加護の力
「姫さん。船を沖に出します」
下から様子を見ていた百合たちは、心配げに空を見上げる。
「数が多すぎる。アファナーシー・ニキータはきっと、部下を全員連れてきているんでしょう。追い込まれているのかもしれませんね・・・危険だ」
言いながら、ガスは周囲に目を凝らす。音もなく波に乗るマーレ号に気付くものは居ない。
「沖まで出れば、流石に現状で追ってくることはないと思います。その後はしばらく激しく揺れると思いますが、堪忍して下さいね」
ガスは、見た目こそ個性的だがとても優しい声でそう告げると、真剣な顔で崖を見つめた。本当は己も行きたいのだ。仲間とともに戦いたい。そう彼の背中が叫んでいるようだった。
それを見た百合は、無意識に口を開いた。
「崖の上から、敵の数を減らす方法があるわ」
「どうするんです?」
驚いた顔で彼女を見やるガスは、わずかに期待と不安を抱えていた。
「敵の意識をこちらにも集中させるの」
「今、この船に乗っているのは俺の部下だけです。逃げ切れるかどうかも瀬戸際なのに、そんな危険なことをしたらあなたたちを守れない!」
何を言い出すんだと、セスも思った。しかし。
「わたくしの加護があれば、この船に敵の攻撃はあたらない。沖に出るまでに相手の意識を少しでもこちらに向けさせましょう」
ガスは眉をひそめた。
「その加護とやら、どこまで信用できるんですか」
彼にとって彼女を守るのはフェルディの指示だからだ。彼女になんらかの感情を持っているわけではない。
「信じて。わたくしが、この船を守る」
迷いなく、真っ直ぐに見つめる相手に、ガスは答えあぐねた。
「それは、お前にとっては危険じゃないのか? 俺はヨシュカ・ハーンが力を使うところを見たことがある。彼は若くて優秀だと聞いていたが、力を使った後はとても大変そうだった。しばらくは寝込んでいたぞ。薬を作って持って行ったから知っている。その加護を使うと、お前はどうなる」
まさかセスにそんなことを言われるとは思わなかったが、百合はそれでも彼を安心させるために笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。彼はこの世界の人間だから、加護がもともと少ないの。でも、わたくしは異世界から来たから、神々から直接加護を受けている。彼よりも、わたくしのほうが加護の力は強いの」
「さっき、フェルディたちに加護を与えただろう。それも含めて、本当に大丈夫なのか」
「気付いていたのね」
「あの光は加護の光だ。本当に・・・大丈夫なのか」
セスはただただ、百合を案じている。
麗しのプリーティアは弱者を救済する心優しき神々の妻。しかし彼女自身はただの女でしかないのだ。
人前で涙を流すこともできない、ただの女。強がりで、甘えん坊で、自堕落な生活を望むと言いながら人に尽くしてしまう、心優しい、少し寂しがり屋な女だ。
だからこそ、誰かが彼女を普通の女として扱ってやらなければならない。
「セス、あなたの優しい心が好きよ。あなたがそばに居てくれるから、わたくしは思い切り力を使える。どうか、わたくしを見守って」
そっと彼の頭を撫でると、松明を用意するよう言った。
敵に気取られないよう松明をたかなかったが、彼女の指示で男たちは動き出した。
「フェルディさんの指示に背くのは初めてです。信じますよ、姫さん」
「ええ、信じて。わたくしはプリーティア・ユーリ。皆の無事を祈りの力で支えましょう」
風のない穏やかな海の上、白いワンピースがふわりと広がった。
その声が聞こえたとき、はじめ誰もが空耳だと思った。
しかししばらくすると、マーレ号の海賊たちは声を聞きながら、何故か体が軽くなるようだった。ふと己の手を見ると、わずかに光っている。まるで夏の蛍のような淡い、優しい光だ。
「これは・・・」
「ああ、マズイですね」
「まさか彼女が?」
「ええ。彼女の加護です」
海を見ると、あまり離れていない場所にぽつりと松明が浮かんでいる。マーレ号だ。
敵もそれに気付いて動きが鈍った。まさか後ろにマーレ号がいるとは思わなかったのだ。
フェルディや部下たちはとても暖かい気持ちで、動きの鈍い敵を倒していくが、ゼノンは逆に苦虫を噛み潰したような顔で走る。鬼気迫る姿に敵が怯んだ。その隙を彼が見逃すはずもなく、右手を振り上げた。近くにいたもう一人の敵を左足で蹴り倒し、まるで道端に落ちているゴミにするように、踏みつぶして前に進んだ。
「ぐぇっ」
「何がマズイんだ?」
「・・・加護の力はそうとう体力を使うんです。いくら彼女でも長時間は危険です」
え、と動きを止めたフェルディに、敵が襲い掛かってくる。ガルテリオが横から銃で敵を打ち抜くと、悲鳴を上げることもできず倒れた。
「ほう、あれが噂に聞く異世界の女か。加護を持っているのは好都合だな。てめえら。生け捕りにしろ」
「おおお!」
アファナーシー・ニキータの命令に、海賊たちが道を引き返している。だが百合たちは海の上だ。簡単には近づけない。
風があればスピードも出るが、穏やかな海は、恐ろしいほどに静寂を保っている。
脅しで一発砲弾を発射させたが、マーレ号のすぐ近くに落ちるだけであたらない。もう一発撃っても同じだった。いくら風がないからと、砲弾にそれは関係ない。むしろ普段よりも狙いが定まりやすいはずなのに、三発目、四発目もあたらなかった。
「な、なんだあれ、なんであたらない?!」
なにか得体のしれない力で守られているように、何度試しても決して砲弾はあたらず、それどころか、船に近づくこともできなかったのである。




