遭遇
SMクラブの事務所の隣の部屋が、姉川柚の目的地だった。
そして、ここは俺の家でもある。
〝参ったな〟
ビルに入るとき、まさかと思った。
このヤクザマンションにも、極小ながら堅気の人間も生息している。
そのごく僅かな人間に用があるのだと思っていた。
しかし柚が、おれの手を引っ張っていたのは、このマンションの中で一番胡散臭い部屋。
俺の家だった。
〝俺の家に関わってもろくなことがない〟
俺の家に関わって幸福を得るのはきわめて難しい。
稀と断言できる。
俺はインタホンを押すのを躊躇っている柚の肩に手をかけ、帰るように諭そうとしたその時「珍しいな、結が友達を連れてくるなんて」
突然横から声が割り込んできた。
声をする方を見ると、右目に黒い眼帯をつけた派手なシャツを着た、極めつけに怪しくてガラの悪い中年男が立っていた。
審丹和人。
おれの保護者である。
審丹は馴れ馴れしく柚に近づくと、右手を差し出した。
さすがの柚は戸惑っている。
当たり前か。あれでも女の端くれだ。
こんなガラの悪い中年男に突然手を出されたら、ビビるに決まってる。
「和人」
おれが止めに入る。
「友達の前で、和人はないだろう。こんなんでも、おれはお前の親代わりだぜ」
和人はヤニで汚れた歯を剥き出しにして、ニヤリと嗤った。
「ごめんな、お嬢ちゃん。こいつは恥ずかしがり屋なんだよ。おれは結の親代わりの審丹和人っていうんだ。よろしくね」
和人が手を引っ込めないので、姉川柚は仕方なく差し出された手を握った。
柚は一瞬ハッとした顔になるが、すぐに表情を消した。
しかし和人は見逃さない。
「お嬢ちゃんビックリしたろう。小指と薬指ないから。あっ、でもそっちの人じゃないよ。おじさん人相悪いけど、見た目だけだから。この指は工場で働いてたとき、事故でやっちゃったね」
「――すいません。変な勘違いしてしまって。そうですよね、そっちの人なら小指だけですもんね」
「そうそう、指を二本落とすなんてそんな間抜けなヤクザいないよ」
和人はヤニで汚れた歯を丸出しにして、大笑いした。釣られて柚が愛想笑いをした。
「――まあでも、今の話全部嘘なんだけどね」
柚の愛想笑いが凍りついた。
「この指は、不始末と落とし前のために落としちゃったのよ、ドスでね。こう」
和人は止せばいいのに、わざわざ指を落とす真似までした。
「あれは痛かったな。でもしょうがないよね。ヤクザだから」
「元ヤクザだろう」
おれは見るに見かねて、間に入った。
「あははは、元を付け忘れてた。そう元ヤクザ」
和人は柚の手を解放すると、自分の頭を指のない方の手でボリボリと掻いた。
照れ隠しのつもりなんだろうか。
「――柚、わかったろう。ここはお前の来るところじゃない。さっさと家に帰れ」
ここにいてはいけない。俺達と関わってはいけない。
「なんだよ、結。せっかく来たんだお茶ぐらい飲ませてあげないよ。そんなんじゃ、女にもてないぞ」
「その女に構うな。和人。巣に帰れ」
おれは和人の腕を強引に引っ張ると、ドアノブに手をかけた。
これでもう、この女も俺にちょっかいかけてくることもないだろう。
「・・・・・・口寄せ、貴方は口寄せができるですよね?」
柚の声は微かに震えていた。
「――なんだ結の友達じゃなくて、お客さんだったのか」
和人は、ヤニで汚れた歯をむき出しにして嗤った。
読めないと思うので。
審丹 和人は、サニ カズヒトと読みます。