深い怒り
「この国では錬金術の実験はさぞ、やりやすいでしょうね。材料はたくさんあり、あなたのように協力者がいる。けれど、しょせんは人が起こすこと。神々はたいそう困っておいでです」
思わず、といったように白い女が醜悪な笑みを浮かべた。
「神々がお困り? だからなんなの? この国で、神はわたくしだけよ。わたくしだけが、ここを救えるの」
「あら、まあ。たいそうな自信ね。元奴隷のあなたに、どう救えるのかしら? 神々はなんでもご存知よ。例えばそう・・・・錬金術で使われる材料がなにかも、ね?」
静かな声だ。怯えも恐怖もない。黒曜石の瞳に映るのは、恐ろしい程の怒り。こんな目を向けてきた女はいままでいなかった。
あの商人の妻でさえ、憎々しげな顔をしていても、ここまでの深い怒りはなかった。
メアリー・ブリアンナはここにきてようやく、この黒曜石の女を本気で警戒した。
錬金術に関しては理解する気がないが、大きな災害を起すために使用される材料は検討がついていた。
「黒き瞳の娘よ、そなたが何を言っているのか、わたくしにはわからないわ。けれどその不敬な態度は許せません。今首を垂れるならば許しましょう」
「なぜ、わたくしがあなたごときに首を? いつの世も人というのは頭の悪い生き物ですね」
窓のない王座の間ではいくつかの隠し扉が存在したが、現在は錬金術師たちが使う一つを除いて全て封鎖されていた。だのに、メアリーはこの場に風を感じた。
ふわりと百合の髪やスカートが揺れた。まるで春の風のように心地よい空気が場を満たす。
その時、百合の後ろに立っていた男たちが何か恐ろしいものを見てしまったという顔で二歩下がった。
メアリーは不審に思い目を凝らすが、彼らが注視しているのは百合だけだ。
百合はわずかに首をかしげ、「ああ、そうね」と言葉をこぼした。それはこの場にいる人間に聞かせているというよりは、目に見えない誰かと会話しているようだった。
「哀れな奴隷よ、時はもうないようです」
「わたくしは奴隷ではない!」
瞬間的にカッとなって怒鳴りつけるメアリーを、男たちが見た。彼女には余裕などなく、ひどくちっぽけな存在に見えてしまった。
「どちらでも構わないわ」
形の良い唇に笑みが広がった瞬間、床下から突き上げるような揺れと、大きな地響きが鳴った。男たちは体勢を低くして床にうずくまり、メアリーも慌てて王座にしがみ付いた。
揺れはおよそ二分間続き、何かが倒れる音や、男たちの情けない悲鳴、そして何かが落ちる音がした後ぴたりと止まった。
メアリーが目を開けたのは、揺れが完全に収まりしばらく経ったころだ。
壁の一部がはがれ落ち、王座を飾っていた花は無残に散り、床には多くの亀裂が走っている。外で起きている地震が、この王座の間を襲ったように思えた。
だが、何故? ここは世界で最も安全なはずだ。
混乱するメアリーが次に見たのは、悠然と微笑む女。彼女の足元は、まるで円を描くように亀裂一本ない。守られているのだ、本物の神に。そう思った瞬間、己が酷く侮辱されたように感じた。
「お前はなんなの! 今の揺れはどういうこと!?」
「お前ねえ。化けの皮がはがれているわよ・・・メアリー・ブリアンナ?」
ひっ、と息を飲む音が響いた。
「何を、言って」
「わたくしは遣わされただけ。あなたになど興味はないわ。でも、あなたと協力している者たちには、大いに興味があるの。今頃下は大変なことになっているでしょうね。あなたはご覧になったかしら、あれを?」
「何を言っているの!」
名を呼ばれたのは久々だった。もう誰もメアリーの名など呼ばない。それで良かった。それで、良いはずだった。たかが名を呼ばれただけでメアリーは己がこんなにも恐怖するとは思わなかった。
女の姿をした黒い死神が、己の首に鎌をそっとあてているような、そんな錯覚に陥った。
「そう、知らないのね」
死神は、もう一度「哀れね」と呟いた。




