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以心伝心<恋愛・現代>


 地下鉄の揺れる車両のドアにもたれかかって窓の外を見る。

 でも真っ暗な窓に映るのは私の酷い顔だけ。

 ほんのちょっと前、彼から言われた言葉が頭を離れない。


 ――しばらく距離をおこう。


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。

 そして気がつけば、家に帰るために地下鉄に乗っている。


 何でこんなことになったんだろう?


 始まりは友達だった。何人かで集まっているうちに、いつの間にか二人だけで会うようになって……。

 好きになればなるほど、我が儘が増えていく。


 数ヶ月前から彼の仕事が忙しくなって、あまり会えなくなった。

 寂しくて、悲しくて、辛くて。

 毎日、何度もメールしても返信はいつもたったの一行。

 次第に我が儘が加速する。


 『なんで会えないの?』    

 『少しくらいは時間があるんじゃないの?』    

 『仕事と私、どっちが大切なの?』

 『本当に仕事なの?』    


 彼を追い詰める自分が嫌になっていく。

 それでも今日は久しぶりに会えるから、彼に謝ろうと、それから楽しもうと思っていたのに。


「なんで……」


 思わず声を洩らしてしまい、慌てて辺りを窺う。それから誰も気づいていない様子にホッと息を吐いた。




   *****




「なんで? ずっと前から約束してたじゃん」


「ああ、でもちょっと疲れてて、映画にしよう? 前からずっと観たがってやつ、まだやってるだろ?」


「でも、約束は……」


「わかってるって。でも今日は勘弁してほしい」


 そう言って溜息を吐く彼に腹を立てながらも、約束していたテーマパークではなく映画を観ることにした。

 だけどふてくされた気分で観た映画はちっとも面白くなくて、そんな私の気持ちを見透かしたように彼がまた溜息を吐く。


「一緒にいる時に溜息なんて吐かないでよ」


「じゃあ、お前はもっと楽しそうにしてくれよ。やっと会えたのに」


 そこから始まった小さな口論。

 こんなはずじゃなかったのに、久しぶりに会えた彼にやっと甘えられると思っていたのに。


「なんでもっと優しくしてくれないの? 私が今までどれだけ我慢してたと思ってるの?」


「お前は自分の気持ちばっかりなのな」


「でも……だって、私のことをもっと想ってくれてるなら、メールだってもっとくれるはずだよ! いっつも私からで、返信だってたったの一行じゃない。会えないならせめて言葉が欲しいのに!」


 さあ、言い訳があるなら言って! 謝るなら今のうちなんだから!

 そう思っていた私の顔はどれだけ歪んでいたのだろう?

 彼が私の顔を見た時のあの諦めたような表情。

 再び大きく溜息を吐いた彼の言葉。


「たとえ俺が千の言葉を連ねても、今のお前には伝わらないだろ? 自分の気持ちばかりを大事に抱えて、俺の気持ちを理解しようともしていないじゃないか」


 胸にズキリと何かが刺さった。

 喉が詰まりそうになる。何を言えばいいのかわからない。

 それなのに、私の口からは出てくるのは彼を否定しようとする言葉。


「でも……でもそれは――」

「もういい」


 私の言葉は彼の静かな声に遮られてしまった。

 そして、小さく聞こえた「疲れた」という呟き。

 重たい沈黙がその場を支配する。


「――しばらく距離をおこう」


 あまりにも沈黙が続いたから、空耳だと思った。

 でも彼の目を見てそうではないと悟る。


「なん、で……」


 彼はチラリとテーブルに視線を落として、それから少し悲しそうな顔をした。

 悲しいのはこちらの方なのに。


「頼むから気付いてくれ」


「え?」


 彼はその言葉を最後に立ち上がると、テーブルに載せられていた伝票を持って出て行ってしまった。

 私はまだ納得していないのに。

 一方的すぎる彼に呆然として、しばらく私は立ち上がることが出来ないでいた。




   *****




 涙を堪えて電車に乗った私は、友達にメールしようと携帯を取り出した。


 『それは彼が酷いよ』

 『全然悪くないのに、謝る必要はないよ』


 そんな慰めの言葉が欲しくて、彼の悪口を携帯画面に叩きだす。ちょっと大げさになっているかも知れない。

 でも、同情して欲しくて、可哀そうって思って欲しくて。


 ふと見上げた視線に入り込んで来たのは、車窓に映った自分のあまりにも醜い顔。

 ゾッとした。

 私はずっとこんな顔をして彼の前にいたんだろうか?

