その頃、セスは
同時刻。セス・ウィングは薄暗い地下牢でぼうっと岩の天井を見つめていた。いつ作られたのか分からないほど、古いのだろう。ゴツゴツした岩がむき出しだ。だが不思議と寒さを感じなかった。ただベッドがあり、排泄用の壺が隅に置かれただけの場所だった。
職業柄オーバーワークだったこともあり、実は地下牢の堅いベッドで休めることは、彼にとってはあまり悪い事ではなかった。
神殿の最下部。数日前に聞き覚えがあるような男の無様な声が響いてきたが、あれはきっと拷問ではない。虫でも出て騒いだだけだろう。今でも時折響いてくるが、だんだん声に覇気が消えてきた。
どうしてここにあの変態、いや海賊が居るのかは不思議だが、彼は疲れ切った体を癒すために眠り続けた。
窓すらない地下牢の唯一の便りは、一日に二回交換される小さなランタンの明かりだけだ。すでに時間の感覚はないが、定期的に運ばれる食事で時間を推測することが出来る。神殿で出される食事には規則性があるからだ。
先程運ばれたのは干し肉のスープだった。今は朝なのだろう。暖かいスープは朝と夜に出されることが多い。朝にはわずかなドライフルーツもつくので間違いない。
暗いしじめじめしているが、出された毛布はそう悪い質のものではなく、むしろ快適だった。
思えば西で発生した病からここずっと、彼は多忙な日々を送っていた。研究も並行して行わなければ来年の予算が貰えないので必死だ。頑張りすぎて背が一センチは縮んだ気もする。
「セス・ウィング」
一日に三回。食事を運ぶ老人に彼は目を向けた。
「誓いなさい」
いつも同じ言葉を言う相手は、とても悲しげだ。
「俺は、信徒ではない。神に誓いを立てるわけにはいかない」
「ここから出たくはないのですか」
「出て、ずっとお前たちのいう事を聞くのか? 神を信じているフリをして、それこそ神に対する冒涜ではないか」
淡々とした声に、老人はそっと首を横に振った。
「神は、信じていてもいなくても存在します。それはあなたも知っているだろう?」
「知っている」
「ならば問題はないよ。さあ、誓いなさい」
セスはようやく体を起こした。
「俺は、彼女を傷付けた神々を許すつもりはないし、この神殿で行われていることに目をつぶることもできない」
薄暗く日に当たらない生活を強いられたせいか、彼の顔色は青白かった。だが、その瞳は怒りに燃えている。とても静かで熱い、青い炎のような怒りだった。
「この世界は変わらなければならない。あなたの友人である、麗しのプリーティアのこと、私たちも理解している。だが、神々がしたことには意味があるのだ」
「あんたらがやっていることにもか」
「全ての事に意味がある。セス・ウィング、ここで見聞きしたこと、全て他言しないと誓いなさい」
「断る」
断固として首を縦に振らない彼に、老人は長く細い息を吐き出した。
「二日後の晩、アファナーシー・ニキータがあなたを迎えに来ます」
その名に聞き覚えがあった。間接的に何度も関わってきた。だからこそ、許せなかった。
「やはり海賊とつながっているのか」
「彼は滅茶苦茶だ。だが、彼の願いは誰しもが一度は持つものです」
あの診療所にはまだ回復しきれていない患者がいる。小さな子どもだ。大人になるまで体がもつかは誰にもわからない。
亡くなったおばあさんの死に顔が綺麗だったことを、セスはまだ覚えている。おばあさんのために“彼女”がたった一人で摘んできた花を、その香りをまだ覚えている。
「知らない。俺には関係ない! 女子供や老人を苦しめて殺す男の願いなんて叶わなければい! げほっ・・・叶わせて、たまるかっ!」
怒りが、声になった。
湿っぽい場所で突然大きな声を出したからか、セスは咽て何度も咳をした。苦しいが、そんなことすら彼の感情にはうかばなかった。
「ここには今、あなたの大切なプリーティアも居ます。あなたを探してやってきました」
ハッ、と大きく目を見開く。
「な・・・で?」
「プリーティアにとっても、あなたが大切だからだよ」
老人はもう一度彼の名を呼んだ。
「セス・ウィング」
誓えば彼女を開放します、と悲しげな声が届いた。




