鞭とゼノンが似合いすぎて怖い
オースティンが家令から事情を聴いて慌ててやってきた神殿には、すでに多くの人が集まっていた。ほとんどが神殿に属するものだが、何故か王族が一人いた。王位継承権第7位。まったくもって将来国王になることはないだろうとハッキリ言われる少年王子だが、今のオースティンにはどうでも良かった。
そこには昨日も王の傍にいた若いプリースト、ヨシュカ・ハーンの姿もあった。次期エメランティス神殿長になる予定の男だ。
二人とも呆然と入り口で固まっていた。
「おはようございます。どうされましたか」
オースティンはとりあえずヨシュカの隣に立った。護衛役であろう数名のプリーストたちも一緒に固まっていてどうしたのかと訝しんだ。
「・・・騎士団長殿」
「はい、プリースト」
「あれは・・・なんだ?」
「はい」
あれ、と呼ばれたそれを見た。
入口の傍で跪いて美しい女の足にしがみ付いている一つの“なにか”・・・制服はプリーストの中でも最高位を表す白と金のもの。その“なにか”を遠慮なく鞭で叩くのはすでに見慣れた顔のゼノン。
女は生きているのを疑うほど冷めた目で“なにか”を見下ろし、ゼノンも顔色一つ変えず腕を上下にふるう。しかし離れないそれにしびれを切らしたのか、ついには足蹴にしだした。
「ゼ、ゼノン! いくらなんでもそれはマズイ! 多分その豚っじゃなかった、その方は神殿で一番偉い人だから!」
オースティンは慌てて周りの人間を押しのけ間に入った。白かったはずの制服は今や見る影もない。それでもその人物は女から離れなかった。
「我が妻となり永久の愛を誓おうぞ!」
「ゼノン、わたくし疲れたわ」
「はっ、もうすぐでございます。オースティン殿、何をしているのですか、その豚をこちらにお寄越し下さい。今すぐ腹を引き裂いて昼食の材料に致します」
いや食ってもうまくないからこれ!
叫んだ後で自分の発言が非常によろしくないと気付いたが後の祭りだ。気付かなかったことにしてオースティンはもう一度叫んだ。
「一番偉い人なんだろう、お前たちにとって!」
「はて、我々はこのような俗物的な豚を偉いと思ったことはございませんが」
また豚と言えば、美しい女が呆れたように言う。
「ゼノン、豚に失礼だわ」
「はっ、申し訳ありません」
どちらも本当に失礼である。オースティンは酷い疲れを感じたが、それでもなんとか我慢した。
「モッペル様、いったいどういうことですかこれは! なぜこの二人がここに居るのです」
いい加減痺れを切らしたヨシュカが怒鳴るように言えば、今気付いたとばかりに最高位のプリーストが顔を上げた。
脂肪がたっぷりついた顔が醜く歪む。まるでだだをこねる子どものような顔だ。
「国王陛下への無礼を咎めようと呼び寄せたのだが・・・この美しさを見なさい! この女は女神さまの生まれ変わりで間違いない! これはもう私の妻にするしかないのだ!」
意味が分からない。この場に居た全員の気持ちが一致したが、実際に言葉にしたのはゼノンだけだった。
「意味がわかりません。プリーティアはすでに神々のもの。人が不用意に触れて良い方ではありません。あなたのような醜い豚、失礼、人間が妻にするなどおこがましい・・・神々の怒りに触れますよ」
それでも神殿に仕えるものかと、絶対零度の眼差しが突き刺さる。
「う、うるさいっ! 私はこのエメランティス神殿の神殿長だぞ! 私に従えっ、この女は私のものだ!」
ヨシュカは今聞いた言葉が信じられなかった。
この人物はこんな人だったか? そんな馬鹿な。国中の、いや、世界中のエメランティス神殿を代表する一人である人物が、こんな横暴をするはずがない。してはならない。
プリーティアは神々の妻のような存在だ。その身もその心も全て守られる存在だ。それは、俗世では守られないから神々の傍で守られるのだ。
それは、絶対だったはずなのだ。
「・・・騎士団長殿」
「はい、プリースト」
抑揚のない声が、しかしこの場を包んだ。誰もが動きを止めヨシュカを見つめた。
「“元” 神殿長殿を拘束しろ。抵抗するようならば力づくで構わない」
「プリースト!」
オースティンもだが、他にも数名がヨシュカを驚いたように呼んだ。
「われらは神々に仕えるもの。神々の妻たるプリーティアを汚すものは誰であろうと処罰の対象だ。それはエメランティス神殿の聖典にも記載されている」
「ヨシュカ!? そなたは私のかわいい息子のような存在。父たる私になんて無礼な真似を!」
「私の両親はすでに死んでいます。あなたを信じていたのに、尊敬していたのに! なぜこんなにも愚かな真似をなさるのですか!」
悲鳴のような声に、しかし冷めた声で答えたのはゼノンだった。
「世間知らずのヨシュカ殿。どうでもいいが、さっさとこの醜いものをプリーティアからどけて下さい。これだから無能集団は役に立たない。あなたは普段王城にいるからわからないのかもしれないが、ここ王都のエメランティス神殿は以前から不正や黒い噂が絶えなかった。此度西で起きた病についても、知っていて我々を見捨てたではないか」
ハッとしたようにヨシュカが顔を上げた。
「そうだ、私はそのことを調べに来たのだ。どうして・・・」
それに答えたのはオースティンに素早く押さえつけられたモッペルだった。
無駄な脂肪でぶにぶにする肌が布越しに伝わってきてオースティンが顔を歪める。早く手を洗いたい。服を変えたい。というかこのオッサン変な臭いがする!
かつて西で活躍していた盗賊団を捕まえた時より嫌な相手だ。全力で逃げ出したい気持ちを、西方騎士団団長というプライドが無理やり押し込める。
「わけのわからん病のために、何故私たちが行かねばならんのだ! 何かあったらどうする!?」
神殿は何かと優遇されている。食べるものも着るものも全て支給される。国から多額の金を貰っているし、全員が勉学に勤しみ、薬草や歴史や、たくさんのことを学び、得られる。
しかしそれはあくまでも平時だ。何かが起こった際は人々の救いとなるよう、医学の心得を持ったプリーストが王都には二十名程在籍していた。地方で病が発生したらその二十名が手分けして対処にあたるように。
だが実際は、そのように対処されたのは数十年前に一度きりだった。
「い・・・行くのはあなたではない」
ヨシュカは生まれて初めて怒りで震えていた。震えていることにすら本人は気付いていない。そしてその怒りが、己を抑えられないほどに強いものであることも自覚がなかった。
「責任を取らされるのはこの私だ!」
頭を何かに殴られたような感覚だ。それでもヨシュカは踏ん張って立ち続けた。
これ以上の言葉は不要だ。そう無理やり判断して、感情を飲み込んだ。




