目覚めたら花婿。そんな馬鹿な・・・
袖を通した衣裳は無駄に煌びやかで重く、実用的ではなかった。
浅黒い肌によく映える、穢れのない白。
頭には白いターバンを何重にも巻きつけて、横にはいくつもの宝石が飾られている。首元にも大きな赤い宝石が来て、足元は長い裾で完全に隠されている。隠された中は歩く分に支障がない程度に鎖でつながれている。たいして重たくはないがいかんせん邪魔だ。
幼いころから見慣れた教会の中。キラキラと太陽の光に反射するステンドグラスには、黒い獣の神が描かれていた。
ゼノンはざわつく人々の前に立たされた。わずか一メートル先に灰色のローブをまとった男。斜め後ろには長剣を両腰に差した兄が。
少し離れた場所には親族一同が今か、今かと待っている。
今日はゼノンの結婚式だそうだ。本人の意思を全面的に無視して、足に鎖までつないで行われる結婚式。花嫁の顔は知らない。名前も・・・聞いただろうか? ゼノンはぼんやりとまわりの人間を見渡した。
寝起きに無理やり飲まされた薬物のせいか、思考が定まらない。口を開こうにも体がいう事をきかないのだ。
花嫁が入り口から入ってきた。隣に歩く男は父親だろうか。少ししてすぐに離れてしまった。花嫁だけがゼノンの隣に立つ。
ゼノンは相手を見た。相手も彼をジッと見つめている。はにかんだ顔はとても整っているが、いかんせん百合を見慣れている彼にしてみれば並。という判断をしてしまう。
式は厳かに始まった。ステンドグラスの横にあるオルガンから美しい音色が奏でられる。
ローブの男が二人の名を呼び、結婚を祝福し、永久の誓いをと声をかけた。
知らない女との口づけ。心は拒否するが体は勝手に彼女の細い肩に手を置いた。互いの吐息が触れ合う距離まで顔を近づけると、緊張からか相手はわずかに震えている。
ふと、花の匂いに目線を上げた。相手の髪に白い花が挿してある。ジッと見つめていると、いつまでも触れない男を怪訝に思ったのか、花嫁が目を開けた。
赤い瞳が己を映す。ああ、違う。こんな色ではない。己の欲する色は、黒曜石のような美しい黒。
「・・・違う、お前ではない」
心は、そのまま声になった。
花嫁が瞳を大きく見開き、そして次第に大粒の涙を浮かべた。身体の震えが先程よりも激しくなり、周囲もざわつき始める。
「私が欲しいのは、お前ではない」
手を離してハッキリと言えば、まるで絶望したような顔の女がそこにいた。
「ッ!」
そして、衝撃。どうやら兄に頭を殴られたらしい。ゼノンはそのまま意識を手放した。
呆れるような現実を見ていたくなかったから丁度良かったのかもしれない。
現実というのは時に残酷である。
次に目覚めたら翌朝だった。見慣れた部屋のベッドの上。裸の男女が横たえられたそこは、しかし通常有り得ないものが存在した。
ゼノンの両腕が鎖に繋がれたままなのだ。足は自由だが、動くたびに冷たい外気が触れる。ちっと舌打ちすれば、隣で眠っていた女が目を覚ましたようだった。
「おはようございます、私の愛しい旦那様」
母国の言葉だ。ゼノンは相手を見やる。
殴られる前に見た花嫁は、一糸まとわぬ姿で見つめてきた。緊張しているのか息をつめる様子が場の空気を重くしている。
いや、重くしているのはゼノンだ。
まるで道に落ちているゴミでも見るような感情のない瞳を向けて、おもむろにため息をついた。
「誰だ」
「あなた様の花嫁でございます」
綺麗な発音は上流階級のものだが、いかんせん知らない顔だ。
「淑女が、男を襲うのは如何なものか」
「それは・・・お義兄様がご判断されたことですわ」
さっと視線を逸らしたのはやましい気持ちがあるからだろうか。
「あなた様は敵国に囚われ、洗脳されたと伺いました」
「今まさに囚われているが?」
鎖を外せと腕を揺らせば、彼女は悲しげな顔で首を横に振った。
「それはなりませんわ。お義兄様がお許しになりません」
「ではせめて服を着なさい」
「夫婦の営みが済んでおりませんの」
恥らんだ様子で言われても困る。ゼノンはもう一度ため息をついた。
「わかりやすく言うと」
「え?」
「お前では勃起しない」
まるで石のように固まった相手に辟易しながら、それでも大きな声で言った。
「お、お義兄様が特別なお薬を用意くださいましたの」
浅黒い肌を耳まで赤くした花嫁が、一生懸命叫ぶ。
「ほう。いやらしい女だな。それでも淑女か」
「ち、違いますわ! 必要になったら使用するように、と・・・」
今にも泣きそうだ。
ゼノンはもう一度あたりを見渡した。部屋の中に花のにおいが立ち込めている。そこかしこに飾っている花々はどれも原色で、少々不気味だ。そんな中一輪の白い花を見つけた。
「やはりお前ではない」
「ではっ! 誰ならよいのですか!」
とうとう泣き出してしまった。
「彼女なら、こんなつまらない会話で泣くことはない」
むしろ喜んで参加しそうだ。徹底的に相手を突っついて遊びそうな様子を思い浮かべると、気分が少し浮上した。
「彼女?」
もし相手がゼノンでなく、フェルディのような男だったら、一糸まとわぬ女を泣かせたことで後悔するかもしれない。たとえ己に鎖をつけるような相手であっても、思わず謝ってしまうかもしれない。
だが残念なことに相手はゼノンだ。
興味を示さない瞳で、ただ相手を映している。泣いていようが構うはずがない。
見ることと映すことは違う。温度が違うのだ。花嫁もそれに気付いた。
「どなたか、心に決めた相手がいらっしゃるのですね」
「全てを捧げた相手だ」
「でも、この婚姻は両家を結ぶ大切なものですわ」
「・・・お前は本当に愚かだな」
「え?」
ゼノンは思わず鼻で笑った。
「先の大戦で俺を見捨てたこの国を、この家を、どうして大切と思える。夫婦ごっこがしたいのなら兄上とすればよかろう。兄上の立場ならば重婚は許される」
一部の王侯貴族は申請し許可さえ下りれば重婚も許されていた。家を継ぐ立場にある兄ならば許可は簡単に降りるはずだった。
「わたくしがお慕いしているのはあなた様です!」
「お前などしらない。初対面の女にそんなことを言われても気色が悪いだけだ」
「あなた様はわたくしを覚えていないかもしれませんが、わたくしはあなた様を覚えておりますわ。以前お会いしました!」
「興味がない相手の事は覚えない」
「そんな!」
悲鳴のような非難が響いた瞬間、部屋のドアが乱暴に開かれた。
まるで黒い獣のように素早い動きで兄が入ってきたと思ったら、そのまま力の限り拳を振り下ろした。




