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八月二日:子泣きじじいがいた。

 照りつける太陽に向かって、ひまわりが笑顔を向けている。オレンジ色の花弁を開き、太陽と同じになろうと頑張っているように見える。

 あっちからこっちからミンミンゼミやらアブラゼミやらの鳴き声が止まらない。トトロに出てきそうな大きな木の陰に入ると、何匹か蝉の姿を見ることが出来た。


「つうか、あちぃ」

 キャップをかぶり直し、顔をなんとか日陰に隠すが、その行為に何の意味があるのだろう。日射病を防ぐためか? 帽子の中は蒸れて蒸れてムンムンしてる。日射病どころかサウナのような暑苦しさで卒倒してしまいそうだ。しょせん僕は都会暮らしのもやしっこだ。……僕が住んでいるところも本当は田舎だが。


 坂を下っていくと、ひいじいちゃんの家が見えてきた。赤い屋根は、記憶と寸分違わない。この家には中学校三年の時以来、訪れていない。ひいじいちゃんは僕のことをちゃんと憶えているのだろうか。

 母が出際の僕に不吉なことを言い残していたことを思い出す。


「ひいじいちゃん、最近ぼけてきたらしいから。あんたのことなんか忘れてるかもよ」






 電車を降り、バスに乗り、歩いて十五分もかかって、ようやくひいじいちゃんの家にたどり着いた。家の前には田んぼ。家の横には畑。家の裏には林。ご近所は歩いて五分。田舎を絵に描いたような景色が眼前に広がっていた。

 遠くに見える山々だって、関東平野に住む僕にとっては久々に見るもので、わくわく半分、うんざりする気持ち半分。そんな気分だった。



 一週間分の荷物が入ったカバンを背負い直し、ひいじいちゃんの家の玄関の前に立つ。人の気配は無いが、一応がんがんとドアを叩く。叩いただけなのに、引き戸が少し開いてしまった。

 田舎は平和だ。鍵なんていらないらしい。

 

 平屋の家屋は玄関を開けると土間が広がり、その奥に薄暗い台所。あとは八畳間が四つほどあるだけ。トイレは外で汲み取り式。風呂は増築したから新品だ。


「じいちゃーん! いないのかー?」


 耳の遠いひいじいちゃんのために、これでもかと声を張り上げる。一歩踏み込んだ土間は、外の暑さが信じられないくらいひんやりしていた。


「じいちゃーん」

 なんとなく、不安になる。どうしよう。田んぼに落ちてたりしたら。ぼけだしたって言ってたし。

「なんだ」

「う、わっ」

 玄関のところ――つまり僕の真後ろ――に立っていたのは子泣きじじい……もとい、僕のひいじいちゃん、木沢宗吉きさわそうきちだった。


「じ、じいちゃん、久しぶり。ひ孫の千裕だけど、覚えてる?」

 自分が大きくなったからなのか、それともひいじいちゃんが縮んでしまったのか。ひいじいちゃんが以前より小さく見える。丸はげの頭。剃り忘れた無精ひげ。ステテコに赤いTシャツ。子泣きじじいそっくり。失礼だが、笑える。


「お前、%&*P=$%’>?@だ#&¥が・:*‘¥し%!$」

「……は?」

「だぎゃら、&#%:@は>‘¥@:*か」


 ひいじいちゃんの言語が、宇宙語になってる! ここはどこだっけ? 確か地球のはずだ。もしかしたらひいじいちゃんは宇宙人にさらわれて、宇宙語を学んでしまったのかもしれない!

 どうしよう! 一週間も一緒に暮らすなんて、絶対無理だっ。言葉が通じねえもん!


