おにぎり
初投稿です。文章がへたくそですが、温かい目で見て頂けるとありがたいです。
そらはどこまであるのだろう。
いきものは、どこからやってくるのだろう。
そんな思いを抱え込んでいた小さい頃の思い出が、今となっては懐かしい―――
おにぎり。
日本のいわゆる「ソウルフード」。日本人のお弁当にお馴染みの食べ物だ。
手のひらに塩を少しつけて、その手でご飯を握って三角形にするだけの可愛いらしい食べ物。だけど、それが意外と難しい。
だからこそ、僕の心の中におにぎりという存在が大きく刻み込まれているのかもしれない。
時は二十年ほど前にさかのぼる。
僕は私立の幼稚園に通っていて、昼食時間は弁当を食べることを義務付けられていた。
小さな、小さなプラスチックでできたお弁当箱。そこには見ている人が楽しめるような。思わずよだれが出るような色とりどりのおかずがいっぱいに詰められていた。
そしてもう一つ。ラップに包んだ小さな三角形のおにぎりがコロンと添えられている。それはまるで小さかった頃の僕とそっくりだった。
ラップを丁寧にはがして。その小さなおにぎりにぱくつく。ほわりと優しい味がしたかな。お弁当箱の中は、空っぽにして持ち帰っていた。
小学生に入ると、学校で給食というものが配られるようになった。母の作ったお弁当を食べる機会は減ったけど、遠足などのイベントの時はいつもお弁当を持って行っていた。
お弁当と、おにぎり。おにぎりは幼稚園の頃よりも少し大きくなっていて、数も二個に増えていた。
そよそよと気持ちのいい風が吹く公園で、友達としゃべりながらおにぎりを食べる。中身はシャケ、おかか、こんぶ、梅などバラエティーが豊富になっていて、食べるたびに何が入っているのか楽しみでしょうがなかった。まるで宝箱を開けるような感覚。母のサプライズによって僕の心は満たされていった。
中学生になると、部活動の関係によってお弁当を持ち込む機会が増えた。中学生の時は食べ盛りで、小学生の頃よりも大きなおにぎりと特大弁当を持って行った。食べすぎなんじゃないかと疑われるくらいに食べまくっていた。今、あの量を思い出すだけで吐き気がしそうだ。
この時期に入ると、思春期というものが待ち構えている。僕は、親との会話数が減る反面、友達との関わりがかなり増えた。気になる女の子もできて、一日中その子の事を考えていた時もあった。
親は無理に僕と話すようなことはしなかった。「おかえり」とか、「学校楽しかった?」と、軽く聞けるくらいの会話。僕がどんなぶっきらぼうな返事をしても、母はにっこり微笑んで僕の心を包み込んでくれるのだった。
そんな母のありがたみを忘れてしまったのは、いつからだっただろうか。
きっと、空はどこまであるのか。生き物はどこからやって来るのか。もうそんな疑問を考えなくなった。そんな年頃。
「現実」
というものを、少しずつ分かってきた頃だろう。
お弁当を作ってもらうのは当たり前。家事をしてくれるのも当たり前。
無意識のうちに、「日常」というものはすぐ手元にあるもの。そう考えてしまっていた。
高校生になった。義務教育が終わり、自立しなければならない年頃。でも。
僕はまだ、親に甘えていた。自分は日常という名の「いつも同じ」という時間を常に持っているものだと勘違いしていた。手伝いもしない。会話も少ない。
母を労わる。そういう気持ちは自分の中にとっくに消え失せていた。
高校二年生の秋。紅葉が散り始め、葉っぱが風に乗ってどこか遠くへ行ってしまう季節。
「あなたのお母様が、病院に搬送されました」
口をぱっかりと開けて、どこを見ているのか分からない目を彷徨わせながら、今の言葉を心の中で呟いた。
ありえない。あの、いつも元気で朝早くにお弁当の支度をしていた母さんが、病院にいる? 嘘だろ?