 震える指で電源キーを押して、打ちかけのメールを保存せずにパタリと閉じた。

 

 何でこんな事になったんだろう?


 友達の時には当たり前だった距離が、好きになればなるほど遠く感じていった。

 募る不安と不満。

 そんな気持ちを和らげて欲しくて、彼に慰めを求めただけだったのに。


 そもそも、距離を置こうなんて、別れの言葉の常套句じゃない。

 男らしくないよ、ハッキリ言えばいいのに。


 鬱々と沈んでいく心。

 大好きなはずの彼を恨んでいく気持ち。


 俯いていた私を急に明るい光が包み込んだ。

 ハッと顔をあげると、電車がホームに滑り込んでいた。

 この駅はこちら側のドアが開く為、乗降の邪魔にならないように慌てて端へと寄った私の目にきらりと眩しい光が飛び込んで来た。

 握り締めたままだった携帯に付けているストラップ。

 その一つが、ホームの光に反射したのだ。


 ハート型に模られた小さなクリスタルの裏には『以心伝心』と彫られている。

 彼と旅行に行った時に買ってもらったお土産。


 ――言葉を使わなくても考えている事がお互いに伝わるなんてありえないよ。でも俺はこの言葉が好きだな。綺麗じゃないか? 心を以って、心を伝えるって。だから俺は、一つ一つの言葉に心をのせて大切に伝えたい。


 普段あまり多くを話すことのない彼が、照れくさそうに語ってくれた言葉。

 そうだ、彼は口下手だけど、それでも一言一言が真実で、そんな彼が好きだったのに。

 『距離を置こう』という彼の言葉はそのまま真実なんだ。

 だとしたら、距離を置いて……それからは?


 希望が胸を満たし始めたのに、すぐに不安が取って代わる。

 思わずギュッと強く握り締めた携帯のクリスタルのハートがシャラリと揺れた。

 彼が立ち上がる直前、テーブルに視線を落として悲しそうな顔をしたのはこれを見たから?


 ――頼むから気付いてくれ。


 彼の最後の言葉を思い出して、携帯を見つめたまま考える。


 ああ、彼はメールの返信だって普段はあまりしない人だったのに。

 会えない間、必ず返信をくれていたんだ。

 無茶苦茶な私の言葉に呆れていたり怒っていたりしたけれど、『たったの一行』じゃない、『一行でも』返してくれていた。


 二か月ぶりのこの休みは本当は家でゆっくりしたかったんじゃない? 

 でも、わざわざ私の為に外出してくれたんじゃないか。


 考えれば考えるほど、思えば思うほどに、この会えなかった期間の彼の気持ちが伝わってくる。

 それは今まで、自分の気持ちばかりを優先して憐れんでいた私にはわからなかったもの。

 私は何て事をしていたんだろう。

 ずっと辛かったはずの彼に、更に負担をかけていた。それなのに、今日は会ってくれたのだ。


 まだ間に合う? もう一度やり直せる?

 間に合わなくてもいい。ダメでもいい。そんな事が問題なんじゃない。


 彼に謝らなければ。

 自分勝手な私の謝罪を今更受け入れてもらえないかも知れないけど、それでも謝らせてほしい。

 だけど……。


 しばらく迷ったけど、再び携帯を開いて今度は彼のアドレスを選択する。


 『今日はごめんなさい。今までずっと我が儘を言ってごめんなさい。

  次に会う時は絶対に笑って過ごせるように頑張るから、また会いたいと思ってくれたら連絡下さい。それまでに絶対強くなっているから。

  待ってる。』


 勇気が消えてしまわないうちに彼に送信して携帯をカバンにしまう。

 どうかまだ間に合いますように。

 携帯は電波が届かない為にオート送信モードになったから、いつ彼に届いたのかはわからなかった。

 だけど、次の駅を離れてすぐにカバンから振動が伝わって、メールが届いた事を知らせた。

 緊張しながら携帯を取り出して開く。送信者は彼。


 『ごめんをありがとう。それから俺もごめん。

  疲れて苛々して当たってごめん。

  でもやっぱり俺はお前が好きだから。

  どうか今のプロジェクトが一段落するまで待っていて欲しい。

  忙しさを理由にもうケンカはしたくないから。

  今度は二人で笑って過ごそう。』


 優しくなりたい。強くなりたい。

 彼の為に。

 ただ待つだけじゃダメ、やっぱり頑張らなきゃ。

 私自身の為に。


 まずはこの酷い顔を笑顔に変えて。




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