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scene10 <稽古場・当日4>

——「ぼくが出かけると、何か大騒動が必ず起こる。それなのに、どうしてまた、ぼくが行きたいなどと思うのかね」——

(“Mind Over Matter” Ellery Queen)



scene10 <稽古場・当日4>



「反筆、もう止めたほうがいいんちゃうか?この兄ちゃん、ちょっとおかしくなっとるで?今のうちに止めて、家に帰した方がええ」

 窓輪さんの言葉に、反筆はゆるゆると首を振った。タバコをくわえて、煙に目を細めて、何か諦めたように椅子に体を預けた。

「いい。やらせろ」

「あんたなぁ」

「いいんだ。本当ならこの役割は、俺がやるはずだったんだ。それを最初にこいつにやらせた責任が、俺にはある。だから、最後までやらせるんだ」

「……知らんで、どうなっても」

 窓輪さんも覚悟を決めたのか、腕組みして、一瞬だけ宮園さんを盗み見た。

 宮園さんは毅然とした表情で、僕を見ていた。大きな瞳がかすかに動揺している。しかし、その姿勢は揺らがない。異議を唱えてくれると、僕が面目をつぶすだけで終わるんだけれど、どうもその様子はない。

「では、続きと参りましょう。密室のトリックを解体する、ミステリーの名探偵であれば最大の見せ所です。が、時間をかけるところではありませんので、簡潔に。

 まず、宮園さんが合鍵を持っていたのではないか。

 この可能性は否定しきれません。そして、もし合鍵を持っているのであれば、これから申し上げるようなことをする必要はなく、当然ながら自分を嫌疑から外すために、逃走する際に鍵をかけていくでしょう。外から鍵をかけられるのは、鍵を持っている人間だけです。合鍵を持っていたら、あえて外から鍵をかけて、その鍵はどこかにとっとと捨ててしまって、警察には『合鍵なんて持っていません』という顔をすればいいのです。それだけで、『外から鍵をかけられない人物』として見られ、容疑が薄くなります。それをしていない、ということは、合鍵を持っていなかったと仮定できます。

 何らかの理由で、宮園さんは根居部さんの後を追って劇場に入ります。このとき鍵がかかっていれば、あの状況にはならなかった。つまり、あの状況が現出していること自体が、根居部さんが鍵をかけなかった傍証になるでしょう。

 宮園さんは、ある理由により、根居部さんの遺体から頭部を切り取らなければなりませんでした。そこで、のこぎりを使おうとした。しかし、その最中に、メールが入ります。一度目は、飲み会がお開きになった、というメール。次は、0時に劇場に集合する、というメール。内側から鍵をかけて立てこもればよかったんですが、そうするとアリバイが確保できない。劇団内部の犯行が疑われれば、様々な捜査がなされる。そんなときに、アリバイのない自分は真っ先に疑われることだろう。だが、そう、もし劇場の扉が開かないこと反筆達と一緒に確認できれば、この事件における一番重要な時点でのアリバイを確保できる。

 ここで宮園さんが取った行動が、本当に行われたのか、実際に行って間に合うものなのかどうか、僕にはわかりません。何度も申し上げていますが、これは妄想ですから。しかし、間に合ったから、あの状況を作り出すことができたのだと考えています。

 一つ、思い出していただきたいのは、これは、あの劇場のドアが、外に向かって開くものだったから成立したトリックだ、ということです」

 一息ついて、僕は机の上のコップに手を伸ばした。その中身が日本酒だということを思い出し、近くに置いてある、誰のかわからないペットボトルのお茶を一口飲んだ。

「まず、照明のバトンを下ろし、根居部さんの遺体を逆さになるよう、足の部分で結びつけます。次に、ロープを根居部さんの首にきつく巻き付けます。引っ張ると絞まる結び方がありますよね、あんな風に、です。そして、その反対の端をドアの持ち手——ノブではなく、縦に長い金属のバーでした——に結びつけます。ぴんと張る長さではなく、少し余裕を持たせます。

 次の作業が大変です。脚立を立てて、バトンのカウンターウェイトを乗せる部分の下に置きます。そして、ウェイトをどんどん乗せていきます。本来なら、ウェイトを乗せるとバトンが上がっていくはずですが、脚立がストッパーになって、バトンは上がりません。十分なウェイトを乗せたら、脚立にもう一本ロープを結びつけて、その端を持って外に出ます。根居部さんの遺体に巻き付けたロープに少し余裕を持たせたのは、張りすぎてしまうとその時点でドアが開かず、犯人が外に出られないからです。外に出たら、脚立に結んだ方のロープを思い切り引っ張り、ロープの端は劇場内に投げ込みます。

 脚立が倒れ、ウェイトが落下します。引っ張られてバトンが天井に上がります。すると、根居部さんの遺体に結びつけてあるロープがぴん、と張られます。当然、遺体もかなりの強さで引っ張られるでしょう。

 この状態で、ドアを外から引っ張って開けようとしたら、どうですか?鍵がかかっていなくても、100キロ近い重さのウェイトで引っ張られているんです。鍵がかかっていると錯覚してもおかしくはないでしょう?」

 自分の説明がどこまで伝わったのか、本当は図でも書いて説明できればいいのだけれど、とりあえずは分かってもらうしかない。

「何か、ごちゃごちゃしとってよくわからんけど、とにかく、根居部ちゃんの首にロープを結びつけて引っ張らせたなんて妄想しよったことだけはよくわかった」

 窓輪さんが睨んできた。それも然り。

「しかし、仮にそういうことが起こったとしてだな、要するに端を固定されたロープでドアを内側から引っ張ってるということだよな?朝になったら、どうやって中に入ればいい?」

