プロローグ:ジジイの家に行く理由
夏の夕暮れはなんだか寂しい。ジジイのしわくちゃの顔は茜色で染まり、いっそうしわくちゃを濃くしていた。
「お前にはわからんだろうが」
ジジイが今にも泣き出しそうな顔をしていたから。
先に僕が涙ぐんでた。
「人生なんて駆け足で過ぎていくんだ」
モゴモゴしゃべるから、なんて言ってるかいつもわからない。たぶん、そんなことを言っていた。
「全部、俺を置いてく」
足元に広がるスイカの果汁。そのピンク色の液体の上でスイカの種が泳いでいた。ジジイは力強く、スイカの種を遠くに飛ばす。
僕もまねして、種を遠くに飛ばしたけれど、ジジイのそれより飛ばなかった。
ジジイと僕のひと夏の思い出。過ぎ去る夏の、泡のように消えていく夏の思い出。
夏休みが始まったある日のことだった。
ミンミンゼミがとにかくうるさい自室で、クーラーがないことを嘆きながら受験勉強に励んでいた僕に、母がとんでもないことを提案してきたのだ。
「千裕、八月入ったら一週間、ひいじいちゃんのところに行ってきて」
お母さんのお爺ちゃんは未だご健在。確か今年で九一才。遠い片田舎で独り暮らしをしている。
なんで受験生の僕がそんなところに行かなきゃいけないんだ。
疑問は顔に出ていたらしい。
「なにぶうたれた顔してんのよ。あんた高校入ってから一度も行ってないんだから、今年くらいはひいじいちゃんに会って来なさい」
「あのさ、受験生なんだけど」
「受験より大切なことなんて、世の中たくさんあるのよ!」
よくわからない理屈が飛び出した。ひいじいちゃんのところに行くのが、受験より大切なことなのか? いやいや、僕にとってはどう考えても受験の方が大事だ。
それに、八月の初めといったら、近所で花火大会がある。カノジョとそれに行く約束だってしてるんだ。
「あのね、拓郎おじさんがね、海外旅行が当たったんだって。でも、ひいじいちゃんのお世話しないといけないから行けないって言ってたの。お母さん、ひいじいちゃんのお世話、拓郎おじさんにまかせっきりだったから、たまには骨をのばしてほしくてね」
拓郎おじさんとは、母の兄だ。ひいじいちゃんの家の近くに住んでいて、ひいじいちゃんのお世話をしてる。
「だから、お母さん、言ったの。『旅行行ってきなよ。その間は、うちでひいじいちゃんの世話するから』って」
よけいなことをっ!
「だったら、母さんが行けばいいだろが」
「お母さん、仕事だもん」
「拓郎おじさんとこにも、子どもいるじゃん」
「家族旅行なんだってば。おじいちゃんとおばあちゃん以外全員で行くのよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんがいるんじゃん」
「お年寄りにお年寄りの世話させるの、あんたは!」
とうとう怒り出してしまった。顔を真っ赤に染め、目が上から引っ張ったみたいにつり上がる。やばい。鉄拳が飛んでくるぞ。避難せよ!
僕の脳内で赤いサイレンがウオンウオン鳴いている。僕は椅子を前に出し、母と自分の間に防波堤を作り上げた。
「いい?! これは命令よ! 八月二日から八日まで! ひいじいちゃんの家でひいじいちゃんのお世話をすること! いいわね!」
と、いうわけで。僕はひいじいちゃんの家に行く羽目になったのである。
最悪で最高の、僕の一週間が幕をあげた。
夏らしい作品が書きたくて、今回の連載をスタートさせました。主人公とジジイのひと夏の思い出に最後までお付き合いいただけたら幸いです。