選択肢
心底不満そうに百合は口を開いた。
「ぬるいわ」
「・・・以前のあなたはもう少し可愛げがありました」
そこまで高価ではないが、庶民にはなかなか手がだせない良い香りのする香油を、ゼノンは両手いっぱいに広げている。白く滑らかなもち肌に吸い寄せられるように塗りこむと、なんとも香しいそれが辺りをつつんだ。
「そこはもっと力を入れてちょうだい」
「・・・雪遊びでもしたのですか? ずいぶんと凝っていますね」
「あなたが毎日マッサージしてくれないからでしょう? “わたし”のか弱い身体になんてことをいうのよ」
随分な言い草である。
「もっと塗りこんで頂戴」
「貴族の姫君も驚きの我儘っぷりですね」
以前ならばこんな風に遠慮のない物言いをする男ではなかった。
数か月会わないうちに、ずいぶんと砕けた雰囲気になってしまった。
「では、隅々まで塗りこんで宜しいのですね?」
「もちろんよ」
ゼノンは悪だくみをするようにふっと笑ったが、相手がまるで獲物を狙う獣のような目をしているのを見て表情を改めた。これは下手なことをしたら面倒なことになりそうだ。
しばらく無言が流れた。
前もそうだったはずなのに、どうしてか落ち着かない。ふと視線を後ろにやる。
様々な感情を飲み込んだゼノンの横顔は真剣で、それに対する己はどうだろうかと自問する。答えはない。
「ねえゼノン」
「・・・・はい」
「あなた、わたしが好きなの?」
露骨に嫌な顔をされてしまった。
「じゃあ、嫌い?」
「嫌いではありません」
「さっき嫌そうな顔をしたじゃない」
百合は視線を前に戻した。さすがにちょっとショックだったのだ。
「あなたがつまらない質問をするからです」
「あら。裸の女を前に欲情しないつまらない男はあなたでしょう」
「据え膳を頂けるのであれば遠慮はしませんが、覚悟がおありですか?」
今度は百合が思い切り顔をしかめた。こいつ、プリーストでなくなってから扱いにくい。いや、もともと他人にはこうだった。百合だからこそ黙って従っていたのだ。
「覚悟はなかったわ。ごめんなさい、謝ります」
素直に謝ると、満足そうな頷きの気配があった。
「あなたはただの男に対して無防備すぎます」
「あなたがただの男だって、どうして言い切れるのよ。あなたは私の騎士だったじゃない」
「・・・今は違います」
何気に、あなたは私の騎士だったじゃないというフレーズは気に入ったらしい。しかしそれは、今は違うという意味で百合も言ったのである。
「じゃあ、なんなの」
ふてくされた声に思わず声も出さずに笑った。
「回答を拒否します」
「・・・かわいくないわ」
はいはい、と軽く流して、彼はことさら丁寧に香油を塗りこんだ。
「あなたはずいぶんと可愛いですよ」
「知っているわ」
「もう少し年齢をお考えになった方がよろしいとは思いますが」
「その口縫い付けるわよ!?」
ゼノンは、今度こそ声を出して笑った。
ゼノン自身こんな風に笑ったのは久々で、百合もそんな彼を見るのは初めてだった。
プリーストでなくなり、神々の加護から外れた男はどこかさっぱりした顔をしている。
「ねえ」
「なんです」
「これからあなたはどうするの?」
ふいに、武骨な男の指が停まった。
「・・・悩んでいます」
「あなた、悩みなんてあったの」
酷い言い草だ。
「一つは、このままあなたを浚って他国へ逃げる。もう一つはとりあえずあなたを開放して俺だけ逃げる。残りは・・・海賊でもやりましょうか」
シャレにならない選択肢しかないようだ。
「別の選択肢はないの」
「そうですね・・・じゃあ、プリーティアをやめてくれたら考えます」
百合はわずかに口を開いて、けれど何も言わずに閉じてしまった。そしてしばらくして、ようやくもう一度口を開く。
「・・この雪の原因を止めてくれたら、神殿を出てもいいわ」




