触れないままで
昼休みの出来事のせいでずっと紅月さんを意識してしまう。
ノートを閉じる音がした。今なら言える気がして、口を開いた――けれど声は出なかった。
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放課後
チャイムが鳴ると同時に紅月さんが無言で裾を引く。
「また一緒だ」
「やっぱり付き合ってるんじゃないの?」
教室を出ようとした時、背後から問いかけられる。
――この関係の名前?
翔は言葉を詰まらせた。
今の紅月さんとの関係がなんなのか上手く形容できなかった。
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帰り道にて
二人は横に並んで人気のない道を歩いていた。
お互いに話しかけることもなかった。
だが、二人の距離だけはいつもより近かった。
あんなに泣き続けていた蝉の声も今だけは静かな気がした。
ふと手が触れる。
どちらもビクッと肩が跳ね、反射的に距離をとった。
「ねえ、なんで吸わなかったの?」
紅月さんは少し考えるようにして
「……なんとなく、その方がよかった。」
そう言って、紅月さんら少しだけ視線を逸らした。
紅月さんは一歩だけ近づいた。
さっきまで空いていたはずの距離が、いつの間にかなくなっている。
「どうしたの?」
「別に」
視線はまだ逸らしたまま、紅月さんは言った。
紅月さんの気配が首元に近づく。
けれど、唇も牙も触れない。
甘い香りと、微かに触れる吐息が、肌をくすぐる。
「……今日もこれでいい」
その声は昨日よりも小さく、少し震えていた。
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⦅紅月蓮視点⦆
――近づいただけで、こんなに意識してしまうなんて……自分でも少し腹が立つ。
そんなことよりも、今は彼の体温が気になっていた。
急に距離を詰められたのに、逃げる素振りすら見せない。
そんな無防備な首筋を見ると心臓の拍動が早くなる気がする。
――噛まないって決めたのに。
それなのに、どうしてこんなに近づきたくなるんだろう。
血の匂いじゃない。
彼そのものが、私の胸をくすぐる。
――吸血姫のくせに、こんなことで動揺するなんて。
でも、彼にだけは……少し、弱くなってもいい気がした。
彼が少しでも動けば、触れてしまいそうな距離。
それが怖いのに、離れたくないなんて……自分で自分が分からなくなる。
ほんの少し、息を吸うだけで彼の匂いが胸に入ってきた。
血の甘さじゃなくて、もっと柔らかい、落ち着かない匂い。
――噛まない。
今日は、ただ一緒にいたいだけ。
それなのに、こんなにも心臓がうるさいのはずるい。
もし今、彼が私の名前を呼んだら……
たぶん、私は吸血姫でいるのを忘れてしまう。




