11. 人魚と姫の幸せな日々
「ヨル様、ひかり様、二人でお出かけですか? 今日も仲がよろしくていいですね!」
ヨルとひかりが手をつないで城下町を歩いていると、露天商の商人に声をかけられた。
「ふふっ、そうなの! ありがとう! あなたも商売繁盛するといいわね!」
ヨルと同じように格式高いドレスを身に着けたひかりが、姫の妃として堂々と背筋を伸ばして、太陽のように眩しい笑顔で商人に手を振る。
ヨルはその愛おしい光景を、優しい微笑みを浮かべながら眺めていた。
「まだ……夢みたいで、信じられません」
夢見心地にそう呟くヨルに、ひかりはふふっと口元に誇らしげな笑みを浮かべた。
その自信に満ちた笑顔には、いつもの悪戯そうな人魚の色が滲み出ていた。
「ふふっ。ひかりは、魔法が得意なんだから。ひかりにかかれば、皆の常識を塗り替えることだってお手の物だよ。なんだって任せてよ」
ヨルがひかりにプロポーズした日、ひかりはヨルにそっと告げた。
『ちょっと、しばらくの時間をちょうだい。ヨルとケッコンする準備をしないといけないから。必ずヨルのところに戻ってくるから、待っててね』
しっかりと抱きしめ合って愛を確かめた後、ひかりは滝壺に消え、そこから数日間、ひかりは再び姿を消した。
以前の時とは違う。終わりのない孤独に耐える日々ではない。
確かな再開の約束を胸に、温かい気持ちに包まれながら、ヨルはひかりを待ち続けた。
そして数日が経った朝、ベッドの上で朝日を感じたヨルがゆっくりと瞼を開くと、夢か現か、ヨルとお揃いのネグリジェを身に纏ったひかりが隣に寝ていた。
朝日を浴び、淡く柔らかな布地のネグリジェが、神聖なもののように輝いていた。
そのあまりに幻想的な光景に、ヨルの胸中では確かな安堵と衝撃的な驚きが入り混じった。
まだ夢の中にいるのかと、思わず目を疑った。
『ひっ……ひかり……?』
『……おはよう、ヨル。いい朝だね』
朝日を浴びながら優雅に伸びをするひかりを、ヨルが呆然としながら見ていると、突然、部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
この時間のノック――それは、メイドがヨルの毎朝の身支度に来た確かなサインだった。
一瞬にして、夢見心地の気分は吹き飛んだ。
このままではひかりが、夜の間に姫の寝床に侵入した正体不明の不審者として捕らえられてしまう。
ヨルは一瞬にして血の気が引き、ぞっと背筋が凍るのを感じた。
『い、いけません、ひかり……早く隠れてください……っ』
切羽詰まって声を潜めるヨルに、ひかりは悪戯っぽく優しい笑みを浮かべて言った。
『大丈夫だよ、ヨル。ほら、ひかりの隣で堂々としていて』
そうしている間に、扉が問答無用でゆっくりと開く。
顔面蒼白のヨルが、息を詰めて見守る中、メイドはいつも通りに中に入ってきた。
そして部屋の様子を見た後、一切動揺することなく口にした言葉に、ヨルは耳を疑うとともに、まるで自分だけが違う世界にいるような気持ちになった。
『おはようございます、ヨル様、ひかり様。よく眠れましたか?』
メイドはひかりを、そこに立っているのが当然であるかのように、淀みなく朝の身支度を続けたのだ。
そうしてヨルと一緒に身支度を整え、華やかなドレスに身を包んだひかりは、王族の家族と一緒の食卓についた。
城内の皆が、ひかりがいるのを不自然に思う素振りすら見せず、当然のように振る舞った。
ヨルの婚約者の、ひかり。
ある日突然、アクアリア城内に現れたはずのその存在は、まるで今までずっと存在していたかのように、完璧にヨルの生活に馴染んでいた。
「ひかり、そういえばなのですが……」
話題を変えるように、ヨルは恐る恐る尋ねた。
「あの、戦争を仕掛けようとしていた海向こうの国の船が、突然引き返したらしいのですが、あれも……ひかりの、魔法なのですか……?」
ひかりは楽しそうに笑う。
「ふふっ、そうだよ。ひかりは魔法が得意なんだから。ちょーっと恐ろしい幻を見せてあげたら、あっという間に引き返していったよ」
ひかりは太陽色の瞳を細め、不敵に笑った。
その顔には、ヨルを困らせるものすべてを排除するという確固たる自信が溢れている。
その時ふと、ヨルの頭の中に素朴な疑問が思い浮かんだ。
「でも、こんなにすごい魔法が使えるなら……私と結婚するのも、私に魔法をかければひかりの思い通りだったんじゃないですか……?」
ヨルを精神操作して、ひかりのものにするのも可能だったのでは。
ヨルは頭に思い浮かんだことを、特に深く考えずそのまま口にした。
ひかりは愛するヨルからのそんな言葉に、一瞬、驚いたように目を見開いた。
