秋色の少年
ヴェステンから遠く離れた北の国に、一人の女が居た。
夏の青空のような長髪に、深い湖のような碧い瞳。わざと印象を強めようと塗られる紫のルージュは誰もが思わず見入ってしまうほど強い色だった。色素が抜けた肌は病的なまでに白い。全身を覆う黒いドレスは胸元を大きく広げており、豊満な乳房がこれでもかと見せられる。だがそこは顔より腕より白く、やはり病的だ。
まるでよくできた人形のようで、瞬きもなければ人間と思われないだろう。
かつて栄華を誇っていたエリオン王国は数十年前まで大国として知れ渡っていた。しかし王が変わると、国はみるみるうちに衰退していった。
それは、それまで行っていた他国との戦が必要なくなったことと、新王が国内を立て直すため外にあまり目を向けなくなったことが原因だった。
決して王が無能だったわけではない。むしろ長年の戦で疲弊していた国を数年で立て直した手腕は見事だった。
だが、相手国はそうは思わない。
侵略者を何年も、何十年も許せないのは当然だった。
度重なる衝突は、ひとつひとつは小さいものだったが、気付けば大国といえない程にまで土地を奪い返されていた。
憎しみの連鎖は今や子や孫まで引き継がれている。
そんな不安定な状況の中、更に困った事態が起こった。
突如国内で雨が降らなくなったのだ。雨雲が空をわたらないわけではない。ただ雨がふらない。
だのに、逆に南側の国では洪水が多発している。国内で降るはずの雨が、南に流れているのだ。
エリオン王国内では所々で急速に砂漠化が進んでいる。それでも王都だけは恵みの雨が降る。それは、今や失われたはずの魔法のおかげだった。
ただし、女の命を犠牲にした、先の見えない魔法だった。
「殿下、南ではまた洪水で多くの死者が出たようです」
老年の家臣の声は暗い。
「王都以外の民からは羨望と怒りの声が届き、王都の者も水が足りぬと騒いでおります。このままでは、今年の冬は越せません」
今はなんとか切り詰めて生き延びているが、作物用の水が不足している為野菜などが育たない。麦もとれず、他国にも救援を頼めない。
他国も酷い有様だからだ。
しかし国民の怒りは彼女に向いていた。彼女の魔力でカバーできるのは王都だけだが、そうはいっても王都はとても広い。端の方までは力が及ばない。そのうえ、地方から続々と水を求める民が集まってきているのだ。
不満はいつ爆発してもおかしくなかった。
「・・・わらわに出来ることはしておる」
聞き取れないほどの小さな声。言葉を発することすら億劫だった。
雨を降らせることが出来るのは、王都の上空に雨雲があるとき限定だ。雨雲を寄せ集めて降らせているのだ。最初から何もない場所に水を出すことなんて出来ない。
魔法が世界から“消えつつある”今、魔力を持った人間はほとんどいない。そして持っていたとしても、とても弱いものだった。
家臣は王女の声を聞きとれなかった。
「殿下、そういえば西の国より使者が参っております。海を渡った異国ですが、あちらではなんと雪がやまぬとか」
「雪ならば溶かして浄化すれば飲める」
「そうですな。しかし数メートルも積もった雪を解かすのは大変かと・・・それで、殿下に一目御挨拶したいと申しておりますが如何致しますか?」
女はしばらく考えて、小さく頷いた。
「通せ」
実りの秋を思わせる少年だった。落ち葉のような瞳は見る角度によって色を変え、柔らかそうな髪は暖かな秋の日差しを想像させた。
細いが繊細な模様の入った杖を持つ少年は、女を見てふと目元をほころばせた。
「初めまして、王女さま」
本来ならば許可が下りるまで口を開いてはいけないのだが、少年はそんなことに頓着せず話し出した。
普段ならば許されない態度に、しかし誰も異を唱えない。それもそうだろう。部屋の中には女と少年しかいない。
部屋と言っても、二百人は入れる謁見の間だ。今はもうほとんど使われなくなった場所。部屋の至る所に隠し扉があり、護衛たちはそこに隠れている。
「僕はバッカス・メイフィールド。西の国から来たよ」
優しい声音だ。もうずっと、女はこんな声を聞いていなかった。
「何用じゃ」
女の声は小さかったがバッカスには聞こえた。
「この国の事を知りたいんだ。簡単でいいから教えてくれないかな、一応それなりに支援するから」
部屋の隅々で人が動く気配がしたが、女は視線だけで黙らせた。
「支援とな?」
「この国にはまだ、魔法っていうのがあるんでしょう? でも西にはもうないんだ。そのかわり錬金術があるよ」
魔法が残る国々の間で錬金術は好まれない外法だ。
「錬金術は科学だ。科学的に、この国をある程度支えることが出来る。王女さまの命を犠牲にする必要なんてどこにもないんだよ」
また、隅々で気配が動く。今度はとても激しく動いているようだ。だが女は気にも留めなかった。
女はじっと、バッカスを見つめた。
優しい瞳には労わりの色が見えた。そんな瞳を向けてくれたのは両親だけだったが、その両親もずっと前に死んでしまった。
だから、そんな瞳を向けてくれた相手に興味を持った。
「ほう?」
バッカスは女の機微に気付き、また笑みを浮かべた。
「僕は、王女さまを助けたいんだ」
“ヴェステンのついでに” 王女さまを助けたいと言った言葉に嘘はなかった。ついでの部分は省略していたが。
だから女は一つ頷いた。
「よかろう。そなたの力を示すがよい。わらわはアルバニア・ファウスタ・エンリチェッタ。このエリオン王国の第一王女にして水の女王である」
その宣言に、しかしバッカスは常通りの表情で頷いた。
「うん、よろしくね。王女さま」
これには流石にアルバニアも少し呆れたのだった。




