすがに長いだろう」

 ふっと、また店主が笑う。今日はずいぶんとご機嫌だ。

「何かあったか? なんで、にやにやしてる?」

「今朝は夢見が良かったのですよ」

「なんだ。夢に惚れた女でも出てきて、愛でも囁いてもらったのか?」

「いえ、その女に説教している夢でした。起きた瞬間気分爽快です」

 歪んでいる。この男は本当にひねくれた性格をしているようだ。

 オースティンが顔をしかめると、店主はついに声を出して笑った。こんな風に笑うことは珍しいので、店内の他の客もなんだ、なんだと顔を上げた。

「プリーティアに夢で良いから会いたいと願う街の連中は、一人や二人じゃないってのに。よりにもよって説教かますとか。お前は本当に変わり者だ」

「いつまで経っても寝汚い彼女が悪いのですよ」

 そういう割に、待つという行為を人一倍我慢しているのはこの男だった。

 短かった髪は二年もたつと大分伸び、後ろに一つで結べるまでになった。表情筋が死んでいるかもしれないと、一部の人間に本気で心配されていた顔は、酒場を切り盛りするうちに多少豊かになった。鋭い刃物を彷彿とさせる赤い瞳は、今は優しげに細められている。

「次会ったら伝えておく」

「ええ、お願いします」

 こんなに喋るようになったのも、わりと最近のことだ。

 美しく、優しいプリーティアが眠りについたあと、街はまるで毎日葬式をしているように暗く、重い空気に包まれていた。

 数か月もそんな日々が続いた。

 ある日、ひょっこりこの男が現れるまでは。

 気長に待ちましょう、いつかはきっと目覚めますから。その一言で人々の心に希望が生まれた。

 だから誰もが待っている。彼女が目覚めるその時を。

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