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scene5 <警察署会議室・当日2>

——……あなたは大変なまちがいを犯しました——そして、あなたはそれを悔みながら、今後の人生を過ごすことになるのだ、とわたしは考えます……——

(“AN INSPECTOR CALL” J.B.Priestly)



scene5 <警察署会議室・当日2>



 反筆の表情は、それまでの押し殺した険しさではなく、怒りと悔しさを滲ませた激しいものになっていた。仮に、彼の考えた通り、劇場に立ち寄ったときに犯人が中にいたのだとしたら、根居部さんを救うために何かできたのではないか、という思いにとらわれたのだろう。

「あんたのせいやない」やっと涙が収まった窓輪さんが、反筆に声をかけた。「あの場におったんは、あんただけやない。私も、ミャーもおった。もしあんたに何か責任があるのなら、それはうちらにもある。あんたのせいやない、あんただけのせいやない」

「……わかっているさ」

 窓輪さんから視線をそらして、反筆は新しいタバコに火をつけた。

 部外者の僕は、燃やせば灰と光と煙になるタバコの切っ先を見ながら、その連帯感を少しうらやましい、と思っていた。

「しかし、今の主宰さんの想像は、番田さんが供述通りに自宅に戻った、ということを前提にしていますな」スーツ姿の刑事が言った。「それは証明できますか?」

「さっきも言ったけど俺は一人暮らしの一人もんだし近所の住民が証言してくれりゃありがたいけどそうもいかねぇだろうし証明は難しいだな」

「電車を使ったんだろう?だったらお前、IC乗車券を使ったか?」

「ああ、そうだけど」

「じゃあ刑事さん」反筆が言った。「IC乗車券の履歴を調べれば、番田が何時に高円寺で降りたのかってことは証明できますね」

「なるほど。それが0時に近くて、高円寺を降りたあとで乗用車やバイクやタクシーを利用して劇場に舞い戻れないくらいの時間だったと証明できれば、少なくとも0時にあなた方が劇場に立ち寄ったとき、中にいたのは番田さんではないことになる、というわけですな」スーツ姿の刑事がにやりと笑った気がした。「そこまで自信がおありなら、供述は信用しましょう。後で裏付けはとるかもしれませんが。それに、仮に番田さんが犯人だとして、もし根居部さんを殺害する動機があったとしても、劇場を現場に選ぶ必要は薄いですからな。鍵を持っている以上、自分の容疑が濃いことを喧伝するようなものだ」

 この刑事、最初からそう思っていたのか。それでいて、揺さぶりをかけるためにあんなことを言ったのだとすると、かなりのやり手なのかもしれない。

 IC乗車券の履歴もそうだが、携帯電話の発着信履歴を調べられれば、番田さんが何時にどの辺りにいたのかは大体わかってしまう。十一時半過ぎに反筆が、関係者にメールを送っている。それをどこで受信したのか、基地局が絞り込まれてしまえばそれまでだ。もし劇場近辺で受信していれば、番田さんの容疑は濃くなる。証言では、携帯電話を探しに劇場に戻って、それを持って帰宅しているはずなのだから、少なくともそのメールは高円寺付近で受信されていなければならない。反筆のメールがいつ、どこで来るかなんて予想できないはず。そこに工作をする余裕はない、と考えていい。

 そして、番田さんが、というよりも劇団関係者が犯行現場に劇場を選択する必要性がない。つながりが強すぎて、間違いなく警察に疑われる。もし劇場関係者が犯人なら、計画的な犯行ではないんだろう。

「となると、番田さんは鍵をかけて帰ったのか、かけずに帰ったのか……不確定性原理のような話になりますな」

 妙に学のある刑事らしい。ハイゼンベルクを持ち出すなんて。もっとも、使い方は間違っているような気がするけれど。

「鍵をかけていったとすれば、被害者と犯人はどうやって中に入ったのかがわからない。しかし中に入ったことは間違いない。合理的に考えて、番田さんが鍵をかけ忘れた、と考えるのが妥当でしょうかな」

 会議室のドアがノックされた。パーカーの刑事が立ち上がりドアに駆け寄る。わずかに開かれたドアから、誰かが何かを囁いているようだ。ドアの方を振り返っていた僕は、相変わらず無言のままうなずいているパーカーの刑事の表情が、相変わらず一ミリも変わらないことに、奇妙な感動さえ覚えた。

 戻ってきたパーカーの刑事は、スーツ姿の刑事に何事か耳打ちすると、すぐに彫像のように動かなくなった。

「舞台の上に置かれていたビールの缶、気づかれましたか?」

「え?」

 スーツ姿の刑事の言葉に、反筆は意表をつかれたようだった。

「そんなもの、ありましたか?」

「いや、あったんです。気づかれた方は?」

 劇団の面々はかぶりを振った。しかたなく、僕は手を挙げた。感心したような表情で刑事は僕を見て口元だけで笑った。

「ビールに何か仕掛けがないのか、鑑識がざっと調べたんですが、特に何もなかったようです。こぼれていたビールにも、薬物の類いが混入されていた形跡はない。しかし、現場にビールが残っていた、というのは唐突な感じがしますな。例えば、先ほど主宰さんがおっしゃったように、劇場とお別れをする、という口実で何者かが被害者を劇場に誘い込んだとする。酒を交わしている最中に事件が起こり、被害者が死亡する。犯人は、自分の痕跡を消すために、当然自分も飲んでいたであろう酒は持ち去るでしょう」