「ヨル……そんなこと思ってたの?」
ひかりはそう言うと、不満そうに頬を膨らませながら続けた。
「ひかりはそんな愛の欠片もない薄っぺらい偽物のヨルはいらない。そんなもの手に入れても、嬉しくないんだよ……」
ヨルとつないでいた手を、ぎゅうっと強く握りしめながら、ひかりは真剣な眼差しで切実に訴える。
「ひかりは、ヨルのぜんぶを大好きだから……そんなお人形みたいなヨルはぜんぜん欲しくないの……っ」
そんな風に全身で拗ねてみせるひかりがあまりにも愛らしくて、ヨルはたまらなくなり、思わずひかりの頭を撫でた。
「ふふっ……ごめんなさい。そうですね。私は本当に、心の底からあなたを愛しています、ひかり」
ひかりは満足そうに目を細め、ヨルを見上げた。
「わかればいいんだよ。もう、そんなこと言っちゃイヤだからね! 私もヨルのこと世界で一番大好き……っ」
そしてひかりは、さらに甘えてキスをねだるように口をすぼめて、ヨルに顔をぐっと寄せた。
「あっ……だ、ダメですよ、ひかりっ。ここは町中ですっ。こんな人前で……」
ヨルが熱くなった顔を隠すように目を背けると、ひかりは子どものように不服そうな顔をした。
「ええっ、そうなの? ケッコンシキの時は、みんなの前でキスしたのに?」
「あれは、見せる用のキスなので……特別な時以外は、外でキスはしないのですっ」
ひかりは肩をすくめながら、やれやれという顔をした。
「ニンゲンの常識は、本当に難しいんだね……ふぅん。もう、わかったよ。ひかりはいい子だもの」
そう言うとひかりは、ヨルの腕をそっと掴み、まるで猫のように身体を寄せてきた。
そこにあるひかりの柔らかい胸がヨルの腕に当たる。
ヨルの心臓がとくんと激しく跳ね、理性を焼き尽くすような熱が胸の奥から広がった。
「ひかり……そろそろ帰りましょう」
「いいの? 天気がいいし、お仕事もないからお散歩しましょうって、ヨルが言ったのに」
「もう、結構です。散歩は十分に堪能できましたから」
ヨルはひかりが抱きつく腕を強くひいて、足早に城に向かって歩き始めた。
城の自室に戻ったヨルは、まるで追われるように、ばたんと勢いよく扉を閉めた。
かしゃん、と鍵をかける金属音が、妙に大きく部屋に響く。
そして、一息つく間もなく、ヨルはひかりを情熱的に強く抱きしめた。
「ほら……もう誰もいませんよ……ひかり」
突然の熱情にひかりはたじろぎ、戸惑いの声を上げた。
「よ、ヨル……?」
切羽詰まるヨルの声に動揺するひかりの唇を、焦れたようにヨルの唇が塞いだ。
「んっ……」
長い間抑圧されていたヨルの胸中の愛は、酸素を得たように燃え上がっていた。
その姿にはもう、民の前に立つ姫としての矜持も、冷静さも、どこにもない。
ただ、目の前の妃のひかりを愛する心しかなかった。
名残惜しむようにそっと唇を離すと、熱気を帯びて上気したひかりの顔が、ヨルの目に入った。
「あまり……煽らないで、ください……っ。私、愛らしいひかりがすぐ隣にいて……いつも、我慢の限界なのですっ」
「ふふっ……そんな焦ってるヨルもかわいいなぁ……いいよ、ひかりをぜーんぶヨルの好きにして」
その声に導かれるようにして、ヨルはひかりの身体を抱きかかえるように優しくそっと押した。
そのまま、天蓋付きのベッドに熱に浮かされたように押し倒すと、ひかりの身体の上に覆いかぶさる。
目を奪うひかりの太陽色の瞳に吸い込まれるように、深く熱い口づけを落とした。
ひかりもそのキスに応える。二人は、互いの境界線が溶け合うような深いキスで、ただひたむきな愛を確かめ合った。
こうして、ヨルとひかりの幸せな日々は、誰にも邪魔されることなく、永遠に続いていくのだった。
最終話までヨルとひかりを見守っていただきありがとうございました!
切なさもありつつ、百合イチャイチャをたくさん書けて楽しかったです。
自分の作品のどのへんに需要があるか知りたいので、お気軽に感想いただけると嬉しいです!
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「姫君は人魚に愛される」(サブタイなし)で検索してください。
後書きに入り切らない話をnoteにまとめました。無料記事です。興味があればぜひ見てみてください!
百合小説「人魚と姫」の元祖版を「小説家になろう」に投稿した話
https://note.com/zozozozozo/n/ne41c8bbddd44
引き続き、【百合】×【王道ファンタジー】
『人魚と姫 〜私達が結婚すると、世界が救われる!?〜』
を更新していきます。
ほのぼの色が強い作品です。「人魚と姫」もよろしくお願いします!