「昼飯は食っでぎたのがって聞いでんだ!」

 あ、良かった。日本語が出た。






 ひいじいちゃんは気難しい人で、ただでさえ皺が入りまくった顔の眉間はさらにしわしわだった。そのせいかいつも怒っているように見えて、僕はどうにもひいじいちゃんが苦手だった。

 高校一,二年とも、バイトを理由にここを訪れることを避けた。面倒くさかったから。

 そんな僕がひいじいちゃんと一週間も過ごすなんてあり得ない。絶対無理。まず会話が出来ない。三年間会わずにいた月日が、さらに僕とひいじいちゃんに気まずい空気を作り出す。

 

 三年。会わずにいた三年。

 僕は体格も骨格もがっちりしてきたのに、ひいじいちゃんは細くなっていた。三年前は、あんなにはきはきしゃべっていたのに、今はっきりしゃべることも出来なくなっていた。宇宙語だと思った言語も、よく聞くとちゃんとした日本語だったし。

 なんだが悲しい気持ちになる。申し訳ない気持ちになる。


「メシ」

「は?」

「昼飯、つぐれ。こののろま」

「……」


 全然申し訳なくなんかねえし、悲しくもなくなった。


「それが終わっだら、洗濯な」

 僕は召使いじゃないんですが。世話をしに来たのは確かだが、命令されに来たわけじゃない。


 モゴモゴと口を動かしながら、さも当然といった顔で、昼飯が作られてくるのを待つジジイ。たれた皮膚の下で、意地悪な目が光っている気がした。






 冷蔵庫は汚く、ごちゃごちゃしていた。ギュウギュウに詰め込まれた食材は、なんとなく薄汚れている気がして、食欲が失せる。それでもなんとかやきそばを作った。賞味期限、三日ほど過ぎてたやつだけど。

「まずい」

「……あ、そう」


 もそもそのやきそばは確かにまずい。だけどさあ、それをはっきり言っちゃうかね、このジジイ。

 くちゃくちゃと口を開けて食べるひいじいちゃんの姿を見てると、悪いけど食欲はさらに減退していく。食べたものがぼろぼろと皿に落ちる姿も、汚い。

 三年前のじいちゃんはこんなんじゃなかった。歳をとるって、怖いことなんだな。






 夕飯もひいじいちゃんの「まずい」で終わった。

 なんですか、この仕打ち。早く家に帰りたい。この前テレビで見たグレ○リンという映画で、ギ○モが「おうちに帰ろ」と言っていた姿を思い出す。今ここにギ○モがいたら、僕は彼(彼女?)を抱きしめてスキップ踏んで帰ることだろう。


 

 一番風呂に入り、体を伸ばす。本当はひいじいちゃんが先に入るところだろうが、あの食事の汚さを考えると、どうしてもひいじいちゃんの後の風呂は嫌だった。

 僕って、嫌なやつ。身内を汚いと思うとは。だけど、仕方ないじゃないか。


「あぁ……疲れた」

 風呂桶に鼻まで浸かった時だった。いきなり風呂場のドアが開いたのだ。

 そこにはイチモツを全開にしたひいじいちゃんがにたつきながら立っていた。

「千裕、背中流してやる」

「はあ?」


 あばらが浮き出たひいじいちゃんの皮膚のたれまくった裸体。なんつーか、目の毒。モザイク! モザイク発動して!

「千裕、お前、胸ねえなあ」

「なに見てるの、えっち! って僕は男だ! 胸があるわけねえだろっ」

「お前、女じゃなかったのが? 女みてえにちゃらちゃらしてやがるがら女だと思っでたわ。名前も女みでえだし」


 ……ボケ? これボケ? のるべき? そるべき? つっこむべき?


「お前、胸の無い女みでえだな。けっけっけ」


 今、けっけっけって、妖怪みたいに笑いましたけど。僕にはそう聞こえたわけでして。うん。明日からはひいじいちゃんなんてかわいく呼んでやらないことにした。

 明日からは「ジジイ!」だ。クソをつけないだけましだと思ってくれ。もちろん、ドスのきいた声で呼ぶよ。


 覚えてろよ、ジジイッ


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