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八月七日:約束とご近所さん

『どう? ひいじいちゃんとはうまくやってる?』

 ケータイに母さんから電話がかかってきたと思ったら、のん気な声。朝も早い(本当はもうすぐ昼間だが)時間からこののほほんとした母親に僕はむかっ腹がたつ。


 日本家屋のこの家は、南側はすべて縁側になっているから風通しがいい。そのため、くそ暑い夏でも快適に過ごせる。それでも、やっぱり暑い日は暑い。

 汗だくで目を覚まし、のん気な母親の声を聞く羽目になったら、イライラするのも仕方ないだろう。そうでもないか? まあいいや。


「普通にやってる」

 ぶっきらぼうに返事をするが、母さんが僕のイライラに気付く様子はない。

「そう。明日までなんだから、ちゃんとひいじいちゃんのお世話するのよ」

 じゃあ、と言って電話を切ろうとする母親に向かって、僕は慌てて声をかけた。聞きたいことがあったんだ。


「僕さ、ひいじいちゃんと何か約束したことあった? 去年僕が行かなかったから寂しかったってひいじいちゃんが言っててさ」

『ええ? 知らないわよ』

 あっさりしたお返事。こそあど言葉でしかしゃべれないような物忘れの激しい母親が憶えているわけないか。あれ、これって遺伝してる?

『そういえば、ひいじいちゃん、去年、あんたは本当に来ないのかってずっとわめいてたらしいわよ。花火大会の日とかは「うるさいっ」って言いたくなるくらいずっと言ってたって。拓郎おじさんの話だけどねえ』


 花火大会? 昨日行ったスーパーに貼られていた八月七日の花火大会のポスターを思い出す。

 僕はジジイと約束をしたはずなんだ。いつ? どこで? どんな時に?

 ……思い出せない。

 母さんは電話越しに何か言っていたけれど、僕は「じゃあね」と言って無理やり切った。

 思い出さなければいけない気がした。きっとジジイにとっては大切な約束だったんだ。僕からしてみればテキトーにその場しのぎで言ったような、思い出すことも出来ない言葉だったのだとしても。




 今日は僕もジジイと一緒に墓参りに行くことにした。ちゃんとひいばあちゃんに挨拶しなければ。

 今日もよたよた歩くジジイの腕を取り、雑貨屋で饅頭を三個買う。


 風でさんざめく木のトンネルをくぐり、小さな墓所にたどり着く。大きなくぬぎの木が、ひいばあちゃんの墓に影の模様を作り出していた。ミンミンゼミがすぐ近くで鳴いている。

 ジジイは何も言わずに饅頭を一個墓前に供え、もぐもぐと口を動かす。僕はその横で手を合わせ、ひいばあちゃんの冥福を祈った。


 甲高い蝉の声。揺れる木漏れ日。体を焼く太陽の熱線。


 そうだ。前にもこんなことがあった。あれは……あれは中学三年の時。ひいばあちゃんが死んだ翌年だった。

 ひいばあちゃんがいなくなった寂しさから、当時のジジイは背を丸くして黙していることが多かった。もともとジジイとあまり会話を交わさなかった僕にとっては、ジジイがそんなに変わったように見えなかったけれど、母さんは「ひいじいちゃん、寂しそう」とぼやいていた。

 お盆に家族で帰省した日。ジジイと一緒に墓参りに行った。

 今と同じように、ジジイはもごもごと口を動かし、ただじっとひいばあちゃんが眠る墓を見つめていた。


――約束したのに。


 か細い声でそう言っていた。聞き返す僕に、ジジイは墓を見つめたまま答えたんだ。


――俺が九十歳になったら卒寿のお祝いに花火を見に行こうって。なのに、先に逝っちまいやがった。


 僕は……あの時なんて言った? ジジイの寂しそうな背中になんて声をかけた?

 そうだ。僕は――


「僕が一緒に行ってやるよ」


――そう、言ったんだ。




 ジジイが九十歳を迎えたのは去年。僕はバイトを理由にして、ここに訪れなかった。ジジイは、僕との約束を覚えていたんだ。僕はすっかり忘れていたというのに。





 ジジイと一緒にお地蔵さんの横に座り、饅頭を食べる。もそもそとした饅頭とこの暑さのせいで、僕は喉の渇きを感じる。

 僕は薄情だ。ジジイは僕との約束を楽しみにしていたに違いない。それなのに、僕は……。

 ちらりとジジイを見ると、いつもどおり大口を開けて饅頭をずっと咀嚼そしゃくしている。……牛みたいだ。

 今からでは遅いのだろうか? 今日は花火大会だ。ひいばあちゃんの墓前で思い出せたのは、ジジイを花火大会に連れていってくれとひいばあちゃんが思い出させてくれたのかもしれない。

 そうだ。連れて行ってあげよう。お詫びの意味も込めて。





 ジジイと一緒に家に帰り、僕はまたすぐに家を出た。

 雑貨屋のおばちゃんのところに行って、自転車を借りるためだ。ジジイの足ではバス亭までの距離だって遠いから、自転車の後ろに乗っけて行った方が早い。

 錆び付いたママチャリをおばちゃんは快く貸してくれた。



 漕ぐ度にギコギコと軋んだ音をたてる自転車に乗って再び家に帰ると、お客さんが来ていた。色の黒い線の細いおじさん。僕の父さんと同い年くらいだろう。線が細い割には、腕の筋肉はがっちりついていた。

 ジジイと麦茶を飲みながらガハガハ笑うおじさんは僕を見るなり、白い歯を出してさらに笑い、お隣の熊野だと自己紹介してくれた。

 一昨日の雨の日にジジイを送ってくれた人だ。僕はお礼を言って、また外に出た。知らない人と話すのはどうも苦手だ。




 陽が落ちてきて、辺りはだんだん薄暗くなる。なのに熊野さんは帰る様子なし。

 僕は家の前のあぜ道でトンボを捕まえては放すというむなしい遊びを繰り返していた。

 なぜだか出前寿司がやって来て僕に寿司を渡して去っていくし。「代金は?」と聞いたら「熊野さんところでもらうからいい」と言われた。

 っておい。熊野のヤロウ、いつまで居座る気だ! 花火が始まっちまうじゃねえか!


 寿司を熊野のヤロウに渡すと、なぜか僕も混じる羽目になり、本来なら飲んではいけないビールまで飲まされた。 

 外では地響きのような花火の音が聞こえ始め、僕は内心かなりあせるが、熊野のヤロウがそれに気付くわけもなく。

「今日は花火大会だったなあ。ガハハ!」と笑う熊野のヤロウの顔にパンチをくらわせてやりたい衝動を抑えつつ、僕は大好きなウニを熊野のヤロウにはやらないぞと、ウニをあっという間にたいらげて、心の中で復讐した。


 腹に響く花火の音が聞こえる。

 ジジイと見に行くはずだった花火。

 

 去年も見ることが出来ず。今年も熊野のヤロウのせいで見ることが出来なかった。

 熊野のヤロウ、覚えてろよっ……。


 




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