神の御許に
エルステイン皇国。豊かな自然と情緒あふれる建築物が共生する国。至って平和で、どこにでもあるような国だが、ここではあることが行われていた。
それは、魔女狩り。魔女というのは、別に魔法が使えたり箒に乗って空を飛べたりする、いわゆる伝承に記された魔女を指すのではない。
この国で言う魔女とは、突然変異のいわゆるミュータントたちのことを指していた。彼らは皆人ならざる力を持っており、超常の力を使えるとされている。
炎を体から発し、体を武器に変え、あるいは地形をも変える力を持っている異端たち――それを恐れるのは、至極当然のことだろう。
しかも、それらは遺伝する。魔女から生まれたものは、必然的に魔女となるのだ。
だからこそ、人々は見つけ次第彼らを殺すようにした。例えそれが平民だろうが貴族だろうが区別なく平等に無慈悲に殺した。いつしか魔女が増えて自分たちの立場を奪われないために。
が、しかし、魔女たちは迫害から逃れ、地下に移り住んでいた。そこで、安寧の地を築き、いつの日か幸せに過ごすことを願いながら――。
地下にある魔女たちが作った小さな集落、カルカンディア。そこに、一人の少女がいた。
彼女の名は、リズベル。言うまでもなく、魔女の一族だ。彼女は生まれてからずっと、この集落で暮らしていた。けれど、リズベルは少しだけ他の子とは違っていた。
彼女はいつも大人たちがくぐる大きな穴のところに行っていた。そこは外界に通じる唯一の場所であり、くぐることができるのは力を持った大人たちだけである。
なぜならば、外の世界は危険だから。子供が行って無事で帰ってこれる場所ではないと、リズベルはそう教えられていた。
けれど、好奇心というのは誰にも抑えられるものではない。
いつしか彼女は穴の向こうに興味を抱くようになった。
「ねぇ、お母様。お外に行きたい」
いつものように問いかけてくる娘に嘆息しながら、母――マリベルは嘆息した。
「ダメよ、リズ。外は危ないと言っているじゃない」
「でもでも、見て! 私にはこんな力があるんだよ!?」
リズベルは言いつつ、自分の肩にフォークを突き刺した。直後、そこからは血がしたたり落ちる。が、数秒もすると彼女の体が淡く発光しはじめ、それが治まるころには傷はすっかり消えていた。
リズベルはフォークについた自分の血を服で拭いながら呟いた。
「ね? 大丈夫でしょ? この力があれば、どんな目に遭ってもへっちゃらだよ! それにそれに、みんなの傷だって治してあげられるし……」
「リズ」
マリベルは静かな口調で、けれど確かな威圧感を持ちながら言った。彼女は食器を洗う手を止めて、リズベルに向きなおる。
「あなたの力は確かにすごいわ。でも、まだあなたは子どもなの」
「じゃあ、いつになったら行っていいの?」
「そうね……あなたが大人になるころ――十八になれば行っていいわ」
「本当!? 絶対!?」
「ええ、約束よ。ただし! 一つだけ約束してちょうだい」
マリベルは眼光を強めて、堂々と断じた。
「絶対に、外の人間に力を見せないこと」
「わかった! 絶対に見せないから、その時は行っていいんだよね?」
「もちろんよ。さ、このお話はおしまい。そろそろお父さんが帰ってくるから、あなたも手伝ってちょうだい」
「はい、お母様!」
リズベルは満面の笑みを浮かべながらマリベルの脇に寄る。彼女の横顔は、それは幸せそうなものだった。
――さて、それから十年後。十八歳になったリズベルは大穴のところに立っていた。その後ろには、彼女の母マリベルと父ホップが並んでいる。ホップは不安げな妻の肩を優しく抱いていた。
すっかり大人びた様子のリズは、マリベルがこの日のために買ってくれた綺麗なドレスをふわりとはためかせながら、そっと両親に手を振った。
「それじゃあ、行ってきます。お父様、お母様」
「気を付けて行ってきなさいよ、リズベル」
「もし何かあったらすぐに戻ってこいよ。いいか?」
「わかってるわよ、二人とも」
リズベルは希望を胸に抱きながら大穴の方を見やる。そこは、今まで彼女がずっと焦がれていた場所だ。自然と胸が高鳴るのを感じながら、リズベルは目を輝かせていた。
きっとこの先に自分の知らない世界が広がっているんだ――そんな風に思いながら。
リズベルはふっと息を吐いたところで、大穴のところに控えている一人の女性に語りかけた。
「それじゃあ、お願いします」
「ええ、リズ。あなたに神のご加護があらんことを」
その女性が祈りの構えを取ると同時、リズベルの体が浮きゆっくりと大穴の方に向かっていった。彼女はスカートの裾を手で押さえつつ、両親に笑みを寄越す。
「それじゃあね、お父様! お母様! 行ってきます!」
リズベルは大声で家族たちに呼びかけ、それから大穴をくぐっていく。まるで迷路のようなうねうねとした通路を通り、それからしばらくしたあたりで上の方から光が差し込んでくる。もう出口が近いのだろう。リズベルは笑みを作りつつ、そちらに手を伸ばす。まるで希望そのものを掴もうとしているような、そんな仕草だった。
数秒後、彼女は穴から出るなり、目を丸くした。
「うわぁ……」
穴の外に着地した彼女は感嘆の声を漏らす。何故なら、そこは彼女が知る余地もない世界が広がっていたからだ。
木々が生い茂り、遠くの方には大きな城下町が見える。地底の殺風景な景色とはずいぶん違う様相に、リズベルは胸の高鳴りを抑えきれていないのか、小さく足踏みしていた。
「それじゃあ、行こうかな」
ルンルンと鼻歌を歌いつつ、スキップをしながらリズベルは町へと向かっていく。彼女が持っているのは、ホップが渡してくれた少しのお金だけ。彼女はそれをどう使おうか頭を悩ましていた。
服に使おうか、それとも食事に使おうか、はたまた両親のお土産に使おうか……考えているだけでもドキドキが止まらなかった。
そうこうしているうちに、街の全貌が明らかになっていく。その度にリズベルは小走りになってそちらへ向かっていった。
「わぁ……すごいすごいすごい!」
リズベルは何度も感嘆詞を漏らしながら、街を眺めまわす。ちょうど出店が出ており、食べ物だけではなく服やおもちゃを売っているところまで様々だ。また、人で賑わっており、街は喧騒に包まれている。あの集落では絶対に見れない光景に、彼女は目を輝かせていた。
地下にいたころには、大人たちが調達してくるものしか見ていなかったリズベルは、何の変哲もない食材やおもちゃにも目を輝かせる。目に映るものすべてが新鮮に映り、彼女は終始退屈した様子を見せなかった。
彼女はちょろちょろと人ごみを縫っては出店を見て回り、その度に感心したようなため息を漏らしていた。
さて、それから数時間が経とうという頃になってようやく彼女は空腹感を覚え始めた。けれど、出店が多く並んでいたというのは彼女にとって幸いだったかもしれない。
リズベルはソフトタコスを買って、また散策に移ろうと足を踏み出した。直後、
「きゃっ!?」
「うわっ!?」
誰かにぶつかってしまい、思わずよろける。幸いにも倒れるということはなかったが、彼女は持っていたソフトタコスを地面に落としてしまった。べちゃりという嫌な音が響き、彼女はがっくりと項垂れた。
「あ、あぁああああああっ!」
絶望の表情を浮かべるリズベル。ともすれば涙まで流しそうな勢いだった。
「あ、あの……大丈夫?」
「え?」
ふと、リズベルは顔を上げて声をした方向を見やりハッとした。そこにいたのは、一人の青年。赤い髪にパーマをかけている、今風のファッションをした青年だ。彼は不安そうな顔つきで、跪くリズベルを見やっている。
「ごめんよ。怪我はなかったかい?」
「あ、はい……」
言いつつ、リズベルは立ち上がって彼の方を見やる。その瞬間、青年はポッと頬を紅潮させた。
「綺麗だ……」
青年の口からそんな声が漏れる。けれど、それはある意味当然だろう。
リズベルは日の当たらない地底での生活もあいまってか、非常に白く綺麗な肌をしていた。さらに亜麻色の髪は彼女の肌にとてもよく映え、母譲りの青い瞳はサファイアを見たものに想起させるほどだ。
魔女というのは人よりも優れた容姿を持つが、リズベルはその中でも別格だった。村の若い娘たちの中でも指折りの美貌を有していたのである。
あんぐりと口を開ける青年に、リズベルは問いかけた。
「あの、どうかしたんですか?」
「え、い、いや! そ、それより大丈夫だった!? 怪我はない!?」
「はい。大丈夫です。でも……」
言いつつ、彼女は地面に落ちてしまったソフトタコスに目をやった。それはお世辞にも安いとは言い難いものであり、彼女の少ない小遣いを使って奮発して買ったものだった。当然、そのショックも大きい。
それを読みとったのか、青年はポリポリと頭を掻いた。
「あ〜……ごめん。もし、俺でよかったらまた買ってあげるけど、どうかな?」
「いいの!?」
青年は思わぬ食いつきぶりを見せた彼女に驚きを隠せない様子だった。けれど、次の瞬間には優しく微笑み、問いかける。
「もちろんさ。それと……君、もしかしてここ初めて?」
「え? うん、まぁ……そうよ」
「そっか。じゃあ、俺が案内するよ。お詫びも兼ねてさ」
「本当にいいの? あなたって優しい人なのね。お名前は?」
リズベルはきょとん、と首を傾げてみせる。ちょうどその時ふわりと舞った髪から甘い匂いが届くのを感じながら、青年は告げた。
「俺はガルエル。よろしく。君は?」
「私? リズベルよ」
「リズベルか……いい名前だね。それに、ちょっと俺の名前に似てる」
「ほんとだ」
互いに顔を見合わせてクスクスと笑い合った後で、ガルエルが親指で後ろにある出店を指さした。
「俺、いい店知ってるんだ。おいで」
「ええ、ありがとう」
ガルエルが向かったのは、リズベルがソフトタコスを買った店とはまた違う店。彼はそこでソフトタコスを買って、リズベルに恭しく差し出した。
「さ、どうぞ」
「ありがとう」
リズベルは小さな口を精一杯大きく開いてカプッと噛みつく。直後、その大きな目がさらに見開かれ、彼女はハッと口を覆った。
「美味しい!」
「そう? よかった。俺もこの店のソフトタコスは世界一だって思ってるんだ」
「本当、すごく美味しい……こんなの初めて」
心底驚く彼女に慈しみの視線を向けながら、ガルエルは問いかけた。
「ところで、リズベルはどこから来たの?」
「むぐっ!?」
予想外の問いに、リズベルは喉に食べ物を詰まらせてしまう。慌ててガルエルは近くにいた子供の持っていたジュースをかっさらい、彼女に渡した。
リズベルはそれを嚥下するなり、子どもに新たなお金を与えているガルエルに向かって静かに口を開いた。
「私は……そう。ここからずっと遠いところから来たの」
「どこだい?」
「だから、その……遠いところよ」
イマイチ煮え切らない態度を見せる彼女にガルエルも不信感を隠せない様子だったが、次の瞬間にはニッと笑ってみせた。
「まぁ、誰にでも隠し事はあるからいいさ。それより、行こう!」
「あ、待って!」
グイグイと手を引っ張られ、リズベルは思わずつんのめる。すんでのところで踏みとどまったが、彼女の足元には巨大な釘が落ちていた。もしこれを踏んでいたら、意図せず力を使っていただろう。彼女は安堵のため息を漏らしながら、歩調を整えて彼の後を追っていった。
それから二人は街を探索していった。気づけばすでに夜は更けつつあり、出店もほとんど営業をやめていた。
その様を見て、リズベルは肩を落とす。
「もう時間ね……帰らなきゃ」
踵を返し、帰路に着こうとする彼女の腕を掴み、ガルエルは言った。
「待って! お、俺の家に泊まっていきなよ! いっぱい美味いものもあるし、それに……」
「それに?」
「もっと、君のことを知りたいんだ」
ガルエルは顔を真っ赤にしながらも告げた。リズベルもそれに好感を抱かなかったわけではないが、少しだけ物悲しそうに首を振る。
「ごめんなさい、ガルエル……嬉しいけど、私はもう行かなくちゃ」
「でも……」
「ごめんなさい」
流石に並々ならぬ事情があると判断したのか、ガルエルはグッと息を呑み、静かに頷いた。けれど、次の瞬間にはいつもの人懐っこい笑みを浮かべて問いかけてくる。
「わかった。でも、明日は? 明日は、ダメかな!?」
「明日……ええ、いいわよ。それじゃ、また明日」
「おう! また明日、リズベル!」
「じゃあね、ガルエル」
二人は互いに手を振ってその場を後にしていった。リズベルは穴がある方へと向かいながら小さく鼻歌を歌っている。その横顔は幸せそのものだった。
「ガルエル……いい人だったな。また会いたいな」
彼女は胸の中にある温かさを感じていた。それはこれまでに感じたことがないものだが、決して嫌なものではない。むしろ心地よさすら、彼女は感じていた。
家に着くと、真っ先に彼女の両親がやってきた。
「リズベル! 大丈夫だった!?」
「怪我はないか?」
「もう、大丈夫よ、二人とも。平気平気」
リズベルは両親たちを軽くいなして自室に入る。それから、ほぅっと息を吐いた。
「早く明日にならないかな……」
リズベルはそっと目を閉じ、ガルエルの顔を思い浮かべる。すると、またも胸の奥が熱くなった。その感覚を覚えながら、彼女は睡魔に身を任せていく。その寝顔は、とても安らかなものだった。
そして翌日も、そのまた翌日も、リズベルは外界へと出ていき、ガルエルと行動を共にしていた。彼はリズベルにとても親切にしてくれており、彼女もそれを理解していたからこそ、ガルエルに対して好意を抱きつつあった。
ガルエルはこの街の全てを教えてくれた。どこの店が美味いとか、どんな見世物があるだとか、とにかく彼女の知らないことを多く教えてくれた。しかもそれがリズベルにとっては全て新鮮で、退屈しないものだった。
二人は幸せな時間を共有していた。しかし、やはりリズベルは家族のことについて、いや、正確に言うならば故郷のことは語らなかった。ガルエルは最初こそ聞きたがっていたが、数回目ほどで諦めた様子だった。
そんなある日のこと。また日が沈みかけたころ、リズベルはガルエルと共に町の外まで来ていた。リズベルは沈みゆく夕日に目をやりながら、悲しげに目を伏せる。
「そろそろ時間だわ。またね、ガルエル」
「ああ、またね、リズベル」
その時彼が見せた態度に、リズベルは少しだけ引っ掛かりを覚えた。普段ならここで何かしらのジョークを言って一分一秒でも自分と一緒にいようとする彼が、妙にあっさり引き下がったのだ。多少の不信感が彼女の中で芽生える。
けれど、リズベルはすぐにその考えを振り払い、ゆっくりと穴がある方へと駆け寄っていく。
そうして穴のところに着くなり、ぴょん、とそこに飛び込んだ。
――が、ここで彼女は大きな失敗を犯してしまったのだ。
入る時に、誰かが見ていないか確認するという、大事なことを。
事実、木の陰からは誰かが覗いていた。その人物は驚いたような表情になったかと思うと、次の瞬間にはしょんぼりと肩を落として去っていく。その後ろ姿は、哀愁に満ちていた。
翌日、リズベルがいつもの集合場所である街の外まで来ると、そこにはすでにガルエルの姿があった。けれど、彼はいつもの快活さはどこへやら、厳しい顔つきをして彼女を見つめていた。
たまらず、リズベルは問いかける。
「ねぇ、どうしたの、ガルエル?」
「この嘘つき」
「え?」
「来い!」
ガルエルは無理矢理彼女の手を引っ張って、ある場所へと向かっていく。そことは、彼女が通ってきた穴がある場所だ。それがわかっているのか、リズベルは必死に抵抗してみせる。
「や、やめてガルエル! どこに行くの!」
「うるさい!」
彼はぴしゃりと言って、彼女を近くの木に叩きつけた。背中に走る痛みに苦悶する間もなく、リズベルの首に彼の手が添えられる。ガルエルは血走った眼で彼女を見つめていた。
「リズベル。君は、魔女だったんだね?」
「な、何? どうしたのいきなり」
「ごまかさないでくれ。俺は見たんだ。君があの穴から出てくるところを」
ガルエルはゴルフボールほどの大きさしかない穴を指さしてみせる。それは普通の人間では通れないが、魔女だけが通れる秘密の抜け穴だ。
核心を突かれたせいで、意図せず彼女の顔が歪む。その瞬間をガルエルは見逃さなかった。
「俺を、騙してたんだね?」
「……ごめんなさい」
「謝るくらいなら、しないでほしかった」
いつもとは違う彼の強い口調にリズベルは委縮してしまう。けれど、彼はそんなことなど知ったことかと言わんばかりに声を張り上げた。
「君はずっと俺を騙していたんだ。俺がどんな気持ちだったかわかるかい? 君が、魔女だと知った時の気持ちが!」
「……ごめんなさい」
「……悪いと思っているなら、もう二度と来ないでくれ。君の顔なんか、二度と見たくない」
「ッ! 待って! 私は……」
「うるさい!」
ガルエルは彼女の頬を力強く張った。頬に走る痛みを感じながら、リズベルは涙をこぼす。彼はそんな彼女をきつい目つきで睨みつけたままだった。
「もう、二度と俺の前に現れるな!」
ガルエルはリズベルをドンと突き飛ばし、ひとり街へと帰っていく。リズベルは彼を引き留めるように右手を突き出したが、すぐにそれを引っ込めて俯く。
彼女の頬から落ちた一筋の雫が、地面に小さな染みを作った。
それから一週間が経とうかという頃、ガルエルはひとり街に繰り出していた。当然ながら、そこにリズベルの姿はない。
ガルエルは少しばかりのもの悲しさを感じながら、ふと頭上に視線をやった。
「……これでよかったんだ」
彼はポツリと呟く。本来なら、彼とてあのような真似はしたくなかった。
リズベルは聞いていたような残虐で凶暴な魔女ではなかったからだ。しかし、人々が必ずしもガルエルと同じような感想を抱くとは限らない。
もし万が一、魔女だとばれてしまえば、彼女が殺されてしまう。それを避けるためにしたことだった。
「……クソ」
ポツリと囁いた声は誰に届くこともなく風に消えていく。彼は再び歩み出し、街の中心街の方に向かっていった。
そうして、教会のところに着いたところで、ふと視界の端で何かが蠢く気配を感じる。何事かと視線をそちらにやると、そこにいたのは――リズベルだった。
彼女は目深にフードをかぶっていたが、それでもガルエルはそこにいるのが彼女だと理解した。たまらず、彼は彼女に詰め寄る。
「おい! ここには来るなって……」
そこで、彼の言葉は途切れた。
何故ならば……リズベルが持っていた短刀を彼の腹部につきたてたからだ。
「え?」
思わずそんな声を漏らしながらガルエルは視線を前にやった。リズベルは、フードの下で泣いていた。
「きゃぁああああっ!」
その光景を見ていたらしき女性が悲鳴を上げ、近くにいた男性たちが急いで駆け寄ってくる。中には、武器を持っているものの姿も見て取れた。ガルエルは血の滴る腹部を押さえながら、彼女を突き飛ばした。
「逃げろ、リズベル」
だが、彼女はよろけた後で、再び彼の方に歩み寄り、その体を抱きしめた。予想外の行動にガルエルが目を丸くした直後、リズベルの体が発光する。周囲の人々はその眩しさに目を細め、苦悶の声を漏らす。
やがてその光が止むころには、ガルエルの体の傷はなくなっていた。綺麗さっぱり、元のままだ。
「リズベル……?」
不審げな視線を寄越すガルエルに彼女は一際不気味な笑みを返す。それは、普段彼女が見せていたものとはまるで別のものだった。おぞましく歪んでいて、けれど同時に美しく儚い笑み。ガルエルは本能的な恐怖を感じ、身を翻した。
が、そこで彼は踏みとどまる。周りにいた男たちが、鉄熊手や松明を彼の方に向けていたからだ。しかも、そこには明確な敵意が現れている。その中にはこれまで彼が仲良くしていた者たちの姿もあった。
「ま、待てよ。俺は魔女じゃ……」
「嘘をつけ! なら、今のは何だ!」
「あれは俺じゃない! 信じてくれ!」
「黙れ!」
男が突き出した松明が彼の顔を焼く。けれど、次の瞬間には癒えていく。
はた目から見れば、ガルエルが治癒の能力を持っているかに見えるだろう。しかし、それは違う。リズベルが、彼の方にそっと治癒の力を飛ばしていたのだ。
それに気づかない村人たちは声を張り上げて彼を糾弾する。
「魔女だ! こいつも魔女だ!」
「化け物め! ずっと俺たちを騙していやがったのか!」
「殺せ! 殺しちまえ!」
「ち、違う……俺は魔女なんかじゃ……」
男たちが突き出してくる槍から遠ざかるように後ずさりしながら、彼はそんなことを口走る。けれど、人々は依然として強い殺意を抱いていた。
逃げなければ、そう思い、振りかえろうとしたその時だった。
「ガルエル」
そっと、リズベルが後ろから抱きついてくる。ガルエルはそれによって身動きが取れず、必死にもがいていた。けれど、彼女はそこで口角をにやりとあげながら呟く。
「これからはずっと一緒だからね?」
その直後、村人たちが突き出した槍の一本が彼らをまとめて貫いた。
それから数か月後、人々の間にはあるうわさが流れた。
何でも、高い山の頂上にある塔に、いつまでも灯り続ける松明がある、と。
それは非常に幻想的で、見るものを虜にする、と。
しかし、それはほぼ間違いだ。
何故なら、それは松明の明かりなどではなく、人が燃やされる灯りだからだ。
本来なら、人の体などすぐ燃え尽きて火も消えてしまうだろう。だが、これは違う。
何故なら、そこにくくりつけられている二人のうち一人は魔女であり、治癒の力を持っていたからだ。だからこそ、人の油によっていつまでも火は燃え続ける。
もう一方は、普通の人間だったが、その魔女が寄り添うように手を握っているので治癒の力を浴び続けることになり、自然と回復させられてしまう。
二人は涙を流していた。しかし、その意味合いは少しばかり違う。
男の方は、絶望の涙を流していた。
彼はただ、彼女が殺されないようにと願っただけなのに、このような罰を受ける羽目になった。
少女は歓喜の涙を流していた。
彼女は、一度分かれてしまった彼ともう一度結ばれることを願っていたのだ。そして、鎖で木に繋がれた今、その念願は叶ったことになる。
これから彼女たちはどれほど生きることになるかはわからない。
だが、一つだけ確実なのは――いかなる手段を持っても、彼女たちは死ねず、仮に死ぬ時が来るとすれば、それはどちらかの寿命が来た時だけだということだ。