「突発的に起こった、ということですか?」僕は訊ねた。

「そうですね。さらに、何らかの理由で、被害者の頭部を持ち去らなければならない事態が生じた。本当なら、劇場で事件があったことを隠したい、しかしとても被害者を運び出すことはできない。苦肉の策で、頭部だけでも持ち去った、とすると……いやいやしかし、これはまだ推測。たまたま行き会ったシリアルキラーが、たまたま開いていた劇場に被害者を連れ込み殺害して頭部を持ち去った、という可能性がないわけではないですからな」

 どうやら刑事は、まだ劇団関係者を疑っているようだ。殺人事件の九割以上は縁故者によるものだ、当たり前といえば当たり前か。

 刑事二人は立ち上がった。

「さて、本庁の連中が到着したようなので、少し外します。この後の取り調べなどについて、方針が出るまで、申し訳ありませんがここにいていただきます。お手洗いなんかは、外にいる警官に声をかけてください、案内させますので。では」

 スーツ姿の刑事が、少し苦い表情で言った。本庁の連中、というのが気に食わないのだろうか。警察小説であるような、所轄と本庁の対立というものはどうやら実在するらしい。パーカーの刑事はついに一言も発しないまま、慇懃に頭を下げて、スーツ姿の刑事について会議室を出て行った。

 張りつめた空気は、少しも和らがなかった。会議室に重く立ちこめていたのは、二人の刑事の重圧ではないからだろう。堂戸さんは平静な顔のまま、震える手でタバコを灰皿に葬った。番田さんは椅子にどっかり座り込んで頭を抱えていた。窓輪さんは、ひとしきり泣いたせいか、妙に空っぽな表情で、まだ起き上がれない宮園さんの隣に戻った。

 そして部外者の僕はといえば、刑事に差し入れられたペットボトルのお茶を飲んで、考えることもなく考えていた。

 番田さんが鍵をかけ忘れたために、根居部さんと犯人は劇場に入ることができた。しかし、番田さんが鍵をかけ忘れるかどうか、なんてわかるわけがない。計画的ではない。

 たまたま根居部さんが劇場に入るところを見て後を追いかけた。根居部さんのストーカーがいたのなら、あり得るかもしれない。

 逆に誰かが劇場に忍び込むところを根居部さんが発見して追いかけた。根居部さんはそこで襲われて、あんなことになってしまった。強盗かなにか、行きずりの犯行。あれだけ劇場に愛着を持っていた根居部さんが、深夜劇場を訪れたことは、偶然とは言い切れないいかもしれない。

 でも、犯人はどうしてあんなことをしたのだろうか。

 反筆の方を見ると、タバコをくわえたままで僕を睨んでいた。

「……僕、さっき何かまずいこと言ったかな?」

「あ?……いや、そうじゃない。ただ、お前の考えていることがわかって、同じことを考えている自分がいることに気づいて、ムカついているだけだ」

「じゃあ、やっぱり」

「だから、それがムカつくんだ。一体どこの馬鹿が、根居部を殺した挙げ句に、あんなことをする?それも、俺やお前が思いつくろくでもないことだ。現実にそんなことがあり得るか?」

「……」

「主宰、先ほどからまぁお前さんらしくないね。こんな事態だ、取り乱すのもわからんではないが、そのイライラを彼にぶつけるのがまぁらしくない」堂戸さんは、反筆を諭すことで落ち着きを取り戻そうとしているようだった。「私らにわからんことを、何か気づいているのかね?」

「ほんまか、反筆!」

 窓輪さんが噛みつくように叫んだ。番田さんも顔を上げて、何かにすがるような目をして大学の先輩達を見た。

 反筆はタバコを消して、さらにイライラしたように頭をかいた。そのとばっちりで、僕にタバコの箱を投げつける。

「ちくしょう、俺は言いたくない。お前に任せる」

「え?僕が?」

「ちょい待ち、反筆、たまたまうちらの芝居を観に来てくれて、そのために巻き込まれたこの人に何をさせるんや?あんたホンマにどうかしとるで」

「どうかしていてもかまわん」

「反筆……」

「あの、窓輪さん。いいんです、無関係な僕のほうがきっと、適任なんです」

「適任て、どういうことや?」

「つまり……ああ、その、僕の精神が少々病んでいる、ということを考慮に入れて聞いてください。つまりですね、ある人間関係の中で何か事件が——深刻なものに限らず事件が起こった場合、その関係から離れた人間が話を進めることが、まだましなんです。冷静さを喚起することができるでしょうし、どんなサジェスチョンをしたところで関係者の中に憎まれ役はいない。できれば、ずかずかと踏み込んでいけるとよりよかったのですが、仕事をしていた頃の図々しさが思い出せなくて」

「まどろっこしい!」窓輪さんが叫んだ。「要するに、何やねん!」

「はぁ、つまりですね……」

 まさか、自分が人生でこんな役割を振られることになろうとは、ついさっきまで考えてもいなかった。

 入り組んだ人間関係を外部から俯瞰し、あるいは内部に入り込んで糸をほぐし、最後にはその人間関係を完膚なきまでに破壊して回復不能にする、あの役割。

 剛胆で賢明な反筆が、だからこそ自ら放棄した役割。

 星回りの悪いことこの上ない、作者という名の神に選ばれたスケープゴート。

「つまり、探偵をしようと思うんです」

 推理小説における探偵の役割を。

 願わくば僕が、間抜けな探偵でありますように。

 ぽかん、と口を開けた窓輪さんは、すぐに心底哀れんだ表情になった。

「……反筆、この兄ちゃん、心を粉砕骨折しとるみたいやけど、病院連れてかんでもええんか?」

「いい。いいから、やらせろ」

 主宰のゴーが出た。

 それではせいぜい、この舞台で演じるとしようか。

「みなさんは、『チャイナ・オレンジの秘密』というミステリーを知っていますか?」

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