06. 縁談の真相
ヨルはソファの上で、自分の膝を枕にして寝転がっているひかりの頭を優しく抱え、その月光色の髪を愛おしみながら優しく梳いていた。
腰巻きをプレゼントして、滝壺から出ることを許可されてから、ひかりはすっかり我が物顔でヨルの部屋に居座っていた。
(こんなところ、誰かに見られてしまったら大騒ぎになりますね)
そうは思うものの、ヨルもその甘えん坊の人魚と過ごす時間を気に入っていた。
どれだけ疲れていても、自分を見上げるその太陽色の瞳で微笑みかけられるだけで、身体の芯から元気が出るようだった。
それに不思議なことに、ひかりが部屋にいる時間は、誰も部屋に寄りつかない。
まるで人避けの魔法がかけられているかのようだった。
(ずっと……この時間が続けばよかったのですけれど……)
ヨルはひかりの髪を梳き続けながら、ガイアム王国との結婚について考えを巡らせていた。
(私は、婚約を……断ってもいいのでしょうか)
ヨルは昨日、姉と交わした会話を思い出していた。
『お父様とお兄様には口留めされているのだけれど、貴女自身のことだから』
珍しく城に戻ってきていた、隣国に嫁いだ姉がそう前置きしてヨルに告げたのは、ガイアム王国との縁談の真相だった。
『海向こうの国に、妙な動きがあるらしいの。お父様は戦争が始まるんじゃないかって危惧しているわ。そうなれば、この国は戦禍に見舞われるでしょうね』
姉は深刻な表情で続けた。
『その中で、もし戦闘になった場合、ガイアム王国が戦争に介入して、援軍を送ってくれるという話が上がったの。ただし、その条件が……ヨル、貴女とガイアム王国の王子の婚姻を成立させることよ』
父と兄が強引に進めようとしている縁談。
それがこの国を守るための切り札であることを知り、ヨルは息をのんだ。
『ガイアム王国、私は行ったことがあるけど、いいところよ。国力が強くて活気があるし、海はないけど穏やかな川があるわ。王子も……寡黙だけど優しい方よ。きっと貴女にもよくしてくれる』
そうして姉は、優しい顔でこう付け加えた。
『でも、貴女がこの国を……海を愛しているのは知ってるわ。これは、貴女の将来を決める大事なことだから……。貴女が望まないのなら、私がお父様を説得するわ。戦争が起こるって決まったわけではないし……。もし戦争になってしまったら、アクアリア王国は戦うことになるかもしれないけれど……望まない縁談はなくなる筈よ』
あんなに望んでいた婚約破棄という選択肢が与えられた。
それなのに、その選択は、この国の命運を決める重いものだった。
「ヨル、どうしたの? 難しい顔してるね? 悩み事? 私に何かできるかな?」
ヨルの膝の上から、心配そうな顔をしたひかりが身を乗り出すように手を伸ばして、ヨルの頬を両手で包みこんだ。
「いいえ……大丈夫です。ありがとう、ひかり」
ひかりの冷たい指先に、ヨルは気持ちよさそうに目を閉じた。
その冷たさが、思考の熱を冷ましてくれるようだった。
「でも、そうですね……ひかり、私の頭を撫でてくれると……嬉しいです」
「いいよ、ヨル。ひかりにたくさん甘えてね」
ひかりは嬉しそうにそう言うと、ヨルの身体を優しく抱きしめ、その夜空のように輝く髪を優しく撫で始めた。
ヨルの胸の中から温かさが身体全体に広がっていく。
この心地のよい温かさを、決して手放したくないという所有欲が、ヨルの中に確かに存在した。
「……ひかり、人魚の皆さんは……海でしか暮らせないのでしょうか。水なら、大きな川や、綺麗な湖もあるでしょう?」
ガイアム王国には、海はないけれど、「穏やかな川がある」と姉は言っていた。
もし、ひかりが海じゃなくても生きていけるなら。
結婚はできないにしても、この美しい人魚を、せめて「親友」として、傍に置くことは許されるだろうか。
そんな一縷の望みをかけて、ヨルは祈るように尋ねた。
「んー、そうねぇ、泳ぐだけならいいんだけど。魔力は海にしかないから……ひかりは、海からは離れられないよ」
「そう……ですか」
――ひかりは、海からは離れられない。
わずかな希望は、その一言であっけなく打ち砕かれた。
ひかりは、ヨルが愛する海そのものに縛られている。
ひかりとの愛は、叶わない運命なのだ。ヨルは切なくも静かに、その絶望の事実を悟った。
海から離れられないひかり。
戦争の災禍から国を守るためには、ヨルが山に嫁がなくてはいけない。
(やはり……私に許された選択肢は、ただ一つ……。姫として、この国を、守らなくては……)
ハッピーエンドで終わりますので!ご安心ください……!
ひかりが都合のいい女になってる感あって、心配になりますね。
いつも書いてる長期連載「人魚と姫」には「男」が出てこないので、男キャラが書けなくなってしまいました……。
父も兄も王子も出さなくていいですよね!!!




