どうやら頭に血が上った様子・・・
「・・ん・・・」
一度雪を溶かして簡単に異物を取り除いただけの、ただ温めたお湯は、しかし大自然の中でとても素晴らしい効果をもたらしてくれる。
極寒の空気の中で入る風呂は最高だ。
「プリーティア様、レモン水でございます」
先程の青年がレモン水を差し出すと、岩と煉瓦で作っただけの簡単な風呂に身を沈める百合に差し出した。白い手が冷たいグラスに伸びる。
この風呂は百合が発案してセスが錬金術で作ってくれたものだ(百合はただ温泉に入りたかっただけ)。もちろん一糸纏わぬ姿で入浴を楽しんでいる彼女を見ないように、騎士たちは皆視線を別の方向へやり気を付けているらしい。ただ一人、先程無視された騎士を除いて。
「ありがとう。良いお湯ね」
「プリーティア様がお考えくださったからですよ。街の至る所でも皆が楽しんでいるようです。ただし、その、あちらでは服を身につけたままですが」
「誰が見ているか分からないものね」
「プリーティア様、おあがりになられたら冷たい果物もご用意しておきます」
「ホットワインも頂戴ね」
はい、と元気よく頷いて青年は去って行った。
百合はレモン水を飲みながら周りを見渡す。一度騎士と目が合うが、とても自然な様子でそらした。騎士は彼女から目を離すつもりがないようで、刺すような視線を寄越してきた。そこにいやらしさはない。敵意もないが、まるで理解できない絵画を見ているような視線だった。
豊満な乳房に流れるお湯を直視できない他の騎士とは違う反応に、百合は少し興味を持った。
そして、
「そこのあなた、あがるからタオルを取って」
傲慢に言い放った。
「・・・・・・私ですか」
呼ばれた騎士は目を大きく見開く。今まで存在すら無視されていたのに、急に呼びかけられて混乱したのだ。
「あなた以外に誰がいるというの。先程わたくしと目があったでしょう」
「あなたが今まで目を逸らしていたのではありませんか」
百合はそんな反論を聞かなかったことにして、勢いよく立ち上がった。何人かが慌てて背を向ける。もちろん、呼ばれた騎士も背を向けた。
「ここでは老若男女関係なく湯あみ、水浴びをするのよ。いい加減慣れてもらえないかしら?」
騎士は背を向けたまま器用に後ろ歩きしタオルを差し出した。しかし百合はムッとしたまま一向に受け取らない。
「お風邪を召されますよ」
「王都の騎士は冷たいわ。わたくし、なんだか悲しくなってきました」
ぎょっとしたのは、百合以外の全員だ。彼らの役目を考えると、決して彼女の機嫌を損ねてはならない。しかし相手が裸なので見ることも許されない板挟み。騎士たるもの、淑女の裸など見てはならないのだと教え込まれている。
「もういいわ。あなたたちは要らないから、王都へ帰って」
「それは・・・いえ、失礼いたします」
許可なく帰ることなどできるはずがない騎士は、意を決し振り返った。
白い肌が上気している。流れ落ちる雫が雪に反射して輝く宝石のようだ。黒い髪は濡れて肌に貼りつき、常以上の艶やかさ。ムッとした表情は幼いがどこか艶やかで、そのアンバランスがまた・・・
騎士はつうっと鼻から血を流した。
「・・・そのタオルはあなたに差し上げるわ。他のを持ってきて頂戴」
百合は呆れた顔を隠さず言った。
王都からやってきた騎士は十二名。うち七名から八名が百合に、残りがバッカスの警護を担当している。それはバッカスが西方騎士団に出入りしていることも関係しているが、一番の理由が百合の周りでは事件が絶えないという、本人が聞いたら憤慨するようなものだった。
王立騎士団に所属するグライフ・ハロが彼女たちの護衛を任命されたのはおよそ五週間前。雪のため四週間かけて西にやってきた彼らは、聞いていた以上の人物に驚きを隠せなかった。
一度王都にやってきた彼女を見たことがあったが、あの時はフードを深くかぶっており顔は見えなかった。美しい女性だという噂は聞いていたが、直接目にしたのはここにきて初めてだ。噂以上の美しさと、噂では聞かなかった不遜な態度。神々に仕えているというが、どちらかというと神々の御膝元で好き勝手している印象を受けた。
一番の衝撃は入浴時、誰の目も気にせず服を脱ぐところだ。バッカス・メイフィールドは素肌をさらすのを嫌がるので、異世界の人間だからというよりは、彼女だからと納得した。
そしてもう一つ気になるのが神殿内の空気。誰もが彼女を中心に行動しており、誰が神かと問いたくなるほど、全てにおいて彼女が優先される。彼女の護衛たる王立騎士団のメンバーは、まるで親の仇のように睨まれ肩身の狭い思いをしているが、もちろん彼女はどこ吹く風だ。
これには、少し前に除籍処分を受けたゼノンというプリーストの件も関係しているらしい。隣国より密入国した元貴族であり、騎士。ゼベリウス・アルト・ティーダは、ゼノンと名を変えプリーストとして生まれ変わった。
彼の活躍は目を見張るものがあったが、それでも立場や過去を鑑みて無視できない存在だった。彼女が特に気に入り傍に置き続けたのも原因ではないかと、一部の口さがない連中は言っている。
「グライフ・ハロ隊長。ご気分は」
硬い声で問うたのは部下のロルフ・シュフティ。身長百七十センチと騎士の中ではかなり小柄な彼は、身長にコンプレックスを抱えている。しかし根は真面目で誠実。槍の使い手で、若いながらも将来有望でグライフも彼を頼もしく思っていた。
若草色の瞳を持つ彼は現在、バッカスの護衛についていたはずだがと考え体を起こす。どうやら己は横になっていたらしい。しかし何故・・・と思った瞬間、顔から火が出そうな気持ちを味わった。
脳裏に焼き付く白い肌を思い出したのだ。
「・・・悪くはないが、良くもない」
「突然倒れたと聞き、心配しました」
身長の事を口にしなければ誰にでも紳士的な部下は、本当に心配そうな顔をしていた。
「・・・すまない」
「あのプリーティアに酷いことをされたのですか?」
「いや、それは違う」
グライフは弱弱しく首を横に振った。
「私のような若輩者には、この任は辛いかもしれない」
ロルフは目を見開いて上官をまじまじと観察した。




