二人の女
エリオン王国には時間がない。それは嘘ではなかった。
現在雨を降らせているのはアルバニア・ファウスタ・エンリチェッタ。エリオン王国の第一王女で、水の女王と呼ばれる彼女は、己の命を犠牲に雨を降らせ続けた。
あと一月もしないうちに彼女の身体は限界を超えるだろう。ユーリがやってきてからは多少楽になってようだが、しょせん時間稼ぎでしかない。
彼女が、家族の死後王女を名乗り続けているのは、己が女王になれる時間が残っていないからだ。
百合もはやくにその事実に気付いた。バッカスも気付いているのだろう。
水の女王は長いこと孤独だった。
彼女の傍に守ってくれる兵士や騎士が少ないのは、いつ死んでもおかしくないからだった。
そして今彼女の死は、そのまま国の滅亡を意味する。
水を得られないことと、王家を存続させられないことでさらなる混乱を生むからだ。
彼女と関わったことのある誰もが、彼女の生存を望んだ。そうでなければ、国が死んでしまう。
ユーリに今、付き従っている騎士たちも本来ならばアルバニアから離れたくなかった。
全てが解決し、国に戻ってもアルバニアがいなければ意味がないのだ。少しでも近くで守りたかった。
御者台に座る騎士が手綱を握りしめつつ前を向けるのは、さっさと全てを解決して帰りたいから。アルバニアを守ることで、彼らの家族を守ることが出来るのだ。ただ、そう信じて。
揺れは収まらないどころか、ガゾラの王都に近づくほど酷くなった。大地は割れ、親を失った獣たちが逃げ惑う。小さな体で精いっぱい走っている。
「御覧なさい、あの白い壁を。あの先は、この揺れにはない危険が潜んでいるわ。みな、十分に気をつけてちょうだい」
王都に近づくと良く見えた。くすんだ白い壁。この揺れの影響を全く受けていないようだ。
あの先に白い神を名乗る女がいる。
騎士たちの目は四方に動き、どんな些細な情報も見逃すまいと唇を一つに結んだ。
しばらくして、彼らが抜けた先には街があった。大きな街だ。地震の影響をほとんど受けていない。
人々が心配そうな、不安そうな顔で突然やってきたユーリたちを見た。
白い壁の中は王都の中でもある程度身分を保証された者たちが住む地区だった。白い壁を抜ける前には押しつぶされたような家々と、その瓦礫。白い神が守るのは立場の保証された者たちだけだと、彼らに大きく植え付けた。だが守られている者たちも、奇妙な顔をしている。
ユーリは馬車から下りると、直前までの酷い揺れのせいで酔ってしまった頭を覚ますように頭をふった。
「お水を買いに参りました。お水屋さんはどこですか?」
笑顔を浮かべたはずなのに、街の人々は怯えた様に一歩も二歩も後ずさる。
「まあ、どうなさったの? ここは白い神さまが守っていらっしゃるのでしょう? さあ、わたしはお水を求めておりますの。教えて下さいませ。我が、エリオン王国のために」
その声は低く、三日月のような唇も、細めた瞳も、全く笑っていなかった。
メアリー・ブリアンナは目の前の出来事を呆然と見ていた。
現在彼女のもとには三人の錬金術師が立っている。それぞれ黒い、分厚いローブを身につけ、表情は苦渋に満ちていた。
「今、なんて?」
先程錬金術師に言われた言葉が理解できず問いかける。
「真の神と思われる女が現れた。人心を掌握し、今にもここに乗り込んでくる」
「馬鹿をおっしゃらないで、そんなものはいないわ」
そう、メアリーは神を信じていない。むしろいるはずがないと信じている。
「問題はそこではない。そもそも困ったことに、女は自らを神とは言っていない。民が勝手に神だと言っているのだ」
苛立ちを隠さない錬金術師は、まるでメアリーを憎々しげに睨んでいる。メアリーとしては何故そんな顔をされるのか理解できない。
「民など、どうせすぐに死ぬわ」
「今はまだその時期ではない。なぜわからぬ」
錬金術師の一人が吐き捨てるように言った。今まで彼らがそんな態度に出たことがないため、メアリーはまた別の意味で驚いた。
「では・・・どうするの」
「その女は四日前に現れた。どうやらエリオン王国から来たようだ」
メアリーにもエリオン王国についての知識はある。美しい王女の姿を想像して、苦労知らずのお嬢ちゃんの国かと鼻で笑う。
「それと、どうして神につながるの」
「知らぬわ。今部下たちが調べておるが、彼奴等め、この城に向かっておる」
「複数いるというの?」
「女が一人、騎士のような男たちが数人いると報告にあがっている」
「でも、どうしてここに来るとわかるの」
怪訝な顔をするメアリーに、錬金術師が重々しく言った。
「民が、率先して女を導いておるのだ」
メアリーにとって民の命はどうでもいい。だがまだ勝手なことをされては困る。
彼女の願いはこの世界の崩壊、この世界に生きる全ての人間が苦しみ死んでいくことだ。だからこそ、まだその時ではない。
「わたくしが相手をしましょう」
メアリーは、どんな相手が来ても勝てる気でいた。
あの不思議な瞳の少年も、今では恐ろしくない。二日に一度は面会にやって来るが、あえてお茶の席を用意させて、席を離すことで不用意に近づけさせないので問題はない。
むしろ、こんな場所で出されたお茶をよく飲めるものだと感心している。
錬金術師たちは声もなく退出した。これから城の地下にある錬金術の実験場に向かうのだろう。場所の確保はたやすかった。
材料はいくらでもある。国にある全てが材料になり得るのだから。
「この世界に神など存在しないわ。わたくしが、この世界の神になるのよ」
そう低く唸った彼女のもとへ人々が大挙して押し寄せたのは、それからすぐのことであった。




