045 2026年4月26日(日)_01 片桐一葉有給取得作戦
日曜日。
だが出勤。
それはいい。
本当は良くないが。
今、一葉は
資料管理室そのものを相手に、戦闘モードへ移行していた。
全身の筋肉痛は無視。
頭の中で、ギアが一段、跳ね上がる。
思考が加速する。
主目的はただ一つ。
——有給取得。
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■ 混沌 める(まじか・める)
ブイチューバー。
一葉の、推し。
生配信。
久しぶりの配信。
しかも、平日の、日中。
「……有給……」
小さく呟いたその瞬間、
脳内で警報が鳴る。
有給!有給!ならば有給だ!
我には代休という必殺技もある!
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混沌 める生配信の為の休日申請
児島の小言も、
若林の餌付け(名目は“差し入れ”、実態は“懐柔工作”)、
父親の、あの絶望したような視線も、
スマホで飛び交うオタク用語を必死に検索している石原も、
今までの蓄積が我慢限界を超え、
笑いのトリガーが引かれ、モニターの前で肩を震わせている新人・武田も、
そして——
勝手に“片桐観察日記”をつけている新人・今田。
……彼にはもうお菓子、もうあげない。
心の中で、きっちり線を引く。
すべて、今は無視。
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県知事?
市長?
上からの圧力?
知らん。
権力には屈しない。
なぜなら——
「私は、納税者だから!」
心の中で、拳を突き上げる。
納税オブ・ジャスティス。
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そのとき、
ふわっとした空気のまま、槌谷が口を開いた。
「そのブイチューバー……たぶん、配信ないですよ?」
一葉が、ぴたりと止まる。
「え?」
槌谷は、相変わらずゆるい口調のまま、
だが内容は、容赦がなかった。
「言い回し、言葉の選び方、間の取り方。
あれ、全部——奈良 透。
正確には、ナイアルラトホテップの癖ですね」
一葉の顔から、血の気が引く。
「……なにそれ、やだ」
槌谷は、にこりともせず、続ける。
「事務所の方には、もう連絡入れてあります。
“中の人が国家的に不適切”って。
前職、防衛庁ルートで」
さらっと言うあたりが、いちばん怖い。
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その横で、槌谷は石原に書類の束を差し出す。
「石原さん、ご依頼の報告書、まとめておきました」
老眼鏡をかけ直しながら、石原が受け取る。
「おお……助かる」
槌谷は、そのまま一葉にも、もう一冊差し出した。
「はい、片桐先輩にも。参考資料です」
表紙には、
爽やかな笑顔の“奈良 透”。
だが、ページをめくった瞬間。
中身の大半は、
肉の塊みたいな成田仁。
だれだ成田仁って。
異形。資料写真。注釈。黒塗りだらけの報告ログ。
眼鏡がズレる。
「……夢、壊れた……」
一葉は、机に突っ伏す。
「イケメンなら、まだ我慢できたのに……」
今田がぼそっと。
「それルッキズムです。外見至上主義ですよ。」
知らん。
それを見て、
槌谷は、ほんの一瞬だけ、恍惚とした表情を浮かべた。
——“かわいいものが、かわいそうな目に遭う”。
その感情が、言葉にならずに、空気に滲む。
児島は、その様子を横目で見て、内心でため息をつく。
(……ああ、いい性格してるわ、この子)
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一葉は、机の引き出しを躊躇いながら開けた。
アクリルスタンド。
ぬいぐるみ。
キーホルダー。
限定ポストカード。
イベント特典の、謎に分厚いクリアファイル。
両手で抱えきれないほどの“推しの残骸”を机の上に広げて、天を仰ぐ。
「……私のグッズ。
アクスタ。ぬいぐるみ。
こんなに集めたの」
一拍。
「なに?
なんで?
私、なにか悪いことした?」
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ふと、思い出す。
投資系配信者だった奈良トオル。
声のトーン、間の取り方、言葉の選び方。
「……あの時も、そうだった」
一葉は、自分の耳を指で押さえる。
「私、声優なら……声だけで誰か当てる自信あるんだけど」
槌谷が、無言で視線を逸らす。
「……え?
うそでしょ。
これ、実はフェイク情報だよね?」
誰も答えない。
代わりに槌谷が無表情、だけど口角が緩んでる何とも言えない顔で
机の上に、ぴたりとタブレットを置く。
《成田仁 長距離観測映像データ》
一葉は、震える指で、再生ボタンをタップした。
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再生。
画面に映ったのは——
どこかのメイド喫茶風のカフェ。
ネオンと間接照明、ポップな内装。
いわゆる“世界観重視型飲食店”。
カウンター席。
そこに、
体重百キロ超えと推測される中年男性。
パフェを前に、満面の笑み。
なぜか、
やたらとカメラ目線。
たまにウィンク。
店員が、ノリよく話しかける。
「余はバックベアードじゃ。下僕よ。今日のパフェ、どうじゃ?」
成田は、スプーンを突き立て、口いっぱいに頬張る。
長距離撮影なのに咀嚼音までしっかり聞こえる。
くっちゃくっちゃ。
「フヒフヒ!ヒホヒホ!
おいちい!」
満面の笑み。
——そして無駄に、音声がクリア。
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一葉の脳が、静かに、停止する。
「……チーン」
次の瞬間。
「あーーーーーーーー!!」
「あーー!!ー!!!」
机に突っ伏し、慟哭。
心の底から、魂ごと引きずり出すような叫び。
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その光景を見て、
槌谷は、さらに一段、恍惚の領域へ沈む。
武田は、腹を押さえて、呼吸困難。
「……む、無理……酸素……」
今田は、目を輝かせてメモを取る。
「芸術点、高すぎません?これ。悲劇として完成度が……」
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そこへ、
たまたま通りかかった浮雲。
「……なにを、している?」
誰も説明しない。
できない。
一葉は、机に突っ伏したまま、か細く呟く。
「……私の推しが……邪神だった……」
浮雲は、数秒、考え込む。
「……それは、
……大変だな」
本気で同情しているのが、余計につらい。
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一葉は、机に突っ伏したまま、うめくように言った。
「……メルカリで売る。
メルカリで売る。
そうだ、メルカリで売ろう……」
ぬいぐるみを一体、持ち上げる。
アクスタを光にかざす。
希望が、そこにあった。
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今田が、ふと、眼鏡を押し上げる。
「……それって、税関係どうなるんですか?」
一葉の動きが止まる。
「……は?」
今田は、悪意ゼロの顔で続けた。
「戦闘回数、片桐先輩、かなりこなしてますよね。
多分……高収入ですよね。
副収入、申告、大丈夫ですか?」
「なに?
なに??」
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その瞬間、
総務・会計の斎藤が、椅子を引いて立ち上がった。
表情、無。
声、低温。
「説明します」
一葉の魂が、半歩、後ずさる。
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斎藤は、ホワイトボードに、淡々と書き始める。
1.片桐さんの立場
「あなたは地方公務員です。
給与は“給与所得”。
これは年末調整で基本的に完結します」
一葉、うなずく。
ここまでは知ってる。
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2.メルカリの売上
「これは“給与”ではありません。
原則、“雑所得”扱いです」
一葉の顔が、曇る。
「ただし——」
斎藤は、間を置く。
「営利性、継続性、反復性がある場合、
税務署の判断で“事業所得”と見なされることもあります」
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3.金額のライン
「給与所得者の場合、
副収入が年間20万円を超えたら、確定申告が必要です」
一葉の脳内で、
ぬいぐるみとアクスタが音を立てて崩れ落ちる。
「……20万?」
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斎藤は、さらに追撃する。
「今月の給与と手当、
このペースで出撃が続けば——」
タブレットを操作。
「月収70万円に到達する可能性があります」
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一葉、跳ねる。
「70万!?
やっほーい!!
新しい推し探す!!」
児島が、湯のみでコーヒーをすする。
若林は、チョコパイをスナック感覚で頬張る。
完全に他人事。
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斎藤、無慈悲に続行。
「所得税率が、変わります」
ホワイトボードに、段階的に数字が並ぶ。
5%
10%
20%
23%
33%
「年収が上がるほど、
税率も上がります。
住民税は、別途、一律約10%です」
一葉の笑顔が、凍る。
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「さらに」
斎藤は、資料をめくる。
「メルカリの売上が継続的と判断された場合、
住民税の申告も必要です。
未申告の場合、
追徴課税、延滞税、最悪の場合、懲戒案件に発展する可能性もあります」
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「やめて」
「やめて」
「やめて」
「聞きたくない」
「許して」
一葉は、机にしがみつく。
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最後は、
泣きながら、撃沈。
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児島は、湯のみで静かにコーヒーをすする。
「……納税は、正義だからね」
若林は、チョコパイの袋を丸める。
「シングルマザー的には、
“引かれる前に喜ぶな”が人生の鉄則よ」
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早川は、顔面蒼白でスマホを打っている。
元妻・綾へのメッセージ。
「……一葉の金銭教育、
やっぱりちゃんと、やり直そう……
大丈夫だ。情報漏洩には抵触しない。
でも、本人が、税で死にかけてる」
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顧問のご老公ズは、立ち上がる。
「昼だ」
「ラーメン行くか」
「今日はニボニボしたのがいいな。」
「魚のアラ使ってるとこ、並ばないか?」
戦場を後にする、歴戦の老人たち。
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一葉の書類は、
涙で、ぐしゃぐしゃに濡れていた。
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そこへ、
浮雲。
デリカシーゼロの声。
「……つまり、
お前が稼げば稼ぐほど、
国が強くなる、ということか?」
一葉、顔を上げる。
「黙れぇぇぇぇ!!」