しかし、実際に病院に行くと、現実は今、お前の目の前にあるんだと突きつけられる事となった。どうやら母は、道端で急に倒れてしまったらしい。今は病院のベッドで静かに眠っている。目の前で眠っている人は、いつもせかせかと働く母の姿に思えなくて。
ガラス越しに、枯れた葉っぱが風に乗って飛んで行くのが見える。その葉っぱがどこへ行くのか誰にも分からない様に、僕の母もどこかへ飛んで行ってしまうんじゃないかと思えてきて。殺風景な室内で、ただ立ち尽くしていた。
父は今単身赴任中で、父から「帰りたいのは山々だけど仕事の関係でしばらく帰れない。すまない」というメッセージをもらった。僕は無理をさせたくなかったから、適当にあしらった。家には時々祖母が来てくれた。でも、来ない日は家事も全て自分でやりこなしたのだ。
洗濯物、掃除、料理。毎日母は当然のようにしている事なのに、僕は大変疲れた。洗濯物を洗っても、またすぐに洗濯物の山ができる。掃除をしても、またすぐに汚れてしまう。料理をしても、すぐに食べ終わってしまう。やってもやっても大きな喜びを得られない繰り返しの作業。いつしか疲れ果てて、手を抜くようになっていった。
家事をしていて、どうして母はそんな作業を黙々と、しかも毎日やり遂げる事が出来るのだろうかと思った。母のすごさを改めて知ることとなった。
母が入院してから二週間たった日、僕は不器用な手つきでリンゴの皮を剥いていた。
「わざわざありがとね」
母が微笑むと、僕の心に温かいものが降り注ぐ。
「リンゴの皮剥けたよ」
八等分に切り、皮を剥いたリンゴをフォークに刺して母に手渡す。それは見た目がガタガタで僕の理想の形とはひどくかけ離れていた。それでも母は、「リンゴを剥く姿なんて、久しぶりに見たわね」と言い、リンゴをしゃくりと食べた。
「どう? しっかりと過ごしてる?」
母が僕の方を見て、優しい声で訊いてきた。
「うん、まあ、ぼちぼち」
「そっか」
そうして母は、窓辺を見つめた。遠くを眺める様な目つきで。
「……しっかりとご飯食べてる?」
母の顔は見えない。ただ、さっきよりもか弱い声が室内に響き渡る。
僕は母の質問にぎくりとした。料理するのが面倒で、しばらくの間、夜はカップラーメンで済ませていたのだ。
「レトルトでもいいから、しっかりと食べるのよ。おばあちゃんが時々来るみたいだけど、なかなか顔を合わせられないだろうし」
「母さん、僕の心配じゃなくて、自分の体を心配してよ」
ふふ、と母さんが笑い、顔をこっちに向けてきた。
「早く治すからね」
少し寒い室内。なのに、周りは温かい雰囲気に包まれていた。
お見舞いに行った日の夜、初雪が降った。その年は雪が降るのが早かった。白い空からの宝石が、地面を優しく包み込む。
自立。
大人になったら当たり前。世間ではそう思われる。けれど、それがいざとなると難しい。僕は甘えていたんだ、と気づいたのはその時が初めてだった。僕は家族を労わらなければならない。何気ない雪のように、そっと、ふわりと、優しく。
僕は家に帰り、ソファーに座りこんだ。そこで、パッと思いついたのだ。いつもコンビニでお弁当を買うけど、たまにはお弁当を作ってみようかなと。けれどさすがに僕にとってハードルが高すぎるので、おにぎりだけ作ることにした。
早速練習だ。と気合を入れ、キッチンの前に立つ。ご飯は昨日祖母が炊いて冷凍したものがあるのでそれを使う事にした。
ラップにご飯を入れ、塩をパラパラとまき、ラップで包んで形を整えていく。それだけの単純な作業。最初はそう考えていた。
しかし。
ご飯は熱くてラップ越しでも持つのが大変で、形も、いつも母が作ってくれていた三角形の可愛らしい形が出来なくて。完成したのはほぼ丸なんじゃないかと思われる自分なりの三角おにぎりだった。一口食べてみると、所々で塩味が薄かったり、逆に辛すぎたりでおいしくなかった。母は、どうしてあんなに理想のおにぎりが作れるのだろう。……きっと慣れているからだ。そう考える事にした。
次の日の昼食時間。僕の友達が手作り弁当を食べていた。
「あれ、珍しーな。お弁当なんて」
僕が不思議だなと思って訊くと、そいつの表情が緩くなった。
「いや、これさー、女子からもらったんだよな。めっちゃうまいよ」
「へえ、良かったじゃん」
「俺の為に作ってくれたんだとさ。嬉しーよなそれって」
ニコニコと満面の笑みでおにぎりを食べる彼。
咄嗟に母がいつも作ってくれた弁当を思い出す。彩りを考えたおいしいお弁当。そこにちょっとしたサプライズで具の入ったおにぎり。つい二週間前まで知っていた味なのに、それが懐かしく思えて仕方がなかった。
それから、僕は毎日夜におにぎりを作るようになった。ご飯も自分で炊いて。僕は母のいない寂しさを少しずつ抱え始めていた。それを紛らわすという目的もあったかもしれない。
ご飯を炊き、ラップでご飯を包み、塩を振りかけ、握る。一回目に作ったものよりはましになってきたけれど、まだまだ母が作ってくれたおにぎりにはかなわない。
一体何が違うのだろう?
こんなにおにぎりについて追及したのは初めてだった。けれど何を求めているのかは分からない。ただ、おにぎりを作る事によって何かを探していた。
おにぎりを作り始めて二週間。母が入院してから一ヶ月が経っていた。
母は元気を取り戻し、もうすぐで退院できるまでに回復していた。
「母さん」
「何?」
いつもと変わらない、優しい笑顔。
「もう退院できそう?」
「うん。ホントによかったわ」
もうすぐで真っ白な建物から母さんを脱出させる事ができる。それが嬉しくて、俺は思わず軽く笑った。
「ねえ、見て」
母が窓の方を指さす。その先には雪に隠された建物や木の幹、辺り一面に白いじゅうたんを敷いたような景色が広がっていた。
「雪が、光っているでしょう?」
よく見ると、太陽によってそのじゅうたんは白く淡い光を放っていた。
「まるで、辺り一面にダイヤモンドが散りばめられてるみたい」
母は、目を輝かせながら笑う。
「雪一つ一つはとても小さくて、少しでも温かいと跡形もなしに溶けてしまう。でもね、太陽という名の優しい光を浴びると、それら一つ一つは感動の光を伝えながら溶けてゆく。同じ動作でも、もたらすものは全然違うのよ」
母はそう言うと、僕の手をぎゅっと握った。
「今言った事の意味が分かる?」
僕は「分からない」と呟いた。母は「そっか」と言って、もう一度外の景色を眺めた。
家に帰り、おにぎりを作る。もう、何日おにぎりを作ってきたのだろうか。まるで一日一枚折り紙で鶴を折るように、僕は孤独におにぎりを握る。おにぎりを作っていると、なぜだか小さい頃を思い出す。母がいつも隣にいたあの頃を。
家に帰ってきて、小腹がすいた時に母が作ってくれた一口サイズのおにぎり。
友達とケンカして、泣いていた時にそっと差し出してくれた、甘い梅干し入りのおにぎり。
全て母の思いがこもっていて、僕のことを一生懸命考えてくれた。
今までの僕は、逃げていたのかもしれない。生きている限り、常に「現実」というものが目の前にある。それにいつしか押し倒されるようになって、自分が嫌になって……。
そんな僕を認めてくれるのは母で、母はいつも僕を支えてくれた。それが当たり前だったから。僕は母に甘えていたから。「日常」は目の前にあると。今までは思っていたのだ。
けれど、そんなものはない。
母が病院に入ってから、おにぎりを毎日作っては母の事を思い出していた。それによって母が傍にいるんだと考えて、安心したかったんだ。母がいない事への不安を紛らわしていたんだ。
小さい頃の記憶。
おにぎりを食べて、笑顔で、純粋な明るい未来に心を浮かせてた頃。
あの頃はもう過ぎた。
現実を見て、動かなければならない時が来たんだ。
母が退院した。
母は、僕の手をふわりと握ってきた。少し恥ずかしかったけれど、その手は柔らかくて、つぼみだった花が咲き開くように嬉しくなった。
「あまり無理しないでね」
「はいはい」
僕は母の肩をマッサージした。「気持ちいいなあ」と呟いてくれたのが嬉しかった。
しばらくマッサージしていると、母が口を開いた。
「ねえ、何か作ってほしい料理ある?」
僕は、はあ、とため息をつく。
「今、無理しないでって言ったのに」
「いいじゃない。せっかく退院できたんだから。で、何食べたい?」
母がさあ言ってと促してくるので、僕はぽつりとこう言った。
「おにぎり」
「おにぎり?」
一瞬母は目を丸くしたが、すぐに、
「いいわよ」
と、微笑んでいた。
母がおにぎりを作る時は、手にラップを持たない。素手で熱々のご飯を握る。母が塩味やおかか味のおにぎりを作って皿に乗せ、テーブルに置いてくれた。
「いただきます」
僕はおにぎりを口に運ぶ。食べた瞬間、程よい塩味が口の中に広がり、同時に何か温かい、フワフワしたような感覚がこみ上げてきた。
そうだ、この味だ。
小さいころ楽しみにしていた宝箱。どんな僕でも認めてくれる。包んでくれる味。
おふくろの味。
まさにこれだ。
知らない間に、僕の頬に熱い雫が流れていた。
無意識に出でくる涙。別に悲しくなんてないのに。なぜ、泣いているのだろう。なぜ、こんなに胸が熱くなるのだろう。
母は泣いている僕を抱きしめた。何も言わずに、ただ、僕の背中をなででくれた。気恥かしいような、くすぐったいような気持ちが心の中で波となって現れ、思わずしゃくりあげる。さっきよりも大きな涙の粒を目にためてしまう。
僕はもう一度おにぎりを頬張った。その時、ああ、そうか、と思った。
安心しているのだ。母がいなくなるんじゃないかという不安に解放されて。そしてそんな母が、自分の為におにぎりを作ってくれる。それがただ、嬉しいのだ。
胸の中の蟠りがそっと溶けていくような感覚がした。おにぎりの味と交わって、温かなものへと変わっていくような感じがした。
優しい光を浴びて溶けてゆく雪のように。
二十七歳に、僕は結婚した。相手は大学生時代から付き合っていた女の子で、教師を務めている。今は二人の子供がいて、一家のお父さんとなった。
お父さんになるのは正直不安だった。一つの小さな小さな命を抱える事になるから。でも、妻と共に頑張ってきて、ここまでやってくる事ができた。
子育てをしていて、僕が子供にいろんな事を教えてやってるはずなのに、逆に子供から教えられることが多いのに最近気づいた。
子供の笑顔は、純粋で無垢で……ずっと、宝物のようにそっとしまっておきたくなる。けれど。
いつかきっと現実を見なければならない時が、この子たちにも来る。そんな時は失敗したり、一度逃げてもいい。転びまくって、泣いてもいい。けれど。
一つ一つの思い出を、大切にしてほしい。
日常、という名の繰り返されるものは、この世にないのだから―――
青々と茂る草原の道を通って。
僕は一つの墓石の前で立ち止まった。
「母さん」
墓石の目の前で、僕は語りかけるように話す。
「僕も、妻も、二人の子供も、みんな元気に暮らしてます」
それから、最近あった事、みんなの事を母に語った。
背中に当たるそよそよと吹く風に身を任せると、自然の音が聞こえてくるようだ。春の始まりを喜ぶ爽やかな声。
母は二年前、静かに死んだ。布団の中で、どこか幸せそうな顔をして。死ぬにはまだ早いのに、どうやら後悔はしていないように見えた。
僕の唯一の母親。僕を支えてくれた母親。死んだと知った時は、悲しみより先に、
今までありがとう。
という感謝の気持ちが口から零れ落ちた。
母は、幸せな死に方をしたと思う。だって誰にも迷惑をかけなかったから。
もう一度、母に語りかける。
「いつか僕も、みんなにとっての優しい光になります。だからその時まで、どうか天国で見守っていてください」
その時、風がふと止まった。
そして、右手が少し温かくなった。柔らかい、あの頃感じた感触。
母さん。
再び、風が吹き始める。
小さい頃作ってくれたおにぎり。あれには母の愛情がたっぷり詰まっていた。
おふくろの味。
それを、僕は死んでからも忘れないだろう―――
空を見上げると、空が青く澄み渡っていた。そこに浮かんでいる太陽が、温かな光を放ち、此処にある全てのものを優しく照らしていた。
僕も優しい光になりたい、みんなに感動を与えたい、と思った。だって、いままで僕自身がその光に助けられてきたから。
母は僕に、優しい光を溢れるほどくれたのだから。
最後まで読んで下さりありがとうございました。やっぱり、普段過ごしている日々を当たり前だと思わず時には感謝することも必要だと思います(個人的な意見ですが)。
また作品を投稿するかもしれませんので、どうかよろしくお願いします。