あ。ヤバイ質問しちゃった気分だ。
重い雲に三日月が隠される夜。さくさくと足音を立てて近付く男に百合はそっと視線をやった。
「こんばんは、百合。今夜も冷えますね」
グレーアッシュのコートを身にまとい、颯爽と現れたのはフェルディだった。
「こんばんは、フェルディ。諦めの悪い人ね」
「こんな時間でもないとあなたの名前を呼べないので」
にこりと綺麗に笑い、手に持っていた一枚の紙を手渡した。
「これは?」
「何かあった時に使ってください。どうやら近々王都に行かれるとか。僕たちが懇意にしている行商人を書き出しておいたので、こちらを頼りにして頂ければと。あとこれを」
今度は胸元からエメラルドのついたネックレスを取り出した。鳥をかたどった金細工が施されておりとても綺麗だ。
「どう使うの?」
「これを相手に見せれば僕の知り合いだと信じてもらえるので、話しがしやすくなりますよ。ここに書いてある人物はモノも人も時間すらも運んでくれるので便利です」
最後にウインクを決めると、とたんに親しみやすい雰囲気を醸し出す彼に、百合も思わず笑った。
「まるで逃げ出すこと前提ね」
「今王都はちょっと危険なんです。それにあなたはあちらでも目立つようで」
「あら、そうだったかしら?」
「いろいろと聞き及んでおりますよ」
「照れるわ」
ふっと笑う女はあまり興味がなさそうだ。
「・・・あなたに無礼を働いたプリーティアが拘束されているにも関わらず、布教活動をしているとかで?」
「そういえば、前に誰かが言っていたわね」
「色々と、大丈夫ですか? そんな場所に行って」
その質問には少し考えてしまう。
ゼノンに届いた召喚状は正式なものだ。いつまでも逃げることは出来ない。召喚されているのはゼノン一人なのだが、彼だけで行かせることも出来ない。
なぜなら、今回の件の責任をゼノンが追わなければならないとわかっているからだ。
別の街の神殿へ送られるか、王都での修業を余儀なくされるだろう。
この地を離れたら彼は、もう百合とはいられなくなってしまう。
「ねえフェルディ、もしゼノンを助けてっていったら、どうする?」
「お断りします」
即座に断られ、百合は思わず目を瞬かせた。
「たとえば僕の船に乗せるとしても、彼は僕の命令を聞かないでしょう。海の上では命令違反は命に係わる重大なものです。僕は船長として船員たちを守る義務がある。彼は、僕の船には乗せられません」
そこには甘さなど無かった。ただ一人の船長が立っていた。
「・・・そうよね。彼は、きっとあなたに従わない」
「かと言って、この状況を見過すこともできません」
こまりましたね、と眉をひそめた。
「なんだかんだ言って、あなたとゼノンは仲がいいのね」
「違います。大いなる誤解です。いくらなんでも気色悪いのでやめて下さい」
一息で言い切ると、隠れてしまっている月を見上げた。わずかにもれる光が優しい。
「僕はただ、あなたが悲しむところを見たくないだけです」
「・・悲しいのかしら、わたくし」
ぽつりともれた言葉に、フェルディが首を傾げる。
「どういう意味ですか?」
「ゼノンが、プリーストであるのはわたくしがここにいるから。もし、わたくしと離れたらゼノンは、ただのゼベリウスに戻れるのかしら」
どこか遠くを見る瞳だった。
「あなたは、あなた自身が彼をプリーストにしてしまったと?」
「ええ」
西の神殿の者ならだれでも知っている常識である。美しい女を人と思えずそのまま神に仕える気持ちで神殿に入ったゼノン。
彼が今回連れ去られたのは、神域で人を傷付けることが出来なかったからだ。常ならば決して負けない強さを持つ男だというのに。
「確かに彼はあなたに心酔している。でも、それだけでしょうか?」
「どういう意味?」
首を傾げた百合に、フェルディはそっと首を横に振った。
「・・・とにかく、このままでは彼はきっとここから離されてしまいます。もともとこの国の人間ではないし、そもそも正規の方法で入国していたわけでもない。最悪罪人として捕えられるでしょう」
ゼノンは百合に拾われ、そして聖職者の道を選んだ。そこには百合の存在があるからだ。
そうなれば祖国へ強制送還の可能性も出てきてしまう。
「それは嫌だわ」
「では、あなたはどうしたんですか?」
疑問をぶつけるというよりは、確認のような聞き方だった。
「・・・わたくしは」
その後に続く言葉を、少し離れた場所からゼノンが聞いていた。
冷たい雪が大地を濡らす頃。ゼノンは西方騎士団のツァーク・オッシらに同行され王都まで向かっていた。
騎士団の馬車はよく揺れる。眠ろうにも眠れないぐらい酷い揺れだ。
ゼノンの目の前ではツァークが唇は噛締めているせいで端が鬱血していた。冬の空を思わせるセルリアンブルーの瞳は怒りからか普段より濃い色をしているし、時折無造作にかき混ぜるオリーブのような深い緑の頭はぼさぼさだ。
「何を怒っているのです。いい加減落ち着いてください」
静かな声に頭を上げたツァークは、先程までと違い泣き出しそうな顔だった。
「これが怒らずにいられますか! だいたい、あなたは今我々に連行されているんですよ、わかっているんですか?!」
召喚状を無視し続けた結果、ゼノンは強制的に王都へ連行されている。
「彼女がいないと退屈です。何か話しなさい」
「いや、状況をちゃんと理解してください! あなたや、プリーティア様はオステンにとって救世主なんです。それを、この手で連行なんてっ」
「街を救ったのは彼女ですよ。私は特に努力した覚えはありませんね」
むしろ男に抱きかかえられ空を移動していたオステンでの記憶は、すぐにでも捨て去りたい悪夢だ。
「弟妹たちは息災ですか」
「・・・はい。あの後一度だけ文が届きました。美しい女神さまが街を救ってくださったのだと喜んでいるようでした。そんな恩人を・・こんな・・・」
ツァークはまたぎゅっと唇を噛締めた。噛み過ぎて血がにじんでいる。
ゼノンはわざとらしくため息をつくと、そっとハンカチでその血をぬぐってやった。
「不法入国した過去を持つ身としては、むしろ遅すぎたのだと思います」
「いいんですか、このままでは二度とプリーティア様にお会いできませんよ」
ゼノンはそっと天井を見上げた。連行中という事もあり外の景色は見せてもらえない。
「それは困りますね。私の全ては彼女のもですから」
「ずっと不思議だったのですが、そもそもプリーティア様とどうなりたいのですか?」
「その質問はあきましたが・・・暇なのでお答えしましょう」
そう言うと、ゼノンはにやりと笑った。まるで獰猛な肉食獣が獲物を前にしたような凶悪さがあり、ツァークはごくりと唾を飲み込んだ。