 反筆が明らかに頭の中で図を描きながら訊ねてきた。

「まぁそうだな。妄想としては面白いかもしれないが、その妄想が正しいとすると、誰かがロープを緩めるか、切ってもらわなければ中には入れんな」

 堂戸さんもうなずいた。

「そう、ちょっと説明が足りませんでしたね。犯人は、根居部さんの首をある程度切っていました。その切り口に、きつくロープを結びつけました」

「……あ、あれまさかとは思うけどよ……」

 番田さんの顔が青ざめた。

「まさか。その、まさかだと思います。

 警察で聞いたところによると、根居部さんの首は、のこぎりも使用したようだが、何かで半ば強引に引きちぎられたような状態だったそうです。そして、犯人は、最初から首を切断して頭部を持ち去るつもりだったんです。ですから、ウェイトで引っ張られて引きちぎられたとしても、別に構わなかった。そして、首が切断されれば、それは固定されていたロープが切断されたのと同じであり、再び劇場の中に入ることができるようになります。犯人がロープだけではなく、根居部さんの体を使って内側から密室を作り出した理由は、首がちぎれることで自動的に解錠されるタイマーを仕込み、再び外から入れるようにするために他なりません」

 僕はそのときの様子を想像して震えた。バトンに固定された足と、ドアに固定されたロープに縛られた首。それがウェイトで引っ張られることで、首にどんどんロープが食い込んでいく。最初にのこぎりで傷つけられていたため、肉をえぐりながらロープが締まり、それが骨にまで達すると、引っ張る力に負けて頸椎が外れ、首は床に転がる。体はそのまま振り子運動で、舞台の上に戻る。

 人の体を使って鍵をかけた密室トリック。死者への冒涜だと思う人もいるのだろうか。普通は思うのだろう。あるいは、そんなことを妄想した僕こそが冒涜者だと非難するのだろうか。普通は非難するのだろう。

 僕の視線を、宮園さんは正面から受け止めた。僕は視線を反らした。何故笑い飛ばさないのだろう。何故怒り出さないのだろう。

「宮園、今のは妄想だな?」反筆の声が震えている。「あいつの言ったことは妄想だ、そうだな?」

「そうや。何でミャーが根居部ちゃんと殺した上に、そんなことせにゃあかんねん!ミャーにとって根居部ちゃんは、何よりも大事な存在やったんやで!それを、そんなこと、できるわけないやろ!」

 窓輪さんはいつも正しい、僕はそんな風に思えるようになってきた。いつも正しい、けれどいつも正しいことだけが讃えられるわけではない。

 まだ語らなければならない。

「宮園さんからの反論がないので、続けさせていただきます」

「待て、お前」

「最後までやらせろ、といったのは君だ。そして、最後までやる、といったのは僕だ。僕を止めるなら、君が続きをやれ」

「……」反筆は押し黙った。

「続きです。

 劇場前で、中に入れないことを確認し、反筆達と別れた宮園さんは、当然その後、劇場に舞い戻ります。そのときに、既に中に入れるようになっていたかどうかはわかりませんが、とにかく中に入りました。ドアの持ち手に結んであるロープをほどき、切断された頭部と、使用したのこぎりも一緒に持ち帰ります。脚立を直し、結んであるロープを片付けます。遺体は、逆さまになって、バトンに吊り下がっています。あとは、いくつか椅子を引っくり返して、劇場を後にしました。

 劇場のドアに鍵がかかっていなかったのは当然です。宮園さんは鍵を持っていないのですから、外から鍵がかけられるはずがないのです。また、朝になって、反筆が、ドアががたついているのではないか、と言っていましたが、これはトリックを実現させたとき、瞬間的に大きな力がかかったために歪んだのではないかと思います。

 表面上、起こったことはこれだけです」

「……確かに説明はされているようにまぁ感じるがね、私としては動機を訊ねたいところだ。何故、宮園くんは、敬愛していた根居部くんを手にかけ、あまつさえあんな仕打ちをしたのかね?」

「そうだぜさっきマド姉が言ったけどよミャーに根居部を殺す理由があるとは思えねぇぜその辺りどうなんだよ名探偵さんよ」

 堂戸さんは少し眠たげな目で僕を睨み、番田さんはその素早さでいまにも僕に襲いかかってきそうだった。

「本当の名探偵は、動機までを当てようとは思わないものです。動機を考慮することで、見失うものがあるからでしょう。しかし、今回は、動機もまた大きな謎であり、それがある問題と有機的に絡んできます。そして、僕は名探偵ではないので、動機には大いに興味があります。

 ところで、窓輪さん、堂戸さん、そして番田さん。みなさんがおっしゃったように、僕にも、宮園さんが根居部さんを殺害する理由があるとは到底思えません」

「……はぁ?」窓輪さんの目が丸くなった。

「でもあんたさっき犯人はミャーしかいないってなこと言ってなかったか?」

「『犯人』とは言いました。しかし、『殺人犯』とは言いませんでした。確かに残念ながら宮園さんは法を犯しましたが、それは死体損壊であり、決して殺人ではありません」

「……じゃあ、根居部は一体誰が……」

 反筆は虚空を睨んだ。手に持っていたタバコから、大きな灰がテーブルに落ちた。それにも気づかず反筆は戦慄いた。

「……自殺?」

「そう、根居部さんは自ら命を絶った。あえて犯人を上げるとするなら、彼が愛して止まなかった、あの劇場だと言えるかも知れないね」

 ああ、とため息を漏らして、宮園さんがうなだれた。


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