雪の中歩いた体は冷たい
ムッとした表情を隠すことのない青白い顔の青年は、無造作に束ねた髪をわずらわしそうにしていた。
普段は淡々とした彼だが、流石に今回は許せないのだろう。
「お前たちがいたのに、何をしていたんだ」
低い声は地を這う様に吐き出された。
「突然黒ずくめの男がやって来て」
「だれが言い訳をしろと?」
グライフ・ハロがぐっと奥歯を噛締める。
その通りだ。プリーティアをみすみす浚われてしまった。全ては彼らが守れなかったことと、この雪の中で刺客が思ったよりも機敏に動いたことが原因だ。足元に気を取られた一瞬のすきにプリーティアは連れ去られた。
セスはもともとヴェステンの近くまできていたらしい。だが知らせを聞き昼夜問わず歩き続けてやってきた。肩も頭も白く染まっているが、その瞳は怒りに燃えているように見えた。
「まあ、おおかた誰の仕業かはわかっている。お前たちはもういらないから王都でも帰れ」
ずいぶんと辛辣な物言いだが、それだけ彼もプリーティアを心配しているのだろう。
「誰の仕業なのですか」
「黙れ、これ以上俺を怒らせるな」
傍でその様子を見ていたバッカスは、はらはらした不安と、こんなにも怒っている姿を初めて見せるセスを心配した。
ちなみに百合のことは心配していない。百合ならどんな場所でもマイペースにやるだろう。百合は浚われたというが、本当に危険な時は神々が守ってくれるらしい。むしろ心配すべきなのは、浚った方なのだ。
「教えて下さい。プリーティアを救出に参ります」
騎士たちは背筋を伸ばし左胸に右の拳を押し付けた。命をかけるあかしだ。だがセスはふっとバカにしたように笑った。
「お前たちのような無能には無理だ。大人しくしていろ」
そう吐き捨てて歩き出したセスを、バッカスが小走りに追いかける。バッカスが歩くならば騎士もついてくるのだが、それについては言及しないようだ。
「セスは、あの人たちが嫌いなの?」
その言葉は思いのほか響いた。
「嫌いだ。王都の騎士は貴族だけで構成されている。他の騎士団とは違い、前線に出ればほとんどの者が指揮官として活躍するし、そもそも彼らは普段から様々な面で優遇されている。それは仕方がないが、結局、一番大事な時に役に立たないなら必要ない」
よほど立腹しているようだ。
「なにより、俺の研究をことある毎に邪魔する王立騎士団など嫌いだ」
かなり個人的な理由らしいが、セスの研究は多くの人を救うものなので、邪魔されたら確かに許せないだろう。
「どうして邪魔するの?」
「貴族を優先して治療しろだの、家畜は放っておけだの、もう下種としか言いようがない」
家畜とは貴族以外の者を言っているのだ。
「我々はそのようなことを申しません」
ロルフがたまらず口をはさんだ。バッカスはちらりと彼を見て、そして結局何も言わずセスに視線を戻した。
「百合は大丈夫だよね」
「・・・」
セスは突然足を止めた。
「体は無事だろう。少なくともプリーティアを害することは誰にも出来ない」
だが心はどうだろうか。
セスは、彼女を浚うならゼノンしかいないと思っている。例えば元海賊の友人ならばもっと派手に行動するだろうし、それ以外の本当の刺客ならば、そもそも彼女に触れる事すら出来ない。
「バッカス。頭を冷やす。お茶でも淹れてくれないか」
「いいよ」
セスはバッカスの部屋へ向かった。普段ならば絶対にしない行動に、バッカスも素直に頷く。
フラジール仕込みの美味しいお茶を持って部屋に戻ると、頭を抱えてベッドに腰掛けるセスが居た。騎士たちは部屋の外で待機している。
「・・・我ながら下手な芝居だ」
「あ。お芝居だったんだ」
「彼らが気に入らないのは本心だが、ああでも言わないとゼノンが疑われてしまう」
ふはああああぁ。と変な溜息を吐き出して、セスはようやく顔を上げた。
「神の件は文で確認した。今俺たちは各国の動きを調査しているところだ」
「うん。セスなら絶対動いてくれるってユーリが言ってた」
「調べた結果、我が国よりも酷い場所がいくつかあった。一つは遥か南の国、雨が降り続いているらしい。洪水被害も頻発しており死者は数えきれない。もう一つは北の国だ。こちらはもう数か月も雨が降らない。ともにゆゆしき事態だ。最悪は東、大きな地震が多発している。国の状況からどこも助けに行けなくて、本当に恐ろしいことになっているようだ」
雪ならばまだ可愛い方だったらしい。だがこの雪と寒さが影響して亡くなった人の数は計り知れない。寒さは精神にも影響を与える。心を病んでしまう人も少なくないのだ。
「こんなにも広い範囲で影響を与えることが、本当に錬金術でできるの?」
「・・・わからないが、理論上不可能ではない。ただ、そのためには莫大な資金と人員、そして時間が必要だ」
「前にあった大雪も、おんなじなんでしょう?」
セスは、その質問には答えなかった。
「・・・・・ところで、お前は大丈夫なのか。あの騎士たちはずっとついてくるんだろう?」
労わるような声にバッカスがはにかむ。
「ありがとう。なるべく離れてもらえるように、実は騎士団の人たちも協力してくれているんだ」
離れると言っても、部屋の外に居てもらう程度だ。
「みなが良くしてくれてよかった」
「うん。ユーリと出逢えて、驚くこともあったけど今は良かったよ。もう家には帰れないけど、僕は夢を見つけたんだ。団長の役に立ちたい。団長みたいな立派な騎士になりたいんだ」
それはとても難しい願いだった。だがセスは口元に優しい笑みを浮かべて頷いた。
それから二人はしばらくの間近況報告し合い、そして部屋を出た。